泥の海を渡る㉔

入院する前日。
彼と二人きりになった。
自分の部屋で黙々と入院準備をする中
彼は泣いていた。
「自分も普通の高校生でいたかった」
「留年したくなかった」
「バスケットを続けたかった」
「みんなと同じように勉強したかった」
「大学にも行きたかった」

私は黙って彼の話を聞くことしかできなかった。
私のせいだ。
私が彼の人生を奪ってしまった。
声を殺して泣いた。
また
私は自分の頭を打ち付けることしかできなかった。

入院当日。
両親揃って診察室へ呼ばれた。
「入院したくない」
彼から言葉が出た。
主治医からは
最後にまだ投薬していない薬があること
入院して投薬して治療する方法が残されていること
これから少しでも改善できるかもしれない可能性があること
主人からも彼に同じ話をした。

最後に私をじっと見た。
私の最後の仕事だ。
母親としての仕事。
私が彼に最後にしてあげられること。

「できれば家で過ごす選択肢を残してあげたかったけど
私にはできなかった。
本当に
本当に
ごめんね。
今は17歳で親が保護入院をお願いすることはできるけど
18歳になれば成人になってしまって
保護入院はできなくなってしまう。
最後のチャンスだと思う。
あと1年、頑張ってみよう。
新しい投薬が効けば
学校にも
社会にも
もしかしたら復学できるかもしれない。
大学にも行けることもできるかもしれない。
本当はお母さんが一番悪い。
こんな病気にしてしまって
こんな母親で
本当にごめんなさい。
本当にごめんなさい。」
自然と涙が出てきた。

主治医は1年半前、最初に担当してくれた先生だった。
いつも担当している主治医がいないため
緊急入院したことを知り
診察をしてくれることになった。
失語症、拒食症で入院した時に担当した先生だった。
コロナ禍の中、医療現場も大変な中で
誰も手を指し伸ばしてくれなかった時に
話を丁寧に聞いてくれた先生だった。

もしかしたら
もう2度と先生と2度と話すことはもうないかもしれない
と思った。
最後と思って
自分の思いを全て伝えた。

「この1年半、必死で彼と闘ってきました。
こういう結果になってしまって
本当に悲しくて残念です。
そして、生まれて初めて
絶望という言葉の意味を知りました。

先生、
最後のお願いがあります。

どうか
彼に
希望を見せてあげて下さい。
私達には与える事ができなかった希望を
どうか
見せてあげて下さい。
彼に
僅かな光でも良い
細やかな光でも良いので
希望を見せてやって下さい。
親としての最後のお願いです。
どうか、
どうか、
お願いします。」
頭を下げた。

彼は黙っていた。
暫くの沈黙の後、
「入院します」
自分の口ではっきりと話した。

もう2度と
彼と会えないかもしれない。
治療もいつまで続くかも分からない。
いつまで入院費が払えるのかも分からない。

辛かった。
私のせいだ。
全部、私のせいだ。
私の頬から涙が溢れた。

彼は
静かに
穏やかに
入院準備の詰まったキャリーケースを持って
看護師と一緒に入院病棟へ進んで行った。

もう言葉が出なかった。
私も泥の海へ進もう。
迷いはもうない。
私も振り返らず
穏やかに
一歩ずつ
足を入れて行こう。
思い出を胸に
一歩ずつ。
怖くない。
私は
良い妻
良い母
良い社会人
良い娘
にはなれなかった。
最初から分かっていたのかもしれない。
出来ないのに
出来る、と思ってしまった自分を
心から悔やんだ。

あと。
一つ。
最後の約束を守る。
弟をヤングケアラーにしない。
それだけ。

病院を出る時
振り返る。
「少しでも彼の病気が治りますように」
祈るしかできない。

そして
深呼吸を一つ。
覚悟を決めた。
あと少し。

雪道を踏み締めながら
覚悟を決めた。
あと少し。




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