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闘病記その17-5

私のしてきたこと  
3*役員あれこれ(PTA会長、教育委員、教育後援会、女性会、番組審議会)

人の役に立つこと、お世話をするのが大好き、頼まれたらいやとは、よ―言わん、と三拍子?そろった美穂子さん。息子の結婚式の感謝の手紙の中に、『いったい何個役を引き受けてるの?本当に何でも屋みたいなことをしていて子どもながらに「どんだけ体力あるんだよ」とちょっと引きました。嘘です。感心しました。』と書かれています。
いろんなことをさせていただきました。まずは、米子在住の時に息子の幼稚園のPTA会長に。その時運がいいのか悪いのか?鳥取県の私立幼稚園PTA連合会の会長の順番がまわってきて、それも受けることになり、全国の連合会の総会に出ることになりました。そのことを父に話すとさっそく高島屋に連れていかれ、鳥取県代表として恥ずかしくない装いをとジュンアシダのアンサンブルを買ってくれました。私にとってはそんな一張羅着たこともありませんでしたからそれは大事に着させてもらいました。病気になるまで一番のよそゆきでここぞという時に着て出ました。物がいいので25年くらい着ていましたが全然古ぼけずさすが、美智子妃殿下御用達の芦田淳(jun ashida)(*'▽')

一張羅を着て、松山に、商工会議所女性会
の会へ

そして引っ越して松江の小学校に入学することが決まり、母が事前に小学校の教頭先生にご挨拶しに行ってくれた時の話です。教頭先生が、「保護者の皆さんが、今度凄いのが入ってきますから、と期待して待っておられますよ。」と言われたとか。私のこと?(笑)
そして無事に(元は私の卒業した母校が閉校して合併してできた)小学校に入学します。そして前代未聞とされている一年生の三学期だけの役員を引き受けることに。このことがのちの私のPTA役員まっしぐらのスタートになるなんてお釈迦様でもご存知ない、神のみぞ知ることであったのです。
そして保護者は役員を6年間の内1回すればいいということになっていました。私は三学期だけの交代要員なのに名簿に役員をした人のところに丸がしてあってラッキー、と思って喜んでたらとんでもないことが。
ピンポーン!と玄関のチャイムが鳴り出てみるとそこに立っておられたのは、どっかで見たことのあるおじさん。(失礼)「PTA会長の安部です。」って(≧▽≦)。そして広報研修部長を引き受けてくれないかと。はぁー?まだ二年生で先生方のお顔と名前も一致してないこの私におっしゃってるんですかー?
何で、はいと引き受けたのか、今となっては不思議です。会長直々に頼みに来られたことに恐れ多くなって嫌だとは到底言えなかったのでしょうね。
こうして安部会長にまんまと引きずり込まれて、これまた前代未聞の二年生部長が誕生する事となります。
私の手掛けた広報紙を見てください。この頃の広報紙つくりは、ワープロでしていました。打ち込んだ記事を切り貼りして学校のコピー機で印刷し、部員総出で集まって製本してました。出来上がったのを見て、部員同士でいいのが出来たねーと自画自賛していました。平成11年4月~13年3月まで広報研修部長をしました。そしてその後は、めでたく副会長に昇格するという、絵にかいたようなスピード出世コースまっしぐら。(笑)

平成11年7月てんじんがわNO11部長として作った記念すべき第1号。
平成11年12月NO12
平成12年3月
平成12年12月
平成12年12月
部長の時の広報紙が選ばれる

