見出し画像

イタリアの記憶「α」沈丁花に関する散文的なもの

香りのする花と、思い出が結びついている。

日本にて。

小さな頃、学校までの道に沈丁花が咲いていてた。花を摘み、松の葉に、いくつも連ねて遊んでいた。

沈丁花の香りを知っているだろうか。

甘くて冷たく
冬から春に成りきらず
真夜中に聴くショパンのようで
素手をドライアイスに近づけては止めるような

どこか冷たさと暖かさが共存する香り。

日本を離れた時、この香りが鼻をかすめた事があった。イタリア、北のほう。モラトリアムの学生時代をすぎ、働き始めてしばらくした頃の旅。

ヨーロッパにいても一瞬であの頃の記憶に戻るのだ。

駄菓子屋で色とりどりの菓子を沢山買い込むのが、最上級の娯楽だった頃。

そのパッケージは、日本の繁華街の雑然とした街並みみたいな色使い。そこには外国人の好むアジアの不規則性がちりばめられている。

不規則なその中、色が調和していないという矛盾した調和。

プルーストの小説。マドレーヌの描写。

プルースト効果って名前は知っていたけど、
イタリアで、沈丁花の香りが揺らめき、一瞬だけ時が止まる経験をするとは思わなかった。

沈丁花の香りは、駄菓子屋で買ったぶどう味のチューインガムを凍らせた香りと似ている。

沈丁花は造花でもなんでもないのだけど、どこかartificialな感じが拭えない。