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闘病記その17-8(第2章)

私のしてきたこと
4*夫婦として(長男の嫁として。最強のパートナーとして)
5*医療法人の事務長として

長男の嫁として。 第2章  妻として、嫁として
結婚して2024-1988=36年目を迎える。その間本当にいろんなことがありすぎて、何を書いていいのか選択しきれず、どうしても書き残しておきたいことを思いつくままあげてみました。
妻としては、教授選挙の時のこと、互いの掲載依頼文を校正し合い直したりしてること、相談を受けたら率直な意見を言うと、「お前よくそこまで読めるなー」と感心されること、主人を尊敬し凄いと思うことはそれをちゃんと言葉にして褒めちぎることを心がけること、等々。

嫁として主人の実家で迎える、初めてのお正月。この時の武勇伝はその7に掲載しました。

2008年11月、主人の運命の決まった日。産婦人科教授を決める選挙が行われた。選挙期間中はまさに「白い巨塔」を彷彿とさせることが次々に起こりました。あることないこと噂され、訂正して回りたい衝動に駆られるほどでした。書けないようなことばかり。一回目の投票日。(普通は一回しかない、)私はじっとしていられず、父の眠るお墓に行き、きれいに掃除して、お花を奮発して特別大サービスして、その時を待つことに。
お線香を立て手を合わせて心の中でお願いしたことは「教授にならせてとは言いません。省さんにとって進むべき道を示してあげて。」と主人のことをいつも外来診療に来られた馴染みの患者さんに自慢していた父に、運命を委ねてみる。
そして、主人から聞いていた運命の決まる時刻をお墓の前で迎える。10分、20分、30分ウントモスントモかかってこない。さすがに公園墓地の斜面には冷たい風がふいてきて、身に応えてきたので車に避難する。
駄目だったのかなー。ショックで電話もできないのかなー。
さすがにこれ以上待っていても、と思い車を動かしたその時だった。主人からだ。ハンズフリーなので運転しながら応答する。「同点だったわ。またこの次になったわ。前代未聞のことでそういう場合の決め方を示すものがないらしい。待たせて悪かったなー。」と。
まさに、シェー(おそ松くんのイヤミのポーズ)のポーズを取りたい気持ちになりましたわ。

なぜ同点に?聞いてみると信じられないようなことが重なってそうなったのでした。前もって票読みはしていたのですが、なんせ現役のドクターの教授たち。緊急オペが入ったら投票できなくなったり、学会に出られて選挙から逃れる方や予定通りにはいきません。
捕らぬ狸の皮算用、この言葉がピッタリすぎる選挙でした。 
そしてこの後も信じられないような逆転ホームランが飛び出して、見事教授の椅子を勝ち取ったのでした。天国からの拍手喝采が聞こえてきました。

「ここまでやってこれたのは彼女のおかげです」とスライドの中に書いてあったとは知らなかった。私がサプライズを仕掛けていたのに、先にやられちゃいました。
まあ、知ってたとしても涙で画面が曇って見えなかったと思います。ワイパーが役に立たない豪雨の日みたいに、前が見えない状態になってましたから、私の目。
披露宴の二次会の最後に、酔ってる主人は、言われるがままに恥ずかしがって断ることもせず、堂々と踊っておりました。(笑)これは主人の定年退官記念コンサートで流された一場面です。
  

