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#5 受動的な働きかたから、能動的な働きかたへ

この本は分類を拒否する書籍だ。学術の世界は絶え間なく細分化が進んでおり、近頃の大学院生はそうした狭い専門分野を極めることでしか、大学教員などの職に就くことができない。職に就いた後もなお専門分野に閉じこもり続ける人が多い。しかし、私は違っていた。そんなまっとうな人生を送るために大学院生として勉学に励んだのではない。私は自分の道楽に一番近い仕事として学者を選んだのである。職に就いてしまえばこっちのもんだ。日々額に汗して働いている善男善女のみなさんには申し訳ないが、私は好き放題生きる。道楽人生まっしぐらだ。そして、私にとって最も道楽的なのは楽しい本を書くことだ。

井上智洋『純粋機械化経済』上[2022: pp.iii-iv]

 これからわたしたちの社会は変化していきます。恐らくそれは生成AIが発展していくことによって進んでいくことになるでしょう。そして、その変化は人間の生きかたをどのように変えていくのでしょうか。ベーシックインカムが施行された未来においては、人々にとっての「労働」の意味が変容することになると思います。わたしたちは生きるために働き、その労働の対価として賃金をもらっています。もしも、その賃金を働かなくてももらうことができるのならば、そのときあなたは今やっている仕事をまだつづけますか。この問いに対して「イエス」をいえる人は、どれだけいるのでしょうか。ただ問題なのは、仮りに「仕事をつづけたい」と思ったとしても、未来においてその仕事が「まだ残っている」という保証はどこにもないことです。少し前までは、いわゆる「ブルーカラー」の仕事はAIの進化によってなくなっていく(かなり少なくなっていく)といわれていましたが、今ではいわゆる「ホワイトカラー」の仕事のほうがAIの進化によってなくなっていく(かなり少なくなっていく)といわれています。では今度は、「ブルーカラー」の仕事ならば大丈夫なのかということになりますが、結局それもまた程度の差でしかないのであって、「ブルーカラー」の仕事であろうが、「ホワイトカラー」の仕事であろうが、どちらとも仕事はなくなっていく(かなり少なくなっていく)と思います。

 そんな未来において、わたしたちはどのように労働をすることになるのでしょうか。「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉がありますが、そうはいっても、ずっとわたしたちは「パン」のために働いてきたのです。この「パン」のための労働から、恐らくほぼ強制的に、わたしたちは解放されるのです。そして、最低限必要な「パン」は自動的に運ばれてきます。それによって、明日の「パン」に悩むことはなくなるでしょう。このような状況になったとき、その与えられる「パン」だけで生きていこうとする人たちは一定数いると思います。ただ、ほとんどの人たちがそういった生きかたを選択することになるとはとても思えません。とはいえ、これまでのように小遣い稼ぎとしてちょっとした仕事をしておこうと思っても、ほとんどの仕事はAIによってなくなっていますから、そういった働きかたをすることはできません。

 今までわたしたちは近代的な労働環境において、まるで機械の歯車の1つとして働いてきました。また、多少やりたくないことでも、それを我慢して働いていれば、それで賃金がもらえました。それはある意味、「受動的」な働きかたであったといえると思います。シンギュラリティを過ぎた後の世の中においては、そのような「受動的」な仕事はほとんどなくなってしまい、人々は「能動的」に働くことを求められます。とはいえ、いきなり「なんでも好きなことをやっていいよ」といわれても、それはそれで困ってしまいます。そういったことが苦手な人もいると思います。反対に、今でもすでに労働をうまく乗りこなして、そのうえで自分の好きなこと(楽しいこと)をして生きている人もいます。そういった人たちはシンギュラリティ後においても、その労働の部分がベーシックインカムに置き換わるだけで、「好きなこと(楽しいこと)をして生きる」部分に影響はありません。その好きなこと(楽しいこと)がAIに奪われていないかぎり、そのことをやりつづけていくことができるでしょう。

 ただ、そういったことが見つかっていない(苦手としている)ような人々はどうしたらよいのでしょうか。ここで大事なことは、今すでに好きなこと(楽しいこと)をしている人たちと「同じこと」をする必要はないということです。無理やりその人たちと同じことをしても、絶対にうまくいきません。好きだから誰にもいわれなくても勝手にやっているような人たちにはなれないのです。なので、すでに輝いている人たちの真似をするのではなく、自分の〈個性〉を伸ばすことが必要になってきます。その〈個性〉とは「すでに与えられているもの」であり、それを伸ばせばよいのです。決して「無理に探して見つけるもの」でもなければ、「こうなりたいと思ったから作るもの」でもありません。すでに与えられているそれぞれの〈個性〉を伸ばし、それによって経済を回すことができればよいわけです。

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