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團菊祭五月大歌舞伎 夜の部『梅雨小袖昔八丈』髪結新三(感想)

*この文章は2023年6月にAmebloで投稿したものを加筆修正しています

歌舞伎座が新しくなって、初めて行った。観劇も実に10年ぶり。
歌舞伎座は、思ったほど中は変わってなかった。
三階A席はやっぱり足元も両脇も狭くて、急勾配で階段でつまづいたら階下へ落ちてしまいそうな怖さ。

さてさて。
河竹黙阿弥作・『梅雨小袖昔八丈』。通称、髪結新三。

江戸の町人の暮らし、文化が感じられる演目だ。
目当ては、もちろん尾上菊之助の新三。

髪結新三で観た記憶があるのは菊五郎と、勘三郎。
源七で覚えているのは片岡仁左衛門。
大家の長兵衛は中村富十郎。
勝奴は坂東三津五郎(十代目)がとても良かった。
もう一人、勝奴で覚えているのは、意外にも市川染五郎(七代目。現在は十代目松本幸四郎)だ。

どれも相当な昔になる。

昔話はさておき。

新三は花道から登場する。
どこかの客の髪を結ってきたあとらしい。
あいつは髪が少なくて結いにくいんだから髷なんてやめてしまえばいいのに、なんて口の悪いことを言っている。

白子屋の戸口に立つと忠七(中村萬太郎)とお熊(中村児太郎)の話し声がするので、立ち聞きする。
目立った芝居で心情の変化を見せるわけではない。凶悪というほどの顔つきでもない。

多くの社会人がそうであるように、新三も裏表があり、別に最初から悪事をしようと思って立ち聞きするのではない(ように見える)。

お熊と忠七の話を聞きながら、ふっと、この状況を利用したらどうなるだろう、と新三は思った…のかもしれない。

白子屋の身代は傾いていて、五百両の持参金付きの婿を貰わなければ店を畳むしかない。

そういう話が新三には、つまり五百両を貰うためなら、白子屋は少々の泥を呑んでも娘を結婚させるだろう、と聞こえた…かもしれない。

白子屋へ上がった新三は、忠七の髪を撫で付けながら、お熊さんを連れて逃げてあげなさい、と唆す。

忠七の髪を撫で付けるこの場面は、セリフをこなしながら江戸の髪結の慣れた手つきを見せる、新三役者の一つの見せ場。

わざとらしくない、ふざけすぎもしない、菊之助らしいやり方でとても良い。

唆す、というシーンではあるのだが、話の入り方こそ「おまえさん、お熊さんを…どうしたんだい?」と妖しい調子でも、菊之助の新三は実に親切に聞こえる。

連れて逃げろというのは何も駆け落ちしろというんじゃないよ、と。
このままじゃ、思い詰めたお熊は川に身を投げかねないのだから、そうなったら忠義が却って不忠になる。

それよりも、彼女をちょっとの間だけ連れ出して、世間の厳しさを見せてやり、頃合いを見て家に帰ろうとさとしてやれば、お熊はめでたく婿をもらえて、忠七も主を裏切ることもなく万事丸く収まるではないか、という。

忠七は、なるほど新三さんの言う通りかもしれない、と呟く。

忠七は疑いもしない。

「男でも惚れ惚れするような」、なんて誉めてくれて、
結い直しが面倒なら軽く撫で付けてあげましょう、と気の利いた提案をし、
お嬢さんのことでお悩みなら協力しますよ、と手を差し伸べてくれる穏やかな、自分の見ている新三が、新三という男のすべてだと思っている。

よく考えなくても狂言誘拐(狂言駆け落ち?)だ。
ほうぼうに迷惑がかかるのは明白なのだが、新三のあくまで穏やかな調子が、それをきれいに隠してしまう。

忠七が中村萬太郎。

これまで、忠七役は七代目中村芝翫だったり六代目澤村田之助だったり、ガッツリとインパクトのある役者で観ることが多かった。
萬太郎の忠七は、強くキャラを出してこないところが良い。

