発病ー私は何も知らなかった。私は守られていた。
私は1985年に3人姉妹の末っ子として生まれました。両親にも歳の離れた姉2人にも可愛がられ、のびのびと育ててもらったと思います。
学校が大好きで、小学校高学年になると部活動が忙しくなり、小学生ながらも帰りは18、19時は当たり前の毎日。
そんな努力が報われたのか、小学校6年生の時、県で初の全国大会出場を決めました。小さな商店街の一画に、横断幕が掲げられたことを今でも覚えています。
学校の行事には必ず来てくれた母。
しかし全国大会当日、会場に母の姿はありませんでした。
当時、大学生だった姉が代わりに応援に来てくれました。
当時12歳だった私は、勿論母が来てくれなかったことに対して寂しい思いはあったけれど、それ以上深くは考えませんでした。
だって、何もわからなかった。
私は、常に守られていました。
(以下は、姉から後になって聞いた話です。)
我が家の歯車は、この出来事が起こる数年前から既に狂い始めていました。
初めは、近所の人が自分の悪口を言っていると言い出しました。
確認のために、家族が家の周りを歩いてみたが、何も聞こえない。
押入れの中に潜り込んで、ガムテープを口に貼ったり、「車の中にも盗聴器があるから」といって家の車に乗りたがらなくなりました。
スーパーに買い物に行くと、すれ違い様に自分の悪口を言われている、と言って外出もあまりしなくなりました。
徐々に症状が進行していくにつれ、私も、母が「いつもの母」ではないことを理解し始め、私も「家族の一員」として、母に病院に行く様に説得するようになっていくのです。
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