恩送りってすてきだな
ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
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先日、ちょっとした相談をしてきた若い人がとても恥ずかしそうに恥を忍んでとか、恩返しできないのに、、、なんて言葉を使っていたのです。
若い時の私がどうだったかはあまり覚えていないけれど、嫌なことを我慢してしまっておくことはせず、友人や先輩に相談していたと思います。
どの人に声をかけるかは考えていました。
私の想いをわかってくれるだろう人を意識して選んで相談していたのです。
そうしないとそんなことで悩んでどうするみたいなことを言われて、ますます悩みが深くなるからです。
また、あまり身近な人には言えないことは遠くに住んでいる人を選ぶとか、、、
人に愚痴を聞いてもらおうとする時は私の場合、ほとんど心の中では解決していて、それを追認してほしかったので、こういったチョイスをしていました。ある意味、自己防衛です。
そんなころ、どこかで「恩送り」という言葉を知りました。どこかで読んだ文章だったと思います。
恩を受けた人は弱っているんだから、すぐに恩返しができるわけじゃない。
だから、恩返しを期待してはいけない。
でも、自分がした親切は世の中をめぐっていき、自分が本当に助けがほしい時に助けてもらえるのだということ。
これが「恩送り」ということだと書いてありました。
この言葉を知ってから、お世話ができた自分をほめて、時にはご褒美をあげてそこで終わりにするようになりました。
まず、誰かを助けることができたっていうことがうれしいことです。
この人、お返しになにかくれるかななんて助ける時に考えもしません。それでも、知らん顔だななんてあとになって思ったことはあります。なまじ、記憶力はいいので、時になんで?と思ったことはあります。
恩送りしたんだと思えるとその時点で気持ちが完結します。
自分ができたかどうかですから、、、
よくさっぱりした人と言われます。
気持ちの区切りをつけるのがうまくなったからでしょう。
恩送りっていう行為は人の営みの中の循環だと思います。
無理なく、助けるという思いが巡っていくってすてきです。
判で押したように、世話をしてもらったらお返しするというのは義理にからめられ、世間を意識した重い受け止めです。
自分ができる時にだれかを心から助けるという行為は世間も相手もない自分自身の想いをカタチにすること。
”〇〇すべき”でないことってすてきです。
植物でも、動物でも命を循環させ、命が絶えた時、ほかの命の肥料になったり食料になって終わるというカタチは人が決めたのではなく、宇宙の摂理
。
恩送りも似たような人の生き方の中にある循環だと思うのです。本心から助けたいと思った時が行動の時。そういう自発的な行為は美しいと思います。
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