世の中、コミニュケーション能力ばかりの理不尽さ。
世の中は、明るく元気な人が好まれる傾向にあると思う。
どんなにトラウマから精神障害からくるものでも、人付き合いを避け続けるとその付けがついて回る。
人付き合い苦手な人間は需要がない。
人間社会は、愛想良くコミュ力ある人間が求められる。
内向的で仏頂面で協調性がなく人に寄り添えない人間は、好まれない。
私だって、好きでこうなった訳では無い。人に寄り添える人間になりたかった。
もっと明るい性格でいたかった。
学校の者から頭ごなしに罵倒され、笑われ嫌われてきた。
社会に出たら、それで苦労したしクレームも来た。
くすくす笑われたり、変な目で見られたり、「あなた、変よ」「殻を破れ」
「何か抱えてるのかな?」と、余計なお世話を言われた。「過去に、何か嫌なことあったの?」「感じ悪い」「元気がない」などとも言われた。いびられることもあった。第一印象で蹴落とす人までいた。「気持ち悪い」「怖い」などと、悪口も言われた。こちらは限界なのに、コミニュケーションを求められたりもした。
私がこんなに内向的なのは、理由があるのにこれはあんまりではないか。こういう余計なお世話を言うような人達が居るから、内向的な人間は生きづらくなるのだ。
その人を表面だけで判断し、笑顔で明るいことを善と人たち。
人間社会で求められるのは、コミニュケーション能力、協調性。
色んな人と仲良くでき、共感しチームプレーを出来る人が求められる。
学校や社会でも、コミニュケーションスキルやその他対人能力やチームワークを磨くトレーニングがある。
だが、内向的な人の多くはそれに強い苦痛が要する。
本来の自分を押し殺し、無理して明るく振る舞う努力を強いされる。
誰でも変われる、笑顔、笑顔、もっと明るく、元気に、殻を破れ、心を開いて、もっと、元気に…などと社交性を求められる。
自分の性格を否定的に捉えてしまう。
こうして、内向的な人たちは心が押しつぶされ自信を喪失しありのままの自分を受け入れられなくなっていく。
自己肯定感が、どんどん低くなっていく。
劣等感で押しつぶされる。
社会から信頼されるために、無理して明るく元気に社交的に人に寄り添ってやっていく…
内向的な人には、その人にしかない長所がある筈なのに、何で、内向的なのは駄目な風潮があるのだろう?
何で、ありのままだと駄目なんだろう?
何で、その人本来の良さを見ようとしないのだろうか?
普段一人で何考えてるか分からなく見た目感じ悪いけど、実は優しい人だって沢山いる。
表面上明るくても、実は性格悪い人だって居る筈だ。
私は、どうしてもモヤモヤしてしまう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?