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私のチャレンジはどこへ向かっているのか。

カフェを開いて占いしたい。


一生、仕事がしたい。
一生、人と関わって、
一生、おしゃべりしていたい。

「ここに来ると元気になる!」とか
「心が軽くなった!」って言ってもらえる
くらいの場所にしたい。

以前、この夢を話した時、夫に、
「ここでしか飲めない逸品コーヒーを
研究してくれ!」みたいなことを言ったのを覚えていたのか?先日、

「定年後はコーヒー屋でもやりてーなー」
と言った。

用があったからたまたま2人だけで乗った車で、青空と畑しか無いような道を走っている中での、この発言が私の未来をより一層
くっきりさせた気がした。


天赦日に始めたこのチャレンジが、
そのための第一歩になればいいな。
と思った。


『だれかをちょっとずつでも
明るく、軽くしたい。』


そして、そんな中で、
障がいをもつ子どものいる家族、
親、きょうだいの心に寄り添い、
日々に張りつめたものがあるならば、
「気づけば楽になってた。」って、
それを緩める時間を作りたい。

どうしても、障がいのある子にかかりきりになってしまう時、そのきょうだいは我慢や
気遣いや、なんとも言えない寂しい思いもあると思う。
親としては、我が身を放り投げてでも、
みんなを大事に思う気持ちがあるつもりでいても、
伝わらないこともあるし、限界を感じる時だってある。

専門的な正解を求めてるわけじゃない。
ただ、ポロっと本音を出しても、
『何でもないことのように受け入れてくれる
場所が必要だったんだな。』とふと気づく
ような感覚を知ってほしい。


明るくて優しくて安心できる光の輪の中に
遠慮も、気も遣わずに入ってきてほしい。


そこで私も新たな学びを受けて、そしてまたそれを惜しみなく色んな人に伝えたい。



旦那との一件で、ある意味、依存してる自分を知って、自立したくなった。

経済的なことだけでなく、
心も自立する時だとふいに思った。
「あなたが○○だから、私はこうする。」
という選択の生き方じゃなくて、
「私が、こうしたい。」という心を持ちたくなった。

行動しようと思えた。


チャレンジのためにスマホがもうひとつ必要だと思ってたけど、それを中々言い出せなかった。

ある朝、スマホ2台持ちの話題が
テレビでながれた。

これは、何年も自分の思いを言い出せず、
動けずにいた私に天からおりたチャンスだ!と思って
思いきって言い出してみた。

タイミングはバッチリだった。
「ふーん。」とすんなり受け入れられた。

それが嬉しくて嬉しくて、手帳に

「言えた!」

とすぐ書き残した。

話したいけど話せない人の話しをとことん
聞きたい。なんでもいい。
日頃関わりのない人にこそ話せる話しがあると思う。
私の知る全てで応えたいし、分からなければ共に考えたい。

誰かの何かを変えられなくても、
私との時間の中で「パッ!」と、
「ピカッ!」と何かを感じて、

最後は
自分で進むコツを掴めたらいいな。

このチャレンジがこれからどうなるかは
まだまだ分からないけど、
数ヵ月後、または一年後、なんらかの報告ができる未来になっていたい。

今は、いつか来る面白い未来の夢に
辿り着くまでの、
途中経過を経験するために踏み出した
ほんとに小さな一歩になるはずだ。



おじい(夫)が
震える手を抑えながら入れた
最高のコーヒーを

おばあ(私)が
震える手で
カタカタ、カタカタ言わせながら
最高の微笑みと共にテーブルに運びますからね。

そこには笑いがあればいい!
時には涙ありもいい!
たくさんの緑🌿とお待ちしてます♪


※こんな風に未来を思えるのも、
何かチャレンジしようと思えるのも、
昨年、一人で挑戦して始めた
このnoteの中での出逢いがきっかけの大半を占めています。
たくさんのご縁は、何も行動していなかったら巡り会えなかったから、
昨年の自分だけのチャレンジは勇気を出して大正解だったし、
それをきっかけに、
今度は家族を巻き込むことができた今回の
チャレンジも、後々、
きっと「やって良かった!」と思えるはずだ!



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