泥の海を渡る⑲

学校から帰宅した。

本人から連絡が来た。
良かった。
涙が出た。
こんな時、家で出迎えてあげれば良いのかもしれない。
でも仕事で叶わなかった。

私は彼が体調不良になってから
在宅勤務を増やしてもらった。
本当は介護、福祉の仕事で現場の皆さんと仕事がしたかった。
事務仕事は本当はあまり気持ちが進まなかったが
自分でできることをやる、
自分にしかできない仕事がある。
自分で納得させて過ごすようにした。
それに
良い妻
良い母親
良い社会人
になる。
私のような生き方をする職員が一人でもいれば良いな
と気持ちを思い直して仕事へ向かうようにした。

帰宅してから
投薬ノートを見ると
頓服薬
睡眠導入剤
の使用が記入されていた。
睡眠導入剤の使用が少し早いのでは?
と思ったが
様子を見ることにした。
夕食時
少しだけ
晴れやかな顔と
不安の混じった顔。
私と2人になった時
「やっぱりまた1年生になるのは
嫌だな。」
他クラスの女子に
「あの人、留年したんだって」
って覗かれたような気がした。

「気のせいだよ」
「いろんな人がいるから」
「明日になるとまた違うよ」
彼には気休めにしか聞こえなかったのかもしれない。
投薬をしてまた横になった。
明日から少しづつ登校時間を長くしていく。

明日になればまた違う日が来る。
希望の日が来る。
学校に戻って楽しいと思える日が来る。
私には願うしかできなかった。
励ますことしかできなかった。

次の日、自転車での通学をした。
帰り道、中学校時代の友達と再会したらしい。
自転車に荷物だけ置いていなくなっていた。
まさか…。
必死で探した。
少しだけ笑顔で帰ってきていた。

安堵感で涙が出た。
こんな瞬間が少しでも増えていって欲しい。
そう願った。

1学期間。
通院で欠席することはあっても
欠席日は3日間のみ。
通院で学校を休まなければいけない日も
「みんなと一緒に課題を出したいから」
と話があったので
午後からの通院へ変更してもらった。
成長を感じてただ、ただ、嬉しかった。
待ち時間、笑い声をあげて過ごす時もあった。

早退する日もあったが
1学期間を過ごせたことが良かった。
夏休みを静養すれば
また私が支えてあげれば
2学期を過ごせる。
私が我満すれば
私が絶えれば
きっと進級できる。
最後まで信じていた。

手術後
私の体は思うようには動かない時もあったが
休みながら定期考査の手伝いをしたり
一緒に教科書を開いたり
できる限りのことをした。
投薬のせいか
病気のせいか
身だしなみに気を遣うことがうまくできない時もあった。
周りの子ども達に不快に思われることのないように
月1回、散髪にも連れていった。
訪問相談の先生とも話し合いをしながら
学校生活がうまく進むようにしていった。
具合の優れない時は送迎もした。

水泳を10年間習っていたのもあり
水球を体験してみるのも良いのかもしれない
と2人で話し合って
練習に参加させてもらった時もあった。
「水着になるのは嫌だ」
「誰かに見られている気がするから嫌だ」
と言って早々に諦めて帰ってきた時もあった。
まずは学校生活を安定させてから
違う社会とのつながりを持って欲しい。
健康になってからだ、と改めて思った。

夏休みが明ける頃には
もっと元気になる。
また元気になる。
そう願っていた。

「具合が悪い」
夕方になると
投薬を増やして横になる。
そんな日が増えていった。
日中、体を動かすような経験をしようと
散歩をして帰ってくるのも
苦痛になっていた。
穏やかだった彼の顔がだんだん険しくなっていった。
散歩帰りにトイレが間に合わなかったと言って
汚れて帰ってきた。
黙って汚れた物を洗濯し
トイレ掃除をし
本人が落ち込む日が増えていった。
日に日に
頓服、睡眠導入剤の投薬も増えていった。
「飲みすぎだよ」と話すと
鬼のような顔で怒る。
「母さんのせいで病気になった」
この繰り返しだった。
もう私には止める気力もなかった。

私の心も体も限界だった。
私以外の家族に話すこともなかった。
相談する人もいなかった。

彼が話すことは
攻撃的な話が多くなった。
穏やかで優しい彼はどこにもいなかった。
「勝手にこんなことして」
「お母さんのせいで病気になった」
「お母さんが入院させたから留年した」
辛くなってしまう時もあったが
我満した。
いろんなことを我慢し
時間をかけて1年間、頑張ってきたつもりだった。

7月のある日
主人から
「俺の家系には病気の因子の人はいない。
お前の家系にあったのかもしれない。」
冗談だったのかもしれない。
その瞬間、何かが静かに崩れていった。
全部、私のせいだったんだ。
良い妻
良い母
良い社会人
良い娘
でいたかった。
努力してきたつもりだった。

大きな声で
「お母さんのせいで病気になった」
近所中に聞こえる彼の怒鳴り声。
その通りだ。
心も体も限界だった。
誰かに助けて欲しかった。
でも病気の事は誰にも言えない。

8月の下旬。
夏休みの課題は全て終わった。
私は彼に
「もうできない。ごめんなさい。」
泣きながら話した。
彼は黙っていた。
もう笑うことは
なかった。
病気も進行しているように感じた。
通院日でもあったので
主治医に話した。
彼から
「入院したい」
「母さんからもう面倒みれないって言われたから」
ただただ
悲しかった。
涙が止まらなった。




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