長男の嫁として
一番記憶にあるのは、主人の母を一人で見送り付き添っていたことでしょうか。
母は重い糖尿病を持病に抱えていてそのために認知症にもなってしまい、父と二人にしておけなくなり、松江の私どもが運営しているグループホームで暮らしてもらうように連れてきたのだった。当時まだしっかりしていた母は自分でお金の管理もしていたので、七つも通帳を入れたカバンを片時も離さなかった、しかしグループホームの部屋に置いとくことはできないので主人と二人で説明してしぶしぶ渡してもらえた。だがしかし、そこからが大変でした。毎日美穂子さんを呼んでくれコールが始まった。
行ってみると通帳を盗まれたから警察を呼んでくれとか、家に帰らないと通帳を置いてきてしまったと、半べそかいて、訴えられた。スタッフには、美穂子さんは忙しいからタクシーを呼んでくれ、駅まで行けば一人で帰れるからといって、自動ドアの真ん前に立ち、そこから動こうとしなかった。その都度私が呼ばれる。私も医療法人祐和会の事務長と有限会社アイオの取締役として仕事をしていたので、直ぐに駆けつけるわけにはいかないこともある。一度じっくり話を聞いてみることにする。母は事細かにどこに何が置いてあるから持ってきたいと話してくれた。同じ女性としてその気持ちは理解できたので、主人と相談して、一度これが最後になるだろうが家に連れて帰ってあげようと計画します。何せ一泊しないといけないので、お母さんを一晩預かってくれるショートステイを探して予約しなければいけなかった。地元のケアマネージャーさんにも探してもらいようやく決まる。さてお母さんを車の後部座席か助手席に寝れるようにして、途中休憩も予定に入れて約四時間弱の道中である。今考えるとよくやったなーと思う。超忙しい主人がよく時間を作れたものだとそれも驚きだし、主人にとっては最高の親孝行だったと思う。それを一緒にできて良かった。
そして家に帰っていきいきと探し物をする母の気が済むまで付き合った。
それからは、母も落ち着いてグループホームで暮らしていた。
食事がとれなくなると病院に入院して高カロリーの点滴をしてもらいまた元気になって戻ってくる、の繰り返しだったが、それも限界があった。
4回目の入院の日、いつもと変わらず私が付き添って入院し、なんやかんや手続等で2時まで病院にいた。お母さんはほとんど目を閉じて寝ていたが、ときどき目を開けてじっと一点を見つめていた。ちょうど目をあけられたので、「心配いりませんからね。省さんの知り合いの病院ですから。私一度帰ってきますね。」というとかすかにまばたきされたようだった。
今日は主人も学会で台湾に行って留守だったので一人のんびり食事してテレビを見ていた。その時私のスマホが鳴った。病院からだ。「容体が急変しましたのですぐに来て下さい。」淡々と言われて緊迫感はなかったので、ドキドキしながらもそんなに最悪のことは考えずに、車を走らせた。午後8時だった。
夜間受付で名前を告げると連れていかれたのは、病室ではなく別の部屋だった。カーテンをくぐって目の前に見えたのは、お母さんが一人寝ていて、頭の上に置いてある赤いランプがけたたましく鳴り響き、私の想像していた光景とはまるで違っていた。何が起きているのかしばらくはわからなかった。
冷静になって、けたたましく鳴り響くモニターに目をやると"0"の数字が飛び込んできた。えーっお母さん!?なんでー。信じられなかった。
私は、心臓マッサージでもされててまだ息のあるうちに会えると思ってたので、いきなりサヨナラするとは、夢にも思っていなかった。
抱きついたお母さんの体はまだ暖かくせめてありがとうの感謝の言葉を言いたかったと、残念でならなかった。しばらくしてから看護師さんが来て、先生に診断してもらうまでお待ちくださいとのこと。それはいいとしてこのモニターのピコーンピコーンと危険を知らせ続ける音を消してもらえないのが気が変になりそうだった。いつ来られるかということは告げられなかったのでとにかくお母さんのそばについとかなきゃと30分くらい待ったと思う。まだ主人にも連絡できずにいた。
そして当直の先生が来られ、死亡診断をされ、その時間が死亡日時となった。それから体をきれいに拭いてもらうために外で待つように言われ、それからがフル回転でやらなければならなかった。何からすればいいのか、あんなに待ち時間あったのに、何も考えられなくて、頭は真っ白で慌てた。
まずは、主人に電話しなくちゃ。台湾に電話する。学会中で電話に出られるかしら?出てくれた。今から発表らしい、そんなときに「お母さんが亡くなられたよー。今から帰るところを決めないと、病院では一晩居させてもらえない、葬儀社も決めないと。」矢継ぎ早に話し、自分にも言い聞かせるように頭を整理していく。何をどう決めることもできず、とにかく名古屋にいる弟に来てもらうように話して電話を切る。
さあ何から決めればいい?まずはお母さんを連れて帰る場所を確保しないと。うちに近い葬儀社に電話する、がいっぱいで入れないといわれ同グループの他のところも聞いてくれて、何とか明日からは入れるように段取りを付けて貰えた。そして肝心の今夜これからのことである。時刻は、10時前だった。今朝までいたグループホームのお母さんの部屋に返してもらう事にする。そこには旦那様のお爺ちゃんも待っていた。
それから病院に葬儀社の人が迎えに来てくれるまで冷たい廊下の椅子に座ってどれだけ待っただろう。身支度をしてもらい、やっとうちに帰ってきたよーと話しかけられたのは、11時過ぎていたと思う。
グループホームでは玄関の外にお爺ちゃんと施設長が待っていてくれた。安堵したのか涙が出てきた。ここまで泣く余裕もなかったから。
そして主人が台湾から戻るまでほぼ一人で葬儀社との打ち合わせをしました。そして全員集合して迎えたお通夜の日。息子家族や孫たち全員そろって通夜の食事をし、いっぱい飲んでお母さんとの思い出話に花が咲き、いつまでも笑って泣いて、お母さんもにぎやかすぎて苦笑いしてたんじゃないかしら?その晩は孫の男の子たち三人が泊まってくれて、おばあちゃんもうれしかったことでしょう。

全員集合

長男の嫁としてお母さんを見送ることが出来て、少しは役に立てたかなー?。本当にありがとうございました。おかあさん。(完)
次回に最強のパートナーと、祐和会の事務長の話は書きます また、4000字超えてしまいましたので(>_<)。長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。m(__)m


 

  


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