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夢日記 第一夜『塔』

こんな夢を見た。
真夜中、国道の高架下で死のうと思った。しかし、信号機が赤く灯るのを待っているうち、ふとある疑問が湧き上がってきた。高所から景色を眺めてみたら、美しいものが何かひとつは見つかるかもしれない。そうしたら、何も死に急ぐことはないと自分に言い聞かせられるのかもしれない。

薄暗がりの中、青白い街灯のぼうっとした光に照らされた階段が目に映った。歩道橋かと思い近づいてみると、それはこの場に不釣合なほど巨大な建造物の一端だった。歩道橋のように思われたのは外付けの螺旋階段であり、頭上には巨大な塔がそびえている。その塔はブリューゲルの有名な絵画に驚くほどよく似ていた。天辺まで上がれば、世界を一望できるだろう。私はその愚かしい建物の巨大な石段を一段ずつのぼっていった。

しかし、いくらのぼろうとも一向に終わりが見えない。右足と左足の反復運動にもいい加減飽き飽きとしてきて、後ろを振り返ってみる。だがそれで得たことといえば、来た道を戻るのにもまた絶え間ない反復運動を必要とするという事実だけだ。まったく、世の中全てが反復運動だ。天体も、歴史も、セックスも、心臓も、言葉も、空気も、血液も。そのどれもが鋳型に注がれたどろどろの金属に過ぎない。そうして独り言ちた後、このアナロジーもまた使い古されたドラマのワンフレーズだという事実に思い至り、ひどくやりきれなくなる。右足、左足、右足、左足。階段に足をかける度、天国との距離は少しずつ狭まっていく。

いつの間にか長い階段は途切れ、私は天空庭園の上に立っていた。少しく離れたところに、塔のへりから身を乗り出して眺望を臨む男女がいた。私も彼らと同じように、下界に美しい光景を見出だせることを期待した。そうすれば、この世に生きる意味も目的も自然と見つかるはずだから。しかし、彼らの横に立って見下ろした景色は、まったく見るに堪えたものではなかった。

私は再び絞首台へと続く、長い長い階段をのぼり始めた。ありもしない空想に取り憑かれ、目の前の現実を拒絶しようともがいているこの愚かしい男。この私という偏屈狂じみた病める魂は、塔の天辺に立った瞬間に心臓が美しい音楽を奏でることを期待してでもいるのだろうか。けれど、心臓はこれまでと同じように一定の速度で鼓動を刻むだけだ。新奇なることなど何一つとしてない。世の中の全ては絶え間ない反復運動を必要とする。天体も、歴史も、セックスも、心臓も、言葉も、空気も、血液も。そのどれもが鋳型に注がれた、どろどろの金属に過ぎない。おっと、これも既に語られたことだ。言葉はとうに出尽くした。私たちはもう黙るべきだ。

塔の天辺から覗いた景色はひどくぼやけていた。油絵のように輪郭のない、くすんだ白とミッドナイトブルーの世界。その中を何かきらきらとしたものが、緩慢とした速度で遠ざかっていく。あれは私の眼鏡だ。塔のへりから身体を持ち上げた時の衝撃で、吹き飛んでしまったらしい。

くそったれめ。裸眼では足下を見ることすら、ままならないというのに。面倒なことこの上ないが、あのいまいましいガラス板を取りに行かなければなるまい。だが、そのためにはこのとりとめのない視界で、永遠とも思えるような螺旋階段を降りていく必要がある。それに、あの眼鏡が無事だという保証もまたどこにもないのだ。いな、この高さから落下して決して無事であるはずはない。ともすれば階段を降りきった後、夜が明けるまで待ち、店で新しい眼鏡を購入してから、またこの場所に戻ってこなければならないというわけか。まったく、一体どれほどの時間と労力をかければ真実へとたどり着ける?世の中全てが反復運動だ。

私はこの愚かしいゲームへの興味が急速に失せていくのを感じた。ピエール・モリニエは、自分の精液を用いて珍奇な絵を描いた。ならば私はこの血と魂でもって、一枚のありふれた絵を描こう。陰鬱なキャンバスに真っ赤な花を一輪咲かせるのだ。私は空中ででんぐり返りをした。地表との距離が狭まるほど、天国との距離は相対的に近づいていく。地上への長い長い落下の旅が始まった。

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