受験結果についての話。

 1.受験結果

 実は私、結局今年も某国立T大学を受験いたしました。そして結果が出まして、これで三年連続の不合格となりました。他の受験生の方がどうなのかは分からないのですが、私の場合全く出来たという手応えを感じたことがなかったので、合格する人というのはおそらく何かしらの手応えはありつつでもちょっとあそこ気になるなぁとかそんなことで不安になってしまう人なのだろうなぁとやっと悟った次第です。

2.動機と心境

 私の受験動機は(不純ではありますが)、今年こそ受験勉強に別れを告げようというものでした。まだ私はきちんと受験勉強をしていない、人並みに頑張りたいという気持ちで始まった今年の受験。だからなのか、落ちたといえども、そんなに落ち込んではいません。
自分なりの「必ず自分のやる気次第で達成できる」目標を達成できたからだと思います。
何となくこんなことを書いているといやお前落ちた負け惜しみだろ!なんて思われてしまいそうですが(私が読者として読んだなら絶対そう考えます。これは私の性格が悪いからではないはず)、しかし三年も同じことを続けていると、終わりを心穏やかに感じることも出来るようです。変に悔しく思うこともなく、力不足だったのだなと冷静に受け止められる気がします。

3.noteに綴った内容の進展

 そもそも勉強が続かないと悩んでいたおよそ二年間。noteへの投稿も、勉強する気が起きない、とか普通の受験生みたいに勉強したい、とか受験勉強ってのをやり切りたいのに、みたいなものばかりでした。投稿しなかった冬の期間もその悩みに苦しめられました。やらなくてはいけないのに、続かない、やらない、身につかない。その上今年は共通テストと大学の期末試験が被ったりと一月は比較的精神的余裕が当社比なかった月でした。しかし、二月に入るともう後に引けない。私はこの月、始めて十時間以上の自主的な勉強に成功しました。確か十二時間やら(十四時間はちょっと怪しい)やれたので、人間やろうと思えばやれるんだなぁ……と感慨深く思えました。つまり、やはり今までの私には覚悟が足りなかったのかもしれません。
 しかし私は自分のことを責めることはできません。これは弱虫なりの考え方ですが、やれない人にはやれないなりの理由があるのです。ぶっちゃけた話、心の底から望んだ目標として東大入学を掲げられたことはありませんでした。そうなったらいいな、くらいでは少なくとも私の合格には足りなかったようです。人には色々なタイプがいるのでやらねばならぬ!やる!結果出した!というタイプもいるでしょうし、実際結果を出す人はやらなければならないから工夫し結果を出すということを人にひけらかさず黙々と実践出来る人だと思います。私はそういう人になりたかったし、それに憧れていました。同時に自分はそういうタイプではなさそうだ、とも感じていました。或いはそんなことを考えず捻じ伏せひたすらにそのタイプであろうと実践し続けられていたら合格出来たし、変われたのかもしれない。それでも、私は合格は出来ませんでした。これが努力不足だったのか、そもそも無理な話だったのかは分かりません。
しかし、少なくとも私は受験勉強というものの少しは掴めた気がしています。これは大きな進歩だと自負しています。確実に一歩進んだとこればかりはそう思えるので、それは素直に嬉しいです。
 受験ばかりでなく、今年は少しは幼稚な自分と別れを告げられる一年になったと少々大袈裟ですが、そう思っています。バイトが怖い、という話も投稿しましたが、9月頃から約三ヶ月、実はバイトを経験してみました。これも大したことないように見えて、一つ進歩ではあります。(共通テストと受験に専念したかったので十二月には辞めました。)まだアルバイトの応募を躊躇ってしまう節はありますが、それでも前よりは前向きに挑戦出来そうです。



 長きにわたる受験生活に感謝!!!
 数ヶ月前の私、多分あんたがいるから今の私はちょっぴり塩辛いけど晴れやかな気分でいれます。まぁ元気にいきましょう。
 結局結果は出せなかったけれど、支えてくれた人々への感謝も忘れずにね。(PS.担任の先生への結果報告が一番気が進まないです)

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