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ディランの哲学的出発点

自我が目覚め始めた中学生のころ、
周囲と違和感を感じながら生きていた。

学習についていける、いけないといった日常ではなく
(もちろん、ついていけていないのだが・・・)

自身が何者なのか。
何のために生きているのか。

中学生にしては、かなり早熟だった。

そして、不器用だった。
ストレートに、疑問を周りにぶつけ、
反感を買った。

中学生なりの考えや行動をすればいいものを
背伸びして、足らなければジャンプして
おとなの世界を見たかった。

斜に構えて世界を見るようになった。

のちにマイケル・サンデル教授「白熱教室」
を見たときにハッとした。

哲学を学ぶ個人的なリスクとして、

「これまで知っていること、
 慣れ親しんだことに直面させ、
 見知らぬことに変えてしまう

 しかし、見え方が一度変わってしまうと
 二度と同じようには見れない」

背伸びして、ジャンプして違う世界を見てしまった。
それは、二度と戻れない「ものの見方」として
私のからだに刻まれた。

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