助けられなかった母親

今回は、去年の4月に亡くなった母親の話を書こうと思います。

母親は、美人、明るい、いい人などと、人々から言われるような人で、評判が良かった(自分がいたから、母は外でそのような人間を演じられ、保っていられたんだと思う)。

自分は2歳頃から記憶がある。「ママ、どこ?」と母を家中探している記憶が結構残っている。それと、階段からよく転げ落ちている記憶も・・・(階段降りている途中で、意識がなくなり、転げ落ちたと思う。意識がなくなるのは、いわゆる解離)。母は、自分を家に置き去りにしていた(その理由は後述します)。

母はものすごく人格否定してきた。他人の前で貶されたこともあった(その時、聞いていた人が「自分の子供をそんなに貶すもんじゃないですよ」と母に注意してくれた)。自分に恋人ができたら、「なんであんたなんかに、恋人ができるんだ!?」と母は言ってきたりもした。挙句の果てには、自分の存在そのものを否定してきた。母親から「あんたなんか、大嫌い!」「そんなんだったら死んでしまえ」「生まなければよかったと思う」「あんたはいるだけで、嫌な感じがする」「あんたは生きている意味、価値がない」などいろいろたくさん言われたし、「あんたなんか!あんたなんか!」と言われながら暴力を振るわれたことが数回ある。

母から自分への執着心も半端なく、過干渉も凄かった。電話は全て盗み聞きされ、自分が外出中の時に勝手に自室に入られ、部屋中チェック。母はゴミ箱の中身まで漁っていた。メモや手紙があれば、母に全部読まれた。母親はとにかく、自分の全てを把握していないと気がすまなかったようだ。プライバシーの侵害がとにかくすごくて、気が狂いそうだった。

自分には姉が1人いる。その姉といつも差別をされ、扱いが違った。細かい内容は省くが、人に話したら、「すごい差だね」「扱いが全然違うね」と驚かれる程だ(姉は可愛がられて、育ちました)。

ある日、親戚が亡くなり、告別式に行った時、母に避けられている感じがした。気のせいだと思っていたけど、後日、両親の話している会話を聞いてしまった。母は「あの子と一緒にいるのが恥ずかしい」と。父はそれに対して、何も言わなかった。母にとって、自分は 

ある日、自分が入浴したら「あんた、変な病気移さないでよね。家族に迷惑かけないで」と言われた。それ以来、自分は 汚い存在

家に何か問題があれば、母は「あんたが全部悪い。だからあんたが全部我慢すればいいんだ」と、家の問題の全責任を自分に負わせ続けた。

母は、見捨てられ不安がとても強くて、心の中は寂しさでいっぱいの人だった。母の自分への過干渉といった執着心は見捨てられ不安の表れ。その他の虐待は、支配するため(母から離れなれないようにね)。それと、母親自身の問題と向き合わないようにするため。虐待していれば、自分の問題と向き合わずにすんで、楽だもの。そう考えると、母はとても弱い人だった。

母が幼い自分を家に置き去りにしたのは・・・どうやら、外で男性と会っていたようだ。母は数十年に渡り、Kという男性とお付き合いをしていた。その他にも数人の男性と会っていた。どうしてかというと、寂しくてたまらないから。母も自分と同じ寂しさ(アタッチメントの問題)を抱えていたと思う・・・だから、母の気持ちもわからなくはない。母の気持ちを考えると、悲しくて泣けてくる。

自分は母が心に大きな問題を抱えているのがわかっていたから、母が少しでも楽になれば・・・と思って、あえて虐待を受けている時期もあった。そして、母親をどうしても助けたくて、いろいろ考えたりしたこともあった。でも、どうしても助けられず、苦渋の決断をした。自分にいろいろなものをぶつけている間は、母は母親自身の問題と向き合わないから、向き合わせるようにするしかないと、母親の目の前から消えることにした。つまり絶縁。絶縁は、自分から母への最期の愛情。絶縁後、母は親戚を使って、あの手この手で、自分に接触しようとしてきたが、パートナーが自分を守ってくれた。そして母は自分への憎しみがかなり増したようで、もっと酷い状態になった(汗。

去年の4月、父からメモみたいな短い手紙が送られてきた、母が亡くなり、告別式をしたと。母が亡くなっても、自分は涙が出ないだろうなと思っていたけど・・・何回か泣いた。49日の法事は行かなかった。

自分は結局母を助けられなかった・・・非常に心残りである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?