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雑感など

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雑感、歴史教育についてのことなども含みます。
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#世界史

ヒストリーボーイズ 感想

僕にとっての作品の要点: 「お前ら全員、必死に生き抜いて、次につなぎな」 全く無知でしたが、タイトルから購入。こんな作品(舞台・映画)があったとは知りませんでした。非常に参考になりそうなのでみてみました。 かなり驚くようなストーリー。カメラワークを称えるアマゾンレヴューがありましたが、なるほど、撮影技術など高いのか。 シリアスなのかコミカルなのか、よくわかりません。でも無駄なシーンがひとつもない。気をぬいたら置いていかれる感じがある。 「授業に使えるかも!」なんて思っ

エンデのインタビュー

実はケストナーもヤンソンも、僕は少年時代に読んだことはありませんでした。 僕にとって児童文学というときに一番に思い出されるのは、『はてしない物語』であり、エンデでした。 あまり本を読み返す習慣のない僕ですが、大人になり、教師になってから、ふとエンデを手に取ったことがありました。昔も今も、彼は僕にアイディアを与え続けてくれる人のひとりです。 いつか自分も、創作をしたい。そのときには、自分にとってのエンデのエッセンスが、作品に反映されていて欲しい。ちょっと大胆なそんな願いもこ

『星の王子さま』と歴史の授業の可能性を思う

最近、『星の王子さま』を読んで、とても可能性を感じています。というのは、これをテキストにして、歴史の授業をできないか、と思っているのです。 単発的に読むのではなく、継続的に。ストーリーに出てくるものにたいして、歴史的な背景をおいながら、ときには推測を働かせながら、このお話を読み通していく、というイメージです。 ひとつの文学作品を、歴史の教育者がとりあげて、こどもたちと継続的に読み続ける、という知の伝達のあり方には、ずっと魅力を感じていました。 たとえば、アメリカには教育

noteでやりたいこと、考えてみたいこと

歴史は暗記科目か。 結論からいえば、違うと思います。 僕はこれについてはずっと、長い間考えてきました。仕事柄、考えずにはいられませんでした。 学校で習う歴史は、日本史であれ世界史であれ、一般論として暗記科目と見なされていることが普通です。そしてここでいう暗記にはたいてい悪い意味合いが込められています。 本来の歴史科目は、ひとことでいえば、「歴史的思考力」を養うことが目的になっています。少なくとも国はそういうのを目指している。 そしてこの「歴史的思考力」とは、なにかを丸覚

思考サイドと知識サイド

中学や高校の歴史教育界隈では、よく二項対立的に語られるものだと思います。 もしかしたらそれよりも年少の歴史学習でも同じかもしれない。 この議論のときには、だいたい、「知識サイド」と「思考サイド」の2大陣営に分かれてときには壮大な舌戦となります。 だいたいこんな感じになります。 知識「知識がないと、思考なんてできないだろ」 思考「知識だけでは単なる暗記になるだろ」 興味深いのは、それぞれのサイドでも、その道を追求した「究めた人たち」は、お互いの意見を尊重する姿勢をもって

「尋常ならざる」

2007年から、2009年にかけてのどのあたりかのことです。 僕は学生だった頃、イギリスの中東学者を対象に研究していました。 彼の名はエドワード・ブラウン(Edward Granville Browne 1862-1926)。 アラビア語とペルシア語とトルコ語とサンスクリット語とヨーロッパ諸語を操る、中東、特にペルシア文学史の大家でした。ケンブリッジ大の先生です(写真はブラウン)。 ブラウンにはもうひとつの顔がありました。文学史研究のかたわら、自分の中東とのネットワーク