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1983年「探偵物語」

公開 1983年
監督 根岸吉太郎
公開当時 薬師丸ひろ子18歳 松田優作34歳

私のような70年代生まれの人間なら、薬師丸ひろ子がどれほどのスーパーアイドルだったか記憶しているのではないでしょうか。

1981年公開「セーラー服と機関銃」でブレイクした彼女は、原田知世、渡辺典子と共に角川三人娘と称され、当時角川書店社長だった角川春樹のメディアミックス戦略の元、主演する映画は軒並み興行収益ナンバーワン、主題歌を歌えば何週にもわたりヒットチャート上位を独占、その人気はまさに社会現象とまで言われ「ひろ子シンドローム」などと称されるほどでした。

私は当時この映画を見るため映画館の長蛇の列に並んだものです。
当時は現在のような映画のチケットを事前購入できるシステムは無く、人気の映画を見るためには数時間前に映画館に赴きチケットを購入した後、ひたすら並ばなければならなかったのです。
当時の角川映画と薬師丸ひろ子にはそうさせしめるほどの魅力があったのです。
角川映画はたいてい2本立てになっており、この「探偵物語」は原田知世の「時をかける少女」と同時上映でした。

富豪の令嬢である女子大生の直美のボディガード兼監視役として雇われた私立探偵、辻山。はじめは辻山を疎んじていた直美だが、やがて彼に好意を持つようになる。
ひょんなことからヤクザがらみの殺人事件に巻き込まれた二人は、協力しながら真犯人探しに奔走する…

美少女×ヤクザという構図は当時の角川映画の定番ですね。
この映画は1979年の大ヒットドラマ「探偵物語」のオマージュと言えますが、共演の松田優作も自らが前に出過ぎる事無く、彼女の魅力を引き立てていいるように思います。彼は42歳でこの世を去っているのですね。

お嬢様で都内の私立学校に通う直美の女子大生ライフ、彼女のファッションにも憧れました。
当時10代だった私は彼女に憧れ、同じ女性にも関わらず彼女を見ると胸が締め付けられるようなキュンとした気持ちになったものです。

通学路にあったレコード屋にこの「探偵物語」のポスターが張ってあり、毎日眺めていたことを思い出します。
当時の彼女のヘアスタイルのボブカットも大流行しました。

映画の主題歌 作詞松本隆 作曲大瀧詠一の「探偵物語」も大ヒットし、私の大好きな曲です。
「夢で叫んだように、唇はうごくけれど…」まだあどけない彼女が大人の恋愛を歌うのがアンバランスで魅力的でした。

彼女は80年代の天真爛漫売りにするキャラクターが多かった他のアイドルとは明らかに一線を画す何かがありました。

本名も薬師丸博子、東京都青山生まれ、小柄で愛らしいルックス、抜群の演技力と歌唱力など、二次元でしかありえないような要素をすべて兼ね備えていたのです。
彼女を初めて見たのは高倉健と共演の「野生の証明」でしたが、そのインパクトたるや凄まじく、主演の高倉健をも霞むほどでした。
超のつく美少女でありながらどこか影があり、透明感と神秘性、清楚でありながら色気もある…

角川春樹は「野生の証明」の頼子役の一次審査で、彼女の「眼差しの強さ」に一目で惹かれ、もう他の応募者には目もくれなかったそうです。
角川の雑多なメディアに安売りせず、神秘性をたもつ戦略が彼女をスターに押し上げたと言えるかもしれません。

この「探偵物語」は「セーラー服と機関銃」でスーパーアイドルになった彼女が大学受験のために1年間芸能活動を休んだあとの復帰作であり、その話題性も相当なものでした。
映画の公開前などはテレビで彼女を見ない日が無いというくらい、あらゆるメディアに取り上げられ特集番組も放送されていたのを覚えています。
当時のインタビューを見ると、18歳とは思えないくらい落ち着いてしっかりとした話し方、話の随所に彼女の着真面目さ、人柄の良さが滲んでいます。

高校時代、彼女はスーパーアイドルで超多忙だったにもかかわらず、通っていた高校を一日も休まなかったそうです。

普通の少女のような親しみやすさと、手の届かないカリスマ性を合わせ持つ稀有なアイドルだったと言えます。

彼女はトップスターになった後も芸能界引退を常に考えていたそうです。
ガツガツしたハングリーさが無く、誰もがうらやむ女優と言う仕事に対してそっけないくらい淡泊という印象がありました。

インタビューなどで見せる素朴さと、作品で演じるエキセントリックな役柄とのギャップが彼女の魅力かもしれません。
公式と素のキャラクターを器用に演じ分けるのがアイドルだと思うのですが、彼女がインタビューなどで私たちに見せている素の姿には偽りが無かったと思うのです。

その後「里見八犬伝」「メインテーマ」「wの悲劇」などに主演しましたが、この頃が彼女のトップアイドルとしての全盛期だったといえるかもしれません。
角川事務所を離れてからはキャリアが低迷してた時期もありましたが、「ALWAYS 3丁目の夕陽」やテレビドラマ「あまちゃん」などで演技派女優として見事に再ブレイクしました。

80年代の日本カルチャーのアイコンであり、時代に愛された女優と言えます。

私は10代の多感な時期を彼女の映画と共に過ごせたことを幸運に思うのです。

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