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5. 2007年東京NSC入学。お笑いの養成所とはどんな場所なのか?

東京NSC入学


2006年に事務所(キーストンプロ)が消滅し、コンビも解散した僕は相方を探すべく2007年、吉本興業の養成所である東京NSCに13期生として入学することになった。

キーストンプロの先輩である年中無休のまっこんさんと宮川さんは同期になった。年中無休さんは吉本に入りボーイフレンドという新たなコンビで再スタートをした。今まで先輩だった人が同期になるというのは不思議な感覚だった。

ここで問題になるのがNSCに入るということはキャリアをリセットするという事だった。どういう事かと言うと吉本に入る場合、過去の芸歴はカウントされないのだ。移籍により例外として継続の場合もあるが、基本はリセットなのだ。今までの芸歴はリセットされ、0年目としてスタートするということだった。更に吉本は他事務所の色のついた経験者を好まなかった。つまり、経験者だという事は隠さないといけなかった。

緊張の集団面接

面接は当時西大井にあったNSC校舎で行われた。ガチガチに緊張したのを覚えている。吉本の先輩は怖いと聞いていたがスタッフの先輩達はみんなニコニコしていて気持ち悪いほど優しかった。

そしてNSCは落ちるやつはいないとよく言われているが、実際はどうなのか?

その答えは落ちる人はいるである。

急に変なギャグをやるとか受け答えが出来ないと落ちるらしいのだ。吉本興業、意外とまっとうな会社である。

実際、集団面接だったがとっさに変なギャグをやり空気を凍りつかせる人達がいた。僕は無難に受け答えをし、無事合格したが、急に変なギャグをした人は案の定落ちていた。


僕らの期は約600名が入学した。クラスは計5クラスあった。ボーイフレンドは5組で僕は4組だった。入学して気付いたのは13期は異常な程に経験者の集まりだった。

この<経験者>というのが後に13期のガンになっていく。

NSCの授業とは

合格後、いよいよ授業が始まった。面接の時に気持ち悪いほど優しかった先輩達は死ぬほど怖くなっていた。ピリピリどころではなかった。15分前に来てないものは遅刻で授業には出れず、遅れたものはクビだった。今はないだろうが、暴力も当たり前にあった。なるほど、入学金を支払ってしまえばあとは、絞り込みなのだなとここで気が付いた。

授業は基礎クラスと選抜クラスに後々分かれていくのだが、最初は事前に振り分けられたクラス単位で動くことになる。クラスは1組から5組までの組単位とAからFまでのアルファベットがそれぞれあった。僕は4Dだった。ネタ見せの授業が数字の方の4組で、それ以外のボイスやダンスなどの授業がアルファベットのDだった。

僕が好きだった授業が2つある。

それはまずEXという授業だ。こわもての竹刀を持ったNSCの名物先生の授業だ。

内容はというと感情表現の授業である。喜怒哀楽の表現の練習をするのだがやり方が独特であった。

スケッチブックに怒りや悲しみなどの絵を毎週書いてきてその絵を元に先生が「笑えー」や「泣けー」などと指示をしてくる。

そして、怒りや笑いにも小中大のレベルが付けられ「はい小怒り」「はい大怒り」「はい小笑い」など言われた通りの感情に持っていくのだがその感情から感情への移行への作業が自分はとても楽しかった。


そして、次に好きだったのがラッキー池田先生のラッキーダンスという授業だ。これは本当に楽しかった。羞恥心を捨てるための授業でギャグなどを織りまぜたダンスを一時間休憩なしで動き回る。汗だくになるんだけど、これが本当に楽しかった。今もレッスン料を払ってでもやりたいと思う。

そのラッキーダンスの授業で一度だけピリついた事があった。いつものようにギャグダンスを音楽に合わせてみんなで躍り狂っていた時だった。テンションが上がってしまったのか一名、下半身を全部脱いでしまったのだ。

脱ぐというのは深夜のバラエティーなどではよくあるシーンだが、その直後ラッキー池田先生が、

「一回止めてー」
と音楽を止めさせたのだ。。。

先ほども書いたがこの授業は一時間休憩なく躍り狂う授業であり止まることはないのにだ!

しばらく沈黙があった後、ラッキー池田先生が

「さっき脱いだやつ誰だ?」

と言った。

みんな下を向きながらさすがにこの空気はやばいと思った。

つい忘れがちだがこれはバラエティーではなくあくまでも授業なのだ。脱ぐのはさすがにまずかったのだと誰もが思った。

恐る恐る脱いだ奴が

「すいませんでしたー」

と謝る。


するとラッキー池田先生は先ほどの冷静とは違い熱量をもって

「脱ぐのはあのタイミングじゃねーだろ!◯◯の所だろ!」

「脱ぐのはよかったんかい!」

と誰もが心で呟きました。

社会人になって辛いことがあったとき、「あーラッキーダンスの授業出たい」と今でもよく思うのである。

13期の仲間達との出会い

僕は経験者で声が出ていたので一発目の集団コントの授業だけはすぐに選抜クラスに上がることができた。


その授業の中で僕は衝撃を受ける事になる。

一人だけ声の出し方、見せ方が違う人がいた。それは少年感覚の久松君である。

「少年感覚やばいよ!あれは売れるわ」

そんな声をよく聞いていた。でも、少年感覚も経験者でインディーズ時代に見たこともあるし、警戒のし過ぎだと思った。しかし僕は実際に本人を見て久松君の才能には大きい衝撃を受けた。彼はもうプロの域に達していた。

実際に少年感覚は在学中からテレビにも出演していた。

13期は不作の年の様に言われるが当時は今にも売れそうな人が山ほどいた。と言うか完成度が異常に高かった。ボーイフレンド、◯-×、田畑藤本、笑鷺、KBBY、少年感覚、TEAM BANANA などがいてどのコンビも本当にレベルが高かった。ここには書ききれないけれど、めちゃくちゃ面白かった人が腐るほどいた。みんな面白くて完成度やレベルが高かった。

そして僕の相方探しはいよいよ本格的に始まっていく。


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