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闘病記その17-8(第1章)

私のしてきたこと
4*夫婦として(長男の嫁として。最強のパートナーとして)
5*医療法人の事務長として

夫婦として。第1章 出会い~結婚 
ここでまさかどうやって知り合ったのか書くことになろうとは、いやならやめとけば、と自問自答してみるも、やっぱり記録しとこうということに。(笑)
今思うと本当に二日違いの運命の出会いを果たした、その時に、すでにこうなるように出雲大社の神様が、仕組まれておられたのではと思わざるをえないタイミングでした。
なかなかいいご縁に恵まれず、原田医院の受付させといても、らちが明かないと焦った父親がコネを最大限に利用して、鳥取大学病院と島根大学病院のそれぞれの産婦人科教授に、娘を試験管洗いでもさせてもらえないかと頼んだのである。そして先に電話をくださったのが米子にある鳥取大学医学部附属病院の産婦人科教室の教授でした。教授秘書が産休に入るので来てくれないかということでした。さっそく面接を兼ねて引継ぎを受けに行きました。
そして、一応合格?松江から米子まで国道9号線で30Km、こ一時間かかりました。当時はまだ高速道路の山陰道は影も形もありませんでしたから。
それから二日後に、出雲市にある島根大学医学部附属病院の産婦人科の教授からも引き受けるとのお電話を頂き父が丁重にお断りしたことを聞かされた。この電話の順番がもし逆だったら、私は一生主人とは、すれ違うこともなかったでしょう。
と思うと最初に戻るが↑出雲大社の神様がお決めになっていたこととしか思えない。
毎日松江から米子まで片道30Km約50分かけて愛車のマツダファミリアで通勤しました。

ファミリアで5時間運転して、主人のバイト先の四国琴平町へ、うどんをごちそうして、という名目で会いに行く。私は本当の目的は別にあったことは誰も知らない。愛の力はすごいよ。一人で往復10時間の運転をさせるのだから。(笑)


今鮮明に思い出した恐怖体験を。国道9号線の唯一追い越し車線のある所で私は前のトラックを結構アクセル全開で追い越した。と思った次の瞬間、ぴたっと後ろに貼り付くようにトラックが迫ってきた。バックミラーに映るその距離はぶつかる一歩手前で、まさに今でいうところのあおり運転そのものである。
怖くなって途中で曲がって横道に入ろうかと思ったがそんな場所もなく、とうとう信号に引っかかってしまい停止する。とその時だった。運転席側の窓をたたく音がして見ると男の人が立ってこちらをにらみつけている。怖かったけどあまりの迫力に負けて、窓を少しだけ下げた。すると「トラックをなめるなよ。」と怒鳴られた。「なめてまシェーン」と小さな声でその男の人の方を向くこともなく、つぶやいた。よほどファミリアに追い越されたのが気に食わず、プツンと切れたのでしょう。私も二度とトラックを追い抜くことはありませんでした。

一応肩書は教授秘書などとかっこいいものでしたが

秘書といっても仕事は、教授が学会で留守の時の電話番や主人の体外受精グループの研究のために飼っているマウスやモルモットの飼育箱の掃除や果ては、医局の先生方のお昼ご飯を一階の食堂までおかもち持って取りに行くことや、医局で四国に出張してお土産のうどんを湯がいて、水で洗ってしめて、おろし大根とぶっかけしょうゆをかけて食べる支度をすることなどなど。極めつけは他大学の教授がいらした時の夜の接待にお供して歌って踊ってその場を盛り上げること(これが一番得意だったかも)

その他には、教授の吹かれるフルートのピアノ伴奏をすることでした。(おかもちをもってエレベーターに乗り合わせたほかの医局の先生方に不思議そうな目で見られ、「どこの医局?いいなーそんなことまでしてもらえるのー?」と噂になったとか?)そして主人との距離が縮まったのが、松江で当教室の教授が会長で開催される国際学会の準備に松江に何度も足を運ぶことになったからだった。

松江のプラバホールにて開催された国際学会には、何か国からも
有名なドクターが集まられました。

準備係の一員として松江のことならお任せあれ、とばかりに張り切ってやりました。中でも、全国からお越しいただく先生方に少しでもおいしいものを味わって帰っていただきたい、おいしい地酒を堪能していただきたいという、サービス精神全開モードの私は、一人でワープロと手書きの地図を作り始めていました。「ナイトマップ IN 松江」これを名目に主人を誘って味見と称して何度も松江に連れていきました。そして松江を好きにさせました。
学会が始まると医局の先生方は東急ホテルに何日も泊ることに。その間毎晩どんちゃん騒ぎで、私と主人もフィーバーして、大接近。💛
学会が終わるころには、いわゆる付き合ってる状態に。(笑)

惜しまれながら先ごろ閉店した、アヒル
にて、連日連夜大騒ぎ、若いって素晴らしいー。(^O^)/


しかーしそうやすやすと上手くいくものではありませんよね、人生は。
主人は、なんと山口日赤に出張に出ないといけなくなりました。戻れるのは1年先か2年先かわかりません。オーマイガー!(>_<)
そこで登場してきたのが妹たち、3歳と7歳下の妹、何と主人を呼び出してこんなことをのたまうとは😝。「山口に行かれるようですが、美穂子ちゃんのことはどうされる気ですか?年も年ですから、父がバンバンお見合いさせて結婚させる気でいますけど、それでいいんですね?」ってもう脅迫してるじゃん。
でもありがたいことに、主人のファイナルアンサーを導き出してくれたのだった。主人「いや、それは嫌です。僕も考えていますから。」だって。にんまり、にやける私(*'▽')(*^^*)それから遠距離恋愛が始まった。
山口にも何回か行きましたが、極めつけは、又もや妹連合軍が山口まで乗り込むことになったことです。

秋穂に原田家のお墓があるとしりみんなでお墓参りに行く。
三歳違いの妹(三姉妹の次女)

この度の目的は、山口に行ったまま、いっこうにプロポーズする気配もない主人に痺れをきらせた妹連合軍が、更に意向を確かめるために来たのだった。
さすがにストレートには言えないので、オブラートに包んで奥歯に物が挟まったような表現で主人に言ったようですが。
私が松江に帰るために乗った新幹線に、主人も横に座り広島まで便乗してくれた。その時に横に座ってつぶやいた言葉を、今でもはっきり覚えている。「結婚かー、真面目に考えてみるかな。」といったのを聞こえないふりしていた私だが、心の中でやったー!!(^^)!とガッツポーズ。
それからまあいろいろありましたが、ご縁があったからこそ結ばれるものは結ばれるんだなーと主人の祖父母と両親の理解があったからこそ、と今でも心から感謝している。

主人の実家で迎える初めてのお正月

やっとこうしてパートナーになってめでたしめでたし、と続きを書こうとしてふと文字数を見ると、なんと2600字(≧▽≦)
ここらで第一章出会い~結婚編として閉じさせていただきます。(今急に思い立ち)

主人は山口から松江に来て、三回神父さんの講義を受けないと式を挙げさせてもらえないので、大変でした。今でも言われます。にわか信者になるために通わせられたしーって。私の夢をかなえてくれて、感謝してますよー。

次回は夫婦として(妻として、母として)の武勇伝的なことを書いてみようかと思っております。
お楽しみに―(^O^)/ 


 




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