闘病記その16
2022.11.30 咽頭気管分離術を受けて声を失う、12.28の退院までの、まさに闘病記
水曜日に手術は無事に終えました。麻酔が覚めるや否やラインを打ち出して見守ってくれてる友人やお嫁ちゃんたちをびっくりさせる。
なーんだこんな程度なら楽勝じゃん、などとぬかしていた御調子者の美穂子であった。
その日の夕方から現実の厳しさをこれでもかとみせつけられることになります。
そりゃあ身体の状態、環境が今までとは大きく異なるわけだからそれに慣れるための時間を要することは分かってるつもりだったが想像していたのとあまりに違い過ぎると闘おうとする気力さえ奪われそうです。
何度夢であってほしいと思ったことでしょう。今回初めて分かったこと、それは泣けるのは余裕があるから泣けるんだ、ってことです。今回はまだまだ一度もまともに泣いてないんですよ。
2022年 12月 13日のラインより
こんばんは!泣く余裕すらなかった1週間を何とか切り抜け、先週の木曜日に嚥下テストがありました。まっずーいバリウムを、味を選ぶならともかく、固さの異なる、液体バージョンからちょっと固めのゼリーバージョンまで、6パターンまで用意されて、選り取り見取り、などと冗談が言えるのは、今だから。こんなもん飲めるかーい、とあきらめモードでしたが、検査室まで付き添ってくださった師長さんとその日の担当ナースが目の前で、「美穂子さんがんばってー」と大声援してくれるので、飲まないわけにはいきません。
決死の覚悟で、えーいどうにでもなれ、何かあってもここは病院だし、などと半ば投げやりな気持ちで目を白黒させながら、次々と問答無用で口の中に流しこまれるバリウムを何とか完食しました。試合終了みたいに、終わったら応援団のナースさん達が駆け寄ってこられ、「美穂子さんがんばったねー、ちゃんと飲めてたよー、」と拍手して喜んでくれました。
そして耳鼻科の担当医の先生が静かに告げられました。「合格です」と。
「これからは、誤