紡希(つむぎ)が紡ぐ出会いの宝物 2章 「楽しい!」を奏るために

「私は中学1年の時の音楽の先生の授業が好きだったんだ。うまく説明できないんだけど、優しいだけじゃないって感じの先生なの。」 姉がこうやってスラスラと話してくれたのは今日が初めてかもしれない。自分の過去を誰かに話すって何故か少し緊張するし、その場の雰囲気を暗くしがちだと思う。でも、姉が並べる言葉は、ふんわりとした雲のようなものばかりで、周りを同情させることはない。癒しの音楽のようにずっと聴いていられるのだ。  「だから音大を目指したの?」  「憧れてたけど入る時の理由は違う。あの先生も音大を卒業してたんだけどね。吹奏楽部でキーボードやったのが一番関係してるかも。部活で先生や先輩、後輩とたくさん練習して成功させたスクールフェスの『ミュージックライブ』。あれはずっと忘れられない。あとはそうね・・・。コンクールにダメもとで応募して、優秀賞をとれたことかな。」 姉は幼い頃から奇跡を掴むラッキーガールだ。コンクールではオリジナル曲の作詞・作曲全てを自分でしていた。徹夜で考えていたこともあったし、外出する時は貴重品のようにノートとカラーペンを必ず持っていた。あの時の私は、やりすぎじゃないかと姉の体や心の心配ばかりをしていたと思う。でも、今は少しだけ姉の気持ちがわかる気がする。本気で勝ちとりにいきたかったんだと・・・。本気でぶつかりに行ったのはミュージックライブもだ。私は小学生だったから見に行くことはできなかったが、今までで一番熱いライブだったという噂は聞いた。姉は部長にはならなかったが、グループ練習の時はいつもリーダー的存在。みんなを成功へと導く翼だったらしい。  「中2までだったんだ。何もかもがうまくいくっていうのが当たり前じゃないんだって気づいたのは中3だった。高校受験の志望校選択ですごく悩んだの。しかも、進路で悩んだのは中学の時だけじゃない。高校ではもっといろいろ抱え込んでた。」  「どうして?自由に決めれたんじゃないの?」  「確かにお父さんもお母さんもやりたいことをやればいいよって言ってくれたよ。でもね、私にはそれが難しく感じたの。お父さんとお母さんは夢を叶えてるからそう言えるかもしれない。でも、私はまだ自分の力で未来を予想して動くことができない。それなのに、自由でいいよなんてって思った。周りに相談したくても、誰ならわかってくれるだろうって考えるだけで、自分の殻に閉じこもってばかりいたの。紡希みたいに夢を手にする瞬間を見るってことができなかったし。」 姉の抱えていた悩みは私のとは違っていた。前を歩いてくれる人がいないという不安・・・。私が知ることのなかったこと。姉妹で上になったからこそ思うことなのかもしれない。私の前には進路が違っていたとしても姉の足跡がある。姉の前にはどういう世界や道があったのだろう。ずうっと前にはお父さんやお母さんの足跡があるかもしれないが、1歩踏み出した先はどうなっているだろう。  「音大に行くんだって決めたのは高2。中学の頃の幾つもの奇跡を思い出して、それらを活かせることがしたいって思ったの。私が出会った奇跡は全て音楽から。だから、音楽を専門的に学んで、奇跡を奇跡以上のものにしてみたいって思って選んだんだ。歌じゃなくて楽器を選んだのは、もちろん吹奏楽部での活動の影響だよ。コース選択で真っ先にこれだって思った。」  「高2の時に中学の頃のことを引っ張り出すなんて何かあったの?」  「私中学卒業して高校に入ってから、1どあの音楽の先生にカフェで会ったんだ。偶然だったからすごく驚いたけど。その時の私は高2になったばかりで、進路希望調査のプリントで悩んでたの。進級していきなり渡されたから。それで、ずっと決められなくて・・・。カフェで先生に相談したんだ。今悩んでることや進路の選択のこと、周りとの関わり方、自分との向き合い方・・・。他にもたくさん話した。そしたら、中学生の頃の私のことを教えてくれた。どういう生徒として見ていたのか教えてくれた。」  「恥ずかしくなかったの?」  「もちろん落ち着かなかったよ。でもね、その気持ちより気づかせてくれてありがとうっていう気持ちの方が何倍も強かったかな。そのおかげで今の私がいるんだって思ってるから、ずっと。」 姉の世界はカモミールティーのように優しく温かいものだった。先生との偶然の再会が彼女の心を動かした。そして、夢の1歩、一つの音符を手にして今を歩いているのだ。彼女は軌跡に救われているだけのラッキーガールなんかじゃない。軌跡を勝ち取りに行く勇者だ。  「じゃあ、今はどんなことを目標にしてる?」  「まだ具体的には決まってないけど。音楽の先生になりたいっていうのはずっと変わってないよ。