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「エルピス」感想と、藤井風を通してこの1年思ってきたこと

 ちょうどタイトルのことを考えているときに、あるnote記事を読み、コメントさせてもらった。

私のコメント

「IIYYprojectの意図に著しく反する内容は受け付けない場合があります。」と回答フォームにあり、おそらく意図に反するグダグダの内容となりますので、コメントにてお伝えします。

私は日々、さまざまなコンテンツから感銘を受け続けています。自分の中に残るものもあれば忘れていくものもあります。

今週月曜日は、テレビドラマ「エルピス」が発するメッセージに感銘を受けたばかりです。

(ドラマの締め部分です)
『これから君はどうするの?』
『正しいことがしたいです』
『あのね、岸本君。どっちが善玉で、どっちが悪玉とか本当はないらしいよ。この世に本当に正しいことなんて本当はないんだよ』
『マジすか? じゃあ、僕はどうすればいいんですかね?』
『だから正しいことをするのは諦めて、代わりに夢を見ることにしようよ』
・・・『そっかと思ったけど、一体、どんな夢を見ればいいのかが僕にはまだ分からない』

この部分が特に腑に落ち、今のところ今後の生き方の指針にしようとさえ思っています。
人に話すとき、この考え方を引用するかもしれませんが、その際出典については言及しないと思います。

また、今日はこのnote記事で「わたしはわたし、あなたはあなた」というメッセージを良いなあと受け止めました。これは、一般的に言われる「アイメッセージ」(私を主語にした表現)と同じ意味かと思います。

私は藤井風の表現からも、この1年ほどさまざまなメッセージを受け止めてきました。
ちょうど、個人的に執着(私の場合は子どもに「お金がない」と絶対に言いたくないという執着)から解放された時期だったため、藤井風のメッセージの1つである執着からの解放が心に響きやすかったのかもしれません。それから、藤井風は「アイメッセージ」の人で、そこも良いと思います。

人は日々、音楽などのコンテンツからメッセージを受け止めています。

藤井風のアルバムタイトルが、もし何かからの引用であっても、引用元をさらけ出させる必要はないのではないでしょうか。
私が生きづらさを感じさせられてきた「家父長制」なども、宗教の影響が多いにあったのね、とずいぶん大人になってから気付きました。それに近い危機感を藤井風に感じておられるのなら、一人の青年に対して感じる危機感があまりにも壮大ではないでしょうか。

長いだけで伝わりにくいとは思いますが、まだ若い個人であり公職に就いているわけでもない藤井風を、あまり糾弾しないでやってほしいというのが、私からの意見です。