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ショートショート『白蝶のツガイ』

 白い蝶が2羽、これ以上ないという位ひらひらという擬音ピッタリの様で飛んでいく。目的地などなく、ただもう1羽と踊っていられればいい、というような具合に舞いながら。
 その光景を見つめながら、嫉妬に似た感情が芽生えていることに気づいた時、瑞月(みづき)は「いよいよ まずいな」と思った。生物学に詳しくなければ調べようともしていないから、その2羽がツガイかどうかなんてわからない。けれどもそう見えてしまい、更には微笑ましいで済むはずの感情を通り過ぎてしまっているこの状況。そして、恋、もしくは恋人を切望しているのにも関わらず、何も動こうとしないこれまでの自分を見つめ返した。
 マッチングアプリという秘密道具が普及してから、「出会い」というのはより身近にあり手軽に掴みにいけるようになったはずなのは知っている。けれど世間の文明の発達と共に、瑞月の失敗を嫌うプライドも、年々高い壁を積み上げていってしまったのだった。

 ガコッ!ガガガメキメキパキパキ…ガガゴ!

 突如、大きな破壊音が響き、瑞月の脳内責めが止まる。ぐるりとその音源を探すと、歩いていた通りから少しばかり奥まった敷地で、家屋の解体が始まっていた。
 外界から隔てていた壁や、隣の部屋との区切りをつけていた壁、2階を生み出していた床や、1階と繋いでいた階段。
 まるで神の手か、ゴジラの手かと思える黄色い重機の手によってそれらは1つの山になり、そこに在ったはずの空間は外界に戻っていった。
 瑞月は買い物のことなど忘れ、そうなるまでの流れに見入っていた。そしてこれまでには知らない種類の感動を味わっていた。寂しいような悲しいような、それでいてそれを超越して安心するような。
 黄色いゴジラからバンッと音がして、人間が出てきた。まるでそこから生まれたみたいだ、と瑞月が思っていると、その人は瑞月を見つめ、歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
 心配そうに申し訳なさそうに、そう声を掛けられた。瑞月がどういうことか分からずにいると、
「思い出がお在りですよね…」
 と、続けてその人が言った。どうやら真剣に解体の様子を見ていたために、この家の元住人だと思われたようだった。
「大丈夫です。っというか、違います。私はただの通りすがりです。たまたま解体の始まりに出くわして、なんだか見入ってしまって。」
 瑞月は少しでも早く状況を説明しようとしていた。その人が感じる必要のない心配から解放されるように。
「そうでしたか、それならよかった。っというか、勘違いして声をかけてしまい、すみません。」
 謝罪の言葉はあるものの、その人は安堵した様子で答えた。瑞月はそのまま会釈して立ち去ることも出来たけれど、でもどうしても伝えたくなってまた口を開いた。
「なんでかは分からないんですが、見入ってしまって、そしてとても安心しました。心の真ん中に空間が出来たような、そしてそこを風が通ったような。何を言ってるんでしょうね。意味わからないですよね。・・・でも、ありがとうございます。見せてくれてありがとうございます。」
 口を開いたはいいけれど、瑞月は自分でも伝えたいことがわからないままだった。それでも、どこかで充足もしていた。そんな言葉を真剣な表情で受け取ったその人は、伝えたいことがわかったかのように穏やかに微笑んでうなずいた。瑞月はその人の、左胸にあるネームプレートへ目をやった。



※蝶を数えるのは羽ではなく、匹が一般的。専門的には頭のようです。

#ショートショート

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