見出し画像

ログを語るー年明け早々

意味)木材丸太のこと
   情報基盤等における記録

言葉は常に変化して、文部科学省も大忙しだ。

そのターゲットの元は外来語である。
外来語は、明治頃、カステラなど洋の文化が入ったのを契機に始まる。それは、今では新たに作った造語や元あった言葉に意味を付け足すので、結果意味が想像できないモノであったりする。

なので例えば街の中にある広告に、見知らぬ土地の人が来てみたモノが外来語であった場合、
知らない場合はともかく本来の言葉と違う用い方にfunnyな感覚を覚える。

あのニホンゴ変ですねー
あの使い方はしません。

そんな声が止まないのは、大方この種類の問題が原因だ。

使うのに疲れる事、まどろっこしい物等は、言葉として使用するのに相応しくない。

無論、言語学的には、その進歩は発展的である為、社会経済的に許容されるべきとの論もある。

だから、情報が溢れる事とその先に何が起こるのかは、向かう矛先によって違うと言える。

ありがとう、元気でな。
そんな声が聞こえなくなって久しい。

街中の人が言葉を発する以上に見栄や外見を気にする場面を目の当たり事が多くなったのも、そのせいではなかろうか?

ところで、
令和に元号がなった時、幾人がこの意味を理解したかのー。違和感なく受け入れ理解した人は少ないでは無いだろうか?

それは言葉の持つリズムや語の意味が現代に馴染みなかったからではなかろうか?

乱れた世の中には、正しい指針や目標が必要なのは言うまでも無く、政府はこの言葉に、
人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つとの意を込めた。

本当に難しい時代、でも言葉から世界を捉え直す事は凄く大事だと思う。と言っても駄文が主な私の筆の評価をことさら押し下げてしまうのも無理は無いだろうけども。

画像)Stable Diffusion 1 Demoより作成


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?