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雑感など

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雑感、歴史教育についてのことなども含みます。
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記事一覧

実験 Chat GPTに所見を書いてもらう

プロンプト、というのでしょうか。最近はChat GPTをめぐる話題はこういうものが多いですよね。つまり、どんな指示を出せばChat GPTが思い通り動いてくれるかをみんなが実験しているみたいです。 僕もやってみよう! 以下は、ただの実験です。調査書や学籍簿の所見をやってもらおう。たぶんアメリカの先生達は絶対やってる(失礼)。 さあ、このプロンプトでどうかな?(「プロンプト」とやらの使い方はこれでいいのか?) さて、どうなるか。 うーん、「である調」とか、「2項目だて

感想 カーマインストリートギター

僕にとっての作品の要点: リックとシンディは、マンハッタンのルシアー。NYの150年以上前の建物の廃材で、日々ギターを作る。彼らの日常を撮影したドキュメンタリー。歴史、ノスタルジー、ロマン。 表題のギターショップは、マンハッタンのカーマインストリートにあります。店主はリック・ケリーさんで、ギター制作家です。お弟子さんがシンディ・ヒューレッジさん。リックは60代くらいかな、シンディは20代だろうな。 監督のロン・マンは、有名映画賞の受賞歴のある名人。この監督が、このお店に

教育と宗教と自由と

驚いた事件がありました。僕の周囲では話題になっていないのですが、書いてみたいと思います。 ニュースの内容は、アメリカで学問の自由に関する議論が起こっているということ。僕はある人のTwitterの記事でこのニュースを知りました。 昨年2022年の10月に起こった事件がその発端となっています。 以下がニュース記事です。 ショートにまとめたものでしょうか、10日ほど前の記事ですが、こういうものもあります。 このニュースがどの程度、議論をよんでいるのか。 宗教をめぐって、歴史や

Chat GPT と教育

これもまた、ある情報筋のお話ではじめて知ったのですが… 「ニューヨークの公立学校が、Chat GPTを禁止した」とのこと。前回につづき、教育との関連で少し考えてみたいと思います。 なるほど、さすがアメリカ。Chat GPTはアメリカ生まれの英語育ち(?)なので、いわば機械学習の本場なのでしょう、話題が進んでいる。 さて、ニューヨークは、市? 州全体も? 禁止したっていうのは、生徒向け?教師向け? いろいろ気になりますね。調べてみよう。 少しこの記事をごく部分的に引用さ

CHAT GPT に聞いてみる

最近、話題になっていますね。僕もある人の話から、その存在を知りました。 CHAT GPT。 この記事執筆時点で、note全体では #CHATGPT は、353件。 CHAT GPTとは、AIがネット上の情報を「適切」にまとめて会話をしてくれるというもの。試しにこのnoteに関係のあるような、歴史、児童文学などをもとに、チャットをしてみました。 結果は、驚きでした。 なお、会話は全て英語で行いましたが、DeepL (翻訳アプリ、これも知人の紹介で知りました)を使いまし

ヒストリーボーイズ 感想

僕にとっての作品の要点: 「お前ら全員、必死に生き抜いて、次につなぎな」 全く無知でしたが、タイトルから購入。こんな作品(舞台・映画)があったとは知りませんでした。非常に参考になりそうなのでみてみました。 かなり驚くようなストーリー。カメラワークを称えるアマゾンレヴューがありましたが、なるほど、撮影技術など高いのか。 シリアスなのかコミカルなのか、よくわかりません。でも無駄なシーンがひとつもない。気をぬいたら置いていかれる感じがある。 「授業に使えるかも!」なんて思っ

エンデのインタビュー

実はケストナーもヤンソンも、僕は少年時代に読んだことはありませんでした。 僕にとって児童文学というときに一番に思い出されるのは、『はてしない物語』であり、エンデでした。 あまり本を読み返す習慣のない僕ですが、大人になり、教師になってから、ふとエンデを手に取ったことがありました。昔も今も、彼は僕にアイディアを与え続けてくれる人のひとりです。 いつか自分も、創作をしたい。そのときには、自分にとってのエンデのエッセンスが、作品に反映されていて欲しい。ちょっと大胆なそんな願いもこ

『星の王子さま』と歴史の授業の可能性を思う

最近、『星の王子さま』を読んで、とても可能性を感じています。というのは、これをテキストにして、歴史の授業をできないか、と思っているのです。 単発的に読むのではなく、継続的に。ストーリーに出てくるものにたいして、歴史的な背景をおいながら、ときには推測を働かせながら、このお話を読み通していく、というイメージです。 ひとつの文学作品を、歴史の教育者がとりあげて、こどもたちと継続的に読み続ける、という知の伝達のあり方には、ずっと魅力を感じていました。 たとえば、アメリカには教育

noteでやりたいこと、考えてみたいこと

歴史は暗記科目か。 結論からいえば、違うと思います。 僕はこれについてはずっと、長い間考えてきました。仕事柄、考えずにはいられませんでした。 学校で習う歴史は、日本史であれ世界史であれ、一般論として暗記科目と見なされていることが普通です。そしてここでいう暗記にはたいてい悪い意味合いが込められています。 本来の歴史科目は、ひとことでいえば、「歴史的思考力」を養うことが目的になっています。少なくとも国はそういうのを目指している。 そしてこの「歴史的思考力」とは、なにかを丸覚

思考サイドと知識サイド

中学や高校の歴史教育界隈では、よく二項対立的に語られるものだと思います。 もしかしたらそれよりも年少の歴史学習でも同じかもしれない。 この議論のときには、だいたい、「知識サイド」と「思考サイド」の2大陣営に分かれてときには壮大な舌戦となります。 だいたいこんな感じになります。 知識「知識がないと、思考なんてできないだろ」 思考「知識だけでは単なる暗記になるだろ」 興味深いのは、それぞれのサイドでも、その道を追求した「究めた人たち」は、お互いの意見を尊重する姿勢をもって

「尋常ならざる」

2007年から、2009年にかけてのどのあたりかのことです。 僕は学生だった頃、イギリスの中東学者を対象に研究していました。 彼の名はエドワード・ブラウン(Edward Granville Browne 1862-1926)。 アラビア語とペルシア語とトルコ語とサンスクリット語とヨーロッパ諸語を操る、中東、特にペルシア文学史の大家でした。ケンブリッジ大の先生です(写真はブラウン)。 ブラウンにはもうひとつの顔がありました。文学史研究のかたわら、自分の中東とのネットワーク