見出し画像

私が夏が終わる前にしたいのは、いかにも夏っぽい思い出の1ページとかそういうのじゃなくて

わたしは、自分の持つ限られた時間、お金、体力、気力たちを、大切にしたいものに割けているのか、と最近思う。

自分は体力がないと思っていた。今も思っている。だけど、それは私がいらないところに気力を使い、自分にとって苦しい環境に身を置いているためにストレスを溜め、自分が苦しむような思考をしてより一層ストレスを溜め、結果として気が付かないところで体力にまで影響を及ぼしているのではないかと思っている。

ここまでの気づきはかなり前にしていたけど、じゃあどうすればいいか?というところがなかなか前に進まない。
私は欲深いと思う。お金で買えるものも買えないものも、欲しいものが多すぎる。なんならあと100回は生まれ変わらないと得られないようなものまで、ちょっといい洋服と同じ感覚で欲しいと思ったりしている。その欲深さゆえに行動できたこともあるから100%悪いとは思わないけど、「自分」の可能性の枠を超えて何かを望むのは、もはや自分に対する冒涜でもあるような気がしている。

欲深さゆえに行動できたこともあると言ったけど、実際は「できたこと」よりも、理想が高すぎて現実とのギャップに苦しんで体が動かなくて「できたはずのことまでできなくなった」ことの方が多いと感じる。

そうやって苦しんで、「自分は何もできない人間だ…」と本気で思うのは私の勝手っちゃそうだけど、できたはずのことを適切に積み重ねれば、私の完璧な理想までは届かなくても、今よりももっと自分のことを肯定できるだろうし、自分の納得するゴールやそれ以上に到達することもありえると思う。そして、自分を肯定して、自分のいろんなことに余裕を持てて初めて周りのことをもっと大切にできると思う。

環境も、考え方も、行動も変える必要があると思うけど、何もかも一気に変えるのは負担があるし、私にとって何が1番段差の小さいステップなのかを考えるのが難しい。こうすれば良くなるんだろうというイメージがつくこともあるけど、現実との擦り合わせが苦手な自分はその作業が面倒で後回しにしていることもある。

周りの人間の優しさや愛に気がつけても、自分がそれと同じだけ返せていないことや、対人関係に自信が持てないと思ってしまう現状を変えたい。
現状になんか不満で、なにかしたいとずっと思っているけど、最終的に行き着くのは、周りの人を大切にできる自分になりたいと思っていることだと思う。そういう自分になるための手段として、自己実現をして、まずは自分を認めることから始めたいと思うんだろう。それに、周りの人を大切にと言ってもそれを達成できているかどうかは私が決めることじゃなくて周りの人が決めることだ。私にできることじゃないなら、私は私のできることを考えるしかないのだ。そう思いながら今日もベッドで唸っている…

突発的なことを思いついても、それを行動に移していいのか、もっと小さなステップでまずはやれることがあるんじゃないのか?と思う反面、自分の衝動も全てが無駄ではないと思うし、自分の衝動…計画性はないそれをどこまで尊重して、どこまでは理性で抑えるべきなのか、どこまで心で考えていいのかが分からない…
小さなステップも今まであまり踏めた経験がないし、そこを努力するべきなのか、なんだか考えているうちに思考回路がショートして、短期的な逃避をするためにSNSに時間を溶かしてしまう、そんなルーティーンから抜け出したい、夏が終わる前に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?