音楽っていう漢字の並びどおり楽しい音を伝えたり、奏たりして、みんなに寄り添えるような先生が今の理想かな。」 姉らしい答えだし、目標だと思う。私には持つことができなかった前を歩いて行く力や自分で切り開いていきたいという強い気持ち。彼女は妹で生まれたかったと言っていたけど、私は彼女を尊敬している。自分の力で切り開くだけじゃない。時には誰かと足跡を並べて歩いて、ヒントの道を探して、見つけたらまた一人で先へと進んで・・・。私にはそんな力あるだろうか・・・。  「時間遅くなっちゃったよね。話し聞いてくれてありがとう。」  「私も嬉しかったよ。いい勉強になったかはわからないけどね。」  「えー!そこはなったって言ってよ。まあ、私も自信持って話せるわけじゃないけど。」 私たちは残っていたケーキを食べきり、レジのカウンターへと移動した。今日は姉が二人ぶん出してくれた。彼女は福餅を二つ買い、私にお礼だとさしだした。手に乗っていたのは四葉のクローバーの形をした福餅だった。洋菓子を出しているのに和菓子も置いているなんてはじめは不思議なカフェだと思っていた。でも、なんかわかるような気がする。この和菓子が姉のように見えるから。  店を出た後は図書館に戻った。姉が父に差し入れを持って行きたいと言ったのだ。姉が買ったもう一つの福餅は桜の葉の形をしていた。きっとこの形の違いや姉の選び方には理由がある。でもこれを聞く相手は姉じゃない。いつかもう1度あのカフェに行きたい。そして、直接聞いてみたい。なぜ和菓子も置いているのか、どうしていろんな形を作っているのか・・・。  父は、ちょうど休憩時間だった。私たちは父の部屋に入らせてもらった。中は広めで棚が並び、たくさんの本屋資料が置かれている。ここも一つの図書室のようだ。  「二人ともきてくれてありがとう。最近、なかなかちゃんと話せてなかったけど、それぞれうまく行ってる?」 私はすぐに答えられなかった。言葉がうまくまとまらない。姉の顔を何度も見てしまう。彼女なら話せることがあるだろうと思った。彼女の過去はわかったけど、今の顔は少し輝いて見える。私とは少し離れた場所、てが届かない場所にいるような気がする。父はもっと先にいる。私の姿は小さく薄く写っているだけかもしれない。  「私は一人暮らしに慣れてきたかな。不安になることもあるけど、友達に相談したり、近所の人と繋がったりできてるからなんとかなってるよ。」  「そうか。進路はもう変わらない感じ?」  「うーん、今は音楽の先生を目指そうて思ってるけど・・・。もしかしたらどこかで変わることもあるかもしれない。」  「そっか。音楽関係の本は今あまり並べてないから何か必要だったらいつでも探すよ。」  「ありがとう。」  「紡希は?」  「私は・・・。」 どう話せばいいかわからない。父と二人の時はいつも家の中だった。姉も入って話すのも久しぶりかもしれない。なぜか少し緊張している。面接を受けにきたわけじゃないのに・・・。学年が上がっていくと、こうなってしまうのはしょうがないことなのだろうか。幼い頃はよく話して、よく遊んでいたのに。距離を置こうとしているのはどっちなんだろう。  「友達は作れた?」  「一人いるよ。実っていう子。」 それ以上は何も話せなかった。姉は笑っていたが、たぶん雰囲気を壊さないようにするため。私のためか父のためかはわからないが、気を使ってくれているのだろう。親とのちょうどいい距離感がわからない・・・。父とは中学に入ってからあまり話せなくなった。仕事が急に忙しくなったのもあるかもしれないが、私が父から離れるようになったのだ。友達がいなかったとしても、一人の時間は欲しいし、ないと落ち着かなかった。それが治った頃には、もう父とも母とも話しにくくなっていたのだ。あの頃の私は、それでいいって思っていた。自由が自分を支えてくれる。勉強以外の楽しみはそれだけって思い込んでいたのだ。でも、今は後悔している。将来のことを簡単な言葉で話せたかもしれないのに・・・。今からでも遅くないのはわかっている。でも、1歩の踏み出し方がわからない。どうして姉はあんなに普通に話せるんだろう。やっぱり歩いてきた世界の色が違うからだろうか。  「ごめん。そろそろ時間だから仕事に戻るね。また話そう。」  「うん。あっ、お父さん。これ、よかったら食べて。この近くにある幸福カフェで買った福餅っていう和菓子。」  「ありがとう。」 父は姉から福餅を受け取り、嬉しそうに笑っていた。私は何も父にあげられなかった。最近の出来事の話も悩みの種の半分も・・・。何かを差し出していたら、今の姉とのやりとりのように優しく受け止めてくれただろうか。父が誰かの言葉をぐちゃぐちゃにするような人じゃないのは知っている。