ローズマリ・サトクリフ 『第九軍団のワシ』
僕にとっての本作:
マーカスは大怪我を負う。父の消息。消えた「ワシ」。友との冒険。
才ある軍人だったマーカスは、戦いで負傷し、名誉除隊。みながその自己犠牲的精神をたたえたが、彼には生きがいが必要だった。
軍神となる夢をたたれたのち、彼の心に沈んでいたひとつの望みが、オルタナティブなものとして浮上する。夢を絶たれたからこそ、この望みにこだわる。それは父の「ワシ」の捜索。
心優しき叔父。そして闘技場で出会った奴隷のエスカ。エスカは、マーカスの友となり、ワシをさがす仲間に。他者のあたたかみ。
すばらしいです。登場人物のすべてが、運命の枠の中で精一杯生きている。しかし、枠の中から出られないからといって、枠の中を自由に動けないというわけじゃない。
作品中には、印象的な場面がたくさんあります。ただ、マーカスと友エスカの出会い、ふたりがつながる場面は、とくに僕の心にのこるものでした。マーカスはおじにつれられ、闘技場に。そこで、剣奴に身をおとした同じ年頃のエスカに出あいます。エスカは、負ける。
健闘したエスカに、マーカスは必死で慈悲をおくります。負けた剣奴を生かしておくかどうかは、観客が決めるルールです。
彼は生かされ、マーカスの家内奴隷になった。通常は剣奴はあまりそうはならないのでしょうけど、マーカスは友達がほしかった。そして二人は最初の出会いをはたす。
マーカスとこのエスカが、互いを理解していく様子は、この物語の重要な部分をなしているように個人的には思いました。お互いを守り合っていくよき友です。
ローマ人のもと百人隊長マーカスと、ブリトン人の戦士でいまは奴隷となったエスカは、かなりの異者同志だと思います。ローマは広いし寛容な面もあったでしょうから、そうした友情がないわけではなかったのでしょう。
現代、人種とか性差とか、さまざまなものを乗り越えた友情が特別視される世の中です。そうした現代的な感覚でもこの二人の友情は好ましく思えると思います。でも、そういう現代的な友情というより、普遍的な友情をサトクリフはえがく。
数日たって、エスカは自由身分の市民に心無い侮辱を受け、誇りを傷つけられ、ひどく卑屈になることがありました。マーカスはこのエスカになんというか。
古代人は、たぶん異なるものを思いっきり差別したし、侮辱もしたし不平等が当然で人権とか何のこっちゃだったと思います。そうした自分と他者がわかりあうときというのは、激昂したマーカスがまくしたてているように、激しい場面だったのかもしれません。
でも、裏表がないよなあ、これっていいなあって思いますね。
「だからなんだ!?」 みたいなセリフは、聞いていてスカッとするものですね。
サトクリフを読むと、いろんな場面で、現代や自分の身の回りについて、考えさせられます。それって、やっぱり、彼女が偉大なんだということだと思います。
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