そして最後には、またもや前代未聞の松江市初の女性PTA会長にまで上り詰めることになる。これに関しての仕掛け人?は、3年間会長を務められた吉村会長が自分が副会長になって支えるからなってほしい、同じ者が四年もするべきではないと、前代未聞の降格人事をしてまでの決心だったので、これまた嫌と言えない美穂子であった。(この時我が子の卒業式で祝辞を言うことになるとは、思ってもみなかった。)
会長としての一番の思い出は、錦織監督をお呼びして、体育館で「白い船」の上映会をしたことです。本当にあの時はご縁がご縁を引きよせて、よくぞこんなベストメンバーがそろったなーと運の良さとグッドタイミングに感謝です。
まずは、その映画のモデルとなった本物の先生が小学校におられたということ、その関係か濱田岳君がサッカーの試合をしてるシーンには息子の同級生のサッカークラブの子たちがエキストラで出ていること、映画の上映に関わっている会社の社長がPTAの役員だったこと、その関係ですんなりOKが出たこと、校長、教頭先生がすごくオープンで、賛同して応援して下さったこと、地域の方々にもたくさん来ていただいたこと等々、本当に、思い出に残る大イベントを無事に開催できたのは、これらの上映を可能にした後ろ盾になってくれた人たち、ベストメンバーが一堂にこのタイミングで小学校に会することが出来たからだと運とご縁に感謝しています。まさに「夢は叶う」by白い船でした。


後列左から吉村PTA副会長、錦織良成監督、安部教育後援会会長、前列田川教頭、PTA会長原田
写ってはないが長谷川陽子社長は陰の立役者かな

そしてなんといっても息子の卒業式で来賓を代表して祝辞を述べたことだ。66人の卒業生みんなの顔を見て、目を合わせて話したかったから、暗記して臨んだ。ちょっとしたハプニングが起きる。私の声が聞こえないとビデオをとってくれてた主人の方が焦ったらしい。私は、まさかマイクのスイッチが切ってあるとは夢にも思わず一生懸命語り掛けていたのだった。
祝辞の内容は、「一期一会」をテーマにしました。皆さんは3億分の1の一期一会の奇跡によって誕生してきてくれた大事な命。(3億とは、精子の数です。)ご家族みんなに祝福され、待ちに待って誕生してきたあなたたちです。この奇跡の一期一会を大切にして下さい。こうして66人で卒業できるのも、担任の先生と出会えたのも一期一会。これから先で困ったことや分からないことがあったらこのことを思い出して周りにいる一期一会で結ばれた人たちに相談してください。決して一人で悩まないで。みたいな話を地声でやりました。後で主人が撮ってくれたビデオを見たら、音が出ないとわかって校長先生と息子の担任の先生が慌てておられる姿が映っていました。担任の先生が慌ててマイクのスイッチを入れに行こうとされてるけど、最初に気付かれた瞬間はすごく驚かれた表情の校長先生が、それを制止しておられます。行かなくてもよい、せっかく話しておられるのを邪魔しなさんな、聞こえてるから大丈夫、と言わんばかりの表情で。
そして無事に小学校を卒業します。
中学校の3年間なんてあっという間です。ここでも広報担当。2年生の時に広報部長を、3年生の時には、副会長を仰せつかります。
そして同時期に世にも奇妙な物語?。なんと、松江市教育委員会のお歴々が三回も訪ねて来られ、何を言い出されることかと皆目見当もつかずにお迎えしましたところ、教育委員の四人のうちの一人になってほしいとのこと。目が点になり、きょとんとした顔をしていたと思います。こちらの話はまた別の機会に。
中学校での広報誌も見ていただけますか。自分で言うのもおこがましいですが、賞を狙って取りにいきました。

部員のノリのいいお母さんたちとヘンシーン
迷⁈探偵コバン(決して間違ってもオバンではないからね)
右上にコバン
コバンの演技力にも注目してみて
しょっちゅう学校に行くので、原田ママまた来てるよーと言われていたとか。
右下にKOBANのおばちゃんたちが
広報部長最後の広報紙になりました
県PTA連合会会長に表彰していただく
狙っていた最優秀賞を手に。私の広報部歴5年の集大成に。

こうして息子の義務教育時代の役員の任を解かれたと思ったのも束の間で、高校に行っても私の世話好きおばちゃんの役員人生は続くのでした。予定以上の長文になってしまいました。眠気が来てる方もあろうかと。(≧▽≦)最後に、役員をやってよかったことを書いて終りにしたいと思います。とにかくたくさんのご縁ができること。これにつきます。いろんなところでそのご縁は、私を助けてくれることになります。
special thanks 故安部喜孝さん、吉村日出国さん、勝部万里子さん、錦織優子りん 
つづく

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