草食系というのか、流されて諦めるけどクールというわけでもない、といって、もちろん奉公人なので若旦那のようなボンボンでもない、っていう忠七の難しさを素直にクリアしている。
菊之助とのバランスもいい。

お熊が中村児太郎。
好きなのは忠七なのだから他の相手など考えられない連れて逃げてくれとかきくどく、あどけなさを残した素直な演じ方が良い。

お熊の母親は五代目中村雀右衛門。
お父上(四代目 中村雀右衛門)と似て、老けないタイプの役者さん。
いつまでも姫ができそうな可愛らしさがある。
身体のころし方というか佇まいが美しい。児太郎のお熊と向かい合っていると、雀右衛門の形の良さがよくわかる。

さて物語は進んで、永代橋川端の場。

初めてこの演目を歌舞伎座で見た時は、菊五郎の脚の色っぽさにどきどきしたのを思い出す。
それに比べると菊之助はスラリとして、身体での色っぽさを押し出すタイプではない。それが却って、新三の得体の知れなさを感じさせて、良かった。

白子屋店先の場からのキャラの変わり方に、見る側の首の後ろがスッと寒くなるような怖さ。

俺の家に来ると言ってるがどうしてだ、とか、二人を家に匿うなんて言ってない、お熊は俺の情婦(いろ)だから連れて逃げてやったんだ、なんて言い出すところも、菊五郎と違って(?)笑いをとりに来ない。

さっきの店先での親切な新三との差が際立って、見ている側は忠七と一緒になって戸惑い、え、新三ってこんな人だっけ?と混乱する。

もちろん、何度も見ているからストーリーはわかっている。
わかっていてもなお、それを「知っている」と流させない。
良い意味で、慣れた感じを出さない菊之助の新三がじわじわ効いてくる。

忠七は、新三の豹変に戸惑いながらも、途中までは、角が立たないよう話を合わせる。
次第に、怪訝なのを通り越して取り乱していく萬太郎がいい。

萬太郎の忠七は、新三に永代橋のたもとに残されてからも、とてもいい。
ここは、うまく進まないと源七役の目玉役者が出てくるまでの繋ぎっぽくなってしまう。
忠七が自分の甘さを嘆く独白や、川へ飛び込もうとするまでを、こんなに飽きずに見ていられたのは久しぶりか、ほとんど初めてだった。

身投げを止めるのは弥太五郎源七(九代目坂東彦三郎)。
声の出し方がお父上(初代坂東楽善)に似ている。滑舌も。
年齢が少し若くて大変そうなところもあるが、身体の大きさは役に合っているので、これからが楽しみ。

富吉町新三内の場。

尾上菊次の勝奴、若さがあって良い。
ここも菊之助がとても良かった。

お熊の引き渡し交渉に、いずれ誰かが来ると分かっている新三は、源七が尋ねてきても、驚きはしない。
かといって、きたきたと肚を見せるでもない。

乗物町の親分に口を利かれては「うん」と言わざるを得ないから、と殊勝なことを言う新三。
だが、渡された金包を手にして十両と知ると態度が変わる。

善八が一人で交渉に来たならタダでも渡すが、相手が名のある源七親分だから譲れないのだ、と袖を捲って十両を突き返す。

年若い小悪党らしい生意気な憎まれ口だが、ここも菊之助の新三はほとんどくだけない。

新三にしてみれば、十両ではまるで交渉にならない、ということなのだろう。

お熊は、五百両もの持参金付きの婿が来る、器量良しの箱入り娘。
新三は今度の件で、少なくとも白子屋や、その周辺で繋がりのある得意先は全て失う。
十両(百万円程度)ではとてもリスクに見合わないから、源七の提案を突っぱねるわけだ。

無駄に威勢がいいとか何か次の手があるというのではない(ように見える)。
ここは、世話物らしいポンポンとセリフの弾む面白い場面でもあり、閻魔堂の場の動機になる重要な場面でもある。

二人の、世代の違いなのか感覚の違いなのか、とにかく交渉は無惨に決裂。
源七のフラストレーションが一気に膨らむ、苦い場面だ。

初役の彦三郎、いくらか荷が重そうだが、怒りの感情表現のくだりでもキャラクタが小さくならないのがいい。

源七を宥める善八は尾上菊市郎で、説得力のある芝居。

菊之助の新三はとてもいい。

菊五郎のようなこなれ感、妖艶さとは違う。勘三郎の愛嬌と、客席まで一瞬で巻き込んで飛び回るような勢いとも違う。
わかったつもりになっていた展開も、一つずつ丁寧に見せてくれる。
爆発するような派手さはなく、ここが見どころ聞きどころですよという過剰なサービスもないのに、充分にこちらを翻弄する。

そして筋書きを見て楽しみにしていたのは、大家の長兵衛、河原崎権十郎。
妻役は、市村萬次郎。いい組み合わせ!

期待通り、河原崎権十郎の長兵衛が素晴らしい。

どんな役もしっかり馴染んで、主役を見事に際立たせてくる。
今回の長兵衛も、アクの強い役柄なのだけど、最初それを見せてこないところが面白い。

新三は先に勝奴とのセリフで、長兵衛のことが大の苦手だ、と言っている。
だから長兵衛が部屋に入ってくると、新三は苦い顔をして、テンションはダダ落ち。
源七をよく追い返したなぁと長兵衛が言っても、会話には一応乗っかるが、警戒を解かない様子が見てとれる。
新三のイヤそうな様子に気づいているだろうに、まったく気に留めない大家の図太さ、怖さが徐々に見え始める。
そしてあれよあれよという間に、全部の得が大家に行ってしまう。

権十郎の長兵衛と、菊之助の新三のやりとりは、息が合っていて心地良い。

長兵衛の登場以降は、圧倒的なラスボスが出てきて主導権を握っていく、的な空気になりがちだけど、権十郎の場合はそれと少し違う。

メインは新三のまま。

長兵衛の強烈さはありながらも、今度は翻弄される側になった新三の表情や動きをしっかり楽しむことができる。
ワタシは菊之助の新三が一番好きかもしれない。

実はこれまで、この物語を見るたび、新三に対しても、この展開に対しても、どういう感情を持っていいのか分からずにいた。

見取り狂言で解決編がつかないのは知っている。
『三人吉三』や『白浪五人男』といった、黙阿弥の作品は悪党がババーンと主役だったりするのも知っている。

傘づくしのセリフや、源七に金を突き返すくだり、大家とのやりとりなど、ポイントごとに気分は盛り上がる。
閻魔堂の場で、新三にも因果応報から逃れられないという展開になっているという慰めも一応ある。

それでも、やっぱりお熊が気の毒で、新三ってなんなの?という感覚が残るのを、どうしたらいいの、と思っていた。

それが菊之助の新三を見ていて、ああそれでいいのか、と思えた。

雨あがりの永代橋でのスラリとした立ち姿に、限度の読めない行動の怖さ。
湯上がりの浴衣姿で花道から出てきた時の美しさ。
上総無宿の入墨(いれずみ)新三だ、とうっかりと啖呵を切る小者ぶりと、「カツオは半分もらったよ」の大家の謎かけに真顔で首を捻る若さ。

生意気で、憎めないところもあり、でもやっぱりやっていることは非道で、やばいやつ。

菊之助の新三を見ながら、モヤモヤしていいんだ、感想を無理にどこかに寄せなくていいし、納得できなくていいんだ、と思えた。

歌舞伎ってやっぱり面白い。

役者違い、パターン違いをいくつも見て、そのたびに発見があってさらにハマっていく。

菊之助の芝居もっといろいろ観たいなあ。

思えばNHKのドラマ『探偵ロマンス』での悪役も、すごく良かった。
この人が!?悪役を!? という驚きに、美しさと上品さと壊れ具合のバランスの絶妙さがどかーんと来て、まいった。

(あのドラマでは、泉澤祐希も素晴らしかった)

・歌舞伎美人 團菊祭五月大歌舞伎

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