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【映画感想】『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』

『ゴーストバスターズ/アフターライフ』の続編。
『アフターライフ』から3年後。フィービーは15歳、兄トレバーは18歳になっている。

前作『アフターライフ』が、あまりに完璧に、かつ上品に、初期作品をリスペクトしてエピソード満載で作られていたので、今作『フローズン・サマー』では、できることがなくなってしまった感は否めない。

それでも『フローズン・サマー』は、ゴースト退治、という娯楽性の中で、容赦のない人間の儚さを俳優の肉体をもって表したり、フィービーの葛藤を邪神復活へ織り込んでいく展開が興味深かった。

シリーズを重ねて、ゴーストバスターズは「型」となっているのが心地いい。

奇人変人扱いで笑われる→ゴーストの捕獲に破壊規模が大きすぎて顰蹙をかう→古代の邪神が目覚める→退治して喝采を浴びる

この流れで気持ちよく終われる。

ゴーストバスターズで心地いい点が、もう一つ。

作品の中で登場人物がほぼ年数どおりに歳を重ね、物語が続いていくこと。

シリーズ作品であっても、過去作などなかったもののように設定や人物が変わってしまう映画もある中で、奇跡みたいだ。
(2016年のリメイク作品は除外。)

封印された邪神は時を超えて蘇るが、ヒトはそうはいかない。容赦なく歳をとり、死ねば芸はそこで終わる。

しかし、彼ら(俳優)も歳をとったなぁという感想を、この映画は否定しない。
むしろ正面から描き、若き日のピーターたちのCMやニュース映像を織り込むことで「あのゴーストバスターズ」とフィービーのいる今を地続きにしている。

『アフターライフ』あるいは今回の『フローズン・サマー』から観る世代は、配信その他でシリーズを遡って時系列に違和感なく物語に入れるし、初期から見ている世代にとって、この「地続き」感は自身の思い出と重なって、より現実味を帯びたものになる。

物語は、15歳になって大人に近づいていくフィービーを中心に進む。
彼女は自分のすべきことを、自分で判断し正しく実行できる、と思っている。そして、母も周りもそれを許さず子供扱いすることに苛立っている。

1人であれこれ決める権利はない、かといって周囲と噛み合わず、手足が伸ばせないような窮屈さ。
ここに居たくないのにどこへも行けない。
心は複雑に尖って分かれて広がって常に騒がしいが、年齢など記号に縛られて環境は狭く、次第に息が詰まっていく。

そんな中でフィービーは、青白い炎をまとった幽霊「メロディ」と仲良くなり、ゴースト抽出装置を使って幽体離脱を試みる。

吹替版だと、フィービーとメロディの声のトーンが似ていて聴き分けにくいのが難点だが、メロディのキャラクタも複雑で、セリフも動きも少ない中でも俳優は存在感があった。

他にも、保守を想定してない装置の怖さとか、ディスコミュニケーションのリスクといった現代の課題を随所に盛り込みつつ、シリーズらしい明るい作品になっている。

吹替版では、エンドロールのあと、「新しい学校のリーダーズ」によるエンディングテーマのMVが流れる。
歌謡曲のレトロさを漂わせたボーカルを聴きながら、映画のダイジェストを見るような気分で楽しい。