浅田次郎作 「流人道中記」
ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
紹介した作品は販売します。気軽にお問い合わせください。
朝一番で田んぼの草取りしてきました。
だんだんと成長する稲を見、田んぼの中を歩くのはなによりの養生だと感じます。
私はベストセラーが苦手で、少し時間を置いて読むくせがあります。
世間の評価に踊らされるのではなく、自分なりに読みたいと思うのです。
刊行から3年半。
やっぱり気になって今回読みました。
読み終わった時は涙が出そうになりました。
あらすじは調べていただけばいいので、ここでは割愛します。
なぜ、私が涙しかけたのか読んで頂きたいと思います。
ネタばれするつもりはありませんから、本筋ではないけれど、グッと来た場面から私が感じたことを書こうと思います。
私がこの作品の中で一番心に残ったのは、押送人である石川乙次郎が流人である青山玄蕃に恥を忍んで”礼とは何か?”と聞いた時の玄蕃の答えでした。
現代の私たちは”礼”を意識しているだろうか?
法の理不尽に怒り、政治家の好き勝手を呪うことはあっても、日々の自分が礼を尽くすことを考えて生きているだろうか?
孔子の時代に、人々は法がなくても自身を律して礼を尽くして生きていたと聞けば、頭をガツンと殴られたような衝撃を感じました。
たしかに一人一人がきちんと他者を大切にし、自分を律して生きていれば、大きな衝突や事件は起こらないのではないでしょうか?
法ができたのが、法の規制なくしては折り合いよく生きていけなくなったからだと思えば、戦争が無くならないのも、人を人とも思わないような事件が起こることも納得がいくのです。
そして、そのうちに法が独り歩きし出し、人の情など汲むこともなくなれば恐ろしい縛りが始まります。
だれも幸せになれない法を作り、運用するような世の中にはなって欲しくないと思います。
そのためには一人一人が礼を忘れずに生きるという基本に立ち返るべき時だと私は感じました。
きっと、今のご時世を憂いてお書きになった作品だと思います。
ここには書きませんが、青山玄蕃という人は無実の罪で切腹を命じられ、それを拒んで遠く蝦夷に流刑になったのです。
自分のこと、家族のことより、社会のことを考えて生きよと押送人の石川乙次郎に話して、別れていきます。
良い人、仕事のできる人が普通に生きられるかといえば、策を講じた卑劣漢がのうのうと生き延びることもあるという武家の生き様を描いた作品は読むに値する作品です。
江戸時代のお話だ、絵空事だと決めつけるのではなく、自分の生きている今と比べ、いろいろなことを考えながら読んでいただきたいと思います。
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