でも、読者として話す私と家族として話す私はやっぱり違う。それは父もそうだと思う。だけど、何かが引っかかって言葉が選べないのだ。  結局、最後の最後まで打ち明けられずに時間は流れてしまった。図書館を出た後、姉は私の顔を何度も覗き込んできた。すごく気持ちが悪いが、これは姉が心配してくれている証拠だ。何も言えなくなった私。言葉を紡げなくなっている・・・。このまま誰にも話さずに姉だけに頼るなんてことはできない。でも、どうして姉は隠すことなく、優しい言葉で過去を話してくれたんだろう・・・。私だったらいいことだとしても、自慢になってしまうからと話さないのに。  「ねえ、なんで話してくれたの?お姉ちゃんの過去のこと。恥ずかしいとか嫌とか思わないの?」  「あなたの力になりたいからだよ。先を歩く足跡としてじゃなくて、妹の一部になれる姉として。お母さんやお父さんは私から見てもすごい人だよ。自分の好きなことを仕事にするのはたくさんの努力がいるから。でも、すごい人たちがそばにいるからって私は同じような道は選びたくない。お父さんもお母さんも、きっと私たちが娘だから近くで寄り添ってくれている。でも、もし違ったら、見てる世界が全然違うかもしれない。私にはそれが怖いことなの。期待されるっていう目に囲まれながら生きることになるから。だからね、うまく言えないんだけど・・・。一緒に悩んで解決策を見つけられる関係の人たちの中で私は生きたいなって思う。だから、紡希の1枚の羽にもなりたいんだ。あなたのそばであなたを支えていたい。」 姉の言葉が私の弱っていた心を温めていく。姉はきっと『一人じゃない』と言ってくれたのだ。彼女の言葉にあるのは優しさだけじゃない。暖かくてどこかホッとする甘さが眠っているように感じる。  「ありがとう。」  「うん。だから、いつでも聞くよ。それに、お父さんとのことは少しずつでいいんじゃない?急に自分を変えるなんて簡単なことじゃないし、いきなりそれをしたら、自分自身が疲れちゃうから。」  「そうだよね・・・。」 やっぱり姉には気づかれていた。でも、心のどこかでは気づいてほしいって思っている自分がいたかもしれない。ありがとう・・・。  「今日、私の家泊まっていく?」  「いいよ。明日また学校あるし。」  「じゃあ、わがまま言わせてよ。」  「えー!何言うつもり?」  「私が紡希といたいから今日は泊まりにきて。」  「明日送ってくれるならいいよ。」  「それはもちろんするよ。」  「だったら・・・うん。」  「やった!ありがとう!」 こう言う姉は久しぶりに見た。っていうか前よりも甘え上手になっている気がする。これからどんなわがままを言われるのか心配だ。姉の彼氏になる人も大変そうだ。でも、姉はいつもそうってわけじゃないから大丈夫。たくさんの人に好かれる彼女にはそういう1面がないとなんか足りない気がしてくる。私はどんな大学生になっているだろう。いや、その前にどんな道を選んでいくだろう。周りに合わせることが多いから、将来のことも影響を受けて進むことになるのだろうか・・・。それだけは絶対に望まない。夢だけは自分の力で見つけて叶えたい。  姉の家は幸福カフェから少し歩いたところだった。家の中は机が二つ、テレビ、調理場、冷蔵庫、トイレ、お風呂があった。あと棚も三つほど置かれていた。少し広い部屋を並べたくらいの大きさだ。机のそばにはハート型のクッションが置かれている。友達からもらったものらしい。窓の方には白に水色の水玉模様が付いたカーテンがあり、閉まっていた。普段外にいることの方が多いから閉めたままなのだと彼女は言った。  「夜はミルクスープと買ってきたパンと簡単なサラダにするね。紡希も手伝ってよね。」  「わかった。」 姉は料理をする時必ずサラダを作る。野菜がないと気持ちが落ち着かないらしいのだ。ミルクスープにもほうれん草やにんじん、コーンなど色とりどりの野菜を入れていた。サラダももちろんカラフルだった。私はフランスパンを切りきるので精一杯で、それ以外のことは全て姉がやってくれた。彼女は手作業がすごく早い。私は姉ほど器用じゃないから時間がかかってしまう。ほんの少しだけうらやましいと思う。  完成したスープとサラダは姉の言葉と同じ優しくて温かい味だった。私もこんな料理が作れるようになりたい。誰かを優しい音で癒すような幸せを呼ぶ料理。姉の奏でる音は夢だけじゃなくて、生活にも響いていると思う。私の憧れの人。暖かな夢への1歩というかけらをくれてありがとう・・・。私は次のかけらを集めに出会いの旅を続けるね・・・。

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