佐々木素行

公共政策修士(専門職) 社会活動家   新宿区と千葉県いすみ市を拠点として地域活性…

佐々木素行

公共政策修士(専門職) 社会活動家   新宿区と千葉県いすみ市を拠点として地域活性化のお手伝いしています ここでは食にまつわるエッセイをつらつらお話しさせてもらってます

最近の記事

その名はいくどん

また同窓会の幹事を頼まれた。 中学校の同窓会は、ここ10年いつも幹事だ。 ツナグくんのごとく都合のいい奴なのか、結果的に経験値が高い為か、はたまた暇な奴だと思われているのか。 全部当たっているし、頼まれると断れないタイプなので、幹事にもってこいの奴なのかも知れない。 ご存知の通り幹事の苦労は多い。 日にちと人数を固めなければ、お店の予約ができないからだ。 出欠管理アプリを使い、幾つかお店の候補を挙げ、リクエストも受付けているのだけれど、この4つのタイプがいつもボクをムズ

    • 天使の朝ごはん

      特別おいしい訳でもなく、心温まるおふくろの味でもないが、ちょっとクールでハードボイルドな、誰もが憧れるだろう朝ごはんがある。 彼は24歳、ヘッドフォンとスイムゴーグル姿 で、目覚めるや否や、電話機や殴り書きのメモが乱雑に置かれたデスクに座る。 目の前の新聞に目を通すと、それをナプキンがわりに首元に突っ込み、おもむろにトマトにかぶりつく。 そして枕缶のコンビーフや魚肉ソーセージを食欲に任せて大胆に食べ散らかす。 牛乳は瓶ごと咥え、喉を鳴らして飲み込む。 1つひとつの動きが

      • おかんの獺祭弁当

         中学高校の頃は、非日常的な面白い事ばかり探し続けていたし、授業中は夢を見て、放課後はグラウンドでストップウォッチと競争する日々を過ごしていた。  なので、クラスは何組だったのかとか、担任の先生の名前とかクラスメイトに誰がいたとか、そういった日常の記憶がとても曖昧なのです。 それが中学時代のことなのか、高校時代の出来事なのかは、ほとんど覚えていません。  ボクにとっては、どうでもいい事として勝手にゴミ箱行きになってしまっているようです。(決して薄情なのではありませんが、今

        • 発作的に食べたくなるアレ

           昭和風情が残り、酔っ払いとギャンブラーが彷徨う街、錦糸町。この地に5年ほど勤めていた。 オフィスから見えるスカイツリーの背丈が、ようやく東京タワーに追いついた時期だった。  土曜日の朝、翌週の仕事の段取りをするために休日出勤しなければならないのだという雰囲気を周囲に漂わせ、そそくさと家を出る。  オフィスで2時間ほど仕事のフリをしていると、やった感がアタマを満たし、同時に腹へり虫が鳴きはじめる。 ならば仕方がない、昼酒といこう。  その店は、オフィスとは反対のJR錦糸

        その名はいくどん

          沁みる焼肉 溜まり場の男たち

           新宿の20人程度の所管から、女性の事務員を含めて4人だけの小さな営業所に異動になった。タランティーノが「レザボア・ドックス」でデビューした年だ。  異動先は東京は町田市。通勤ラッシュもない勝手知った地元に帰ってきた。  営業エリアは町田市を中心に、秦野市辺りまで40の取引先を担当した。営業中の移動手段も電車から自動車に変わった。  当たり前のように、自家用車を営業で使うことになっていた。その代わり年間2万円の保険料補助と走行距離1kmにつき20円が会社から支給される。車

          沁みる焼肉 溜まり場の男たち

          たかがされどラーメン

          11月にベルリンの壁が崩壊した。  出汁をとるための煮干しをそのまま味噌汁の具にしていた貧乏学生は、仲間と真剣にくだらない話をしながら朝まで飲み続けていた。バイト代が入るといつもの思い出横丁。日本がバブルだなんて気付きもしなかった。  そして何のこころざしもなく、また何の迷いもなく年収と有給休暇で決めた会社に就職した。約70の国と地域でサービスを提供する外資系金融機関だった。  最初の配属先は新宿西口の高層ビル。 まだパソコンなどは無く、代わりにデスクには灰皿があった。そ

          たかがされどラーメン