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僧正遍照の句を読み解く…

今日は…
筆が乗らないので…
先人の和歌から…
ちょっと色々と紐解いていきたいと思います。
来年の大河ドラマは紫式部が主人公で…
源氏物語に関するエピソードや
和歌・短歌に関する逸話が沢山出てくるでしょうから…
さて…
今回取り上げるのは…
紫式部より少し前の時代の人…
僧正遍照です。
出家前は…
良岑宗貞と名乗っておりました…
桓武天皇の孫にあたり…
子沢山な桓武天皇時代に父が臣籍降下している。
僧正遍照が活動していた同時期の歌人として知られているのが…
小野小町(9世紀頃の人・生没年不明)に在原業平・文屋康秀でしょうかね…

小野小町は…
紫式部の様に…
日記などが残されていない事から…
いつ頃活動・活躍していたのかとか…
そもそも…
実在するのかの疑問とかがあったりしたのですが…
先述の方々との文通したものが残されていることから…
9世紀頃に活動していたものと推定されています。
だからこそ…
深草少将とかの百夜通いの伝説とかが生まれたのでしょうね…

この深草少将…
僧正遍照の出家前の姿
良岑宗貞がモデルの一人だと言われています。
もう一人の候補が
深草大納言業平の長男 業宣だと言われています…

小野小町は…
美人かはともかく…
才媛だったのでしょうね…
あと…
平安時代だと宮中の女性に色白が好まれたそうなので…
今では意味合いが変わってしまっている面白いの語源もこの時期の成立らしいです。
当時は…
趣が深いとか…
美しいとかの意味合いで…
面白いという言葉が使われていました…

さて…
藤原定家が選んだ
小倉百人一首には…
次の句が採られています。

天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめぬ

仁明天皇の治世に
宮中で
毎年11月頃に行われていた儀式の舞「五節の舞」で
天女の姿で踊っていた乙女たちに見惚れて作った句だと言われています。
出家前は恋多きというか惚れっぽい男だったのでしょうね…
実際…
彼自身も子沢山だったようですし…
最終的には…
天台宗の僧正として出家させられたというのが正解なのでしょうね…
彼の教養の深さに敬意は払われていたようなのですが…
節操の無さもあったみたいなので…
坊さんになれば…
煩悩が抜け落ちるのでも周りが思ったのでしょうけど…
何だか…
そうはなかなかいかなかった気がしますね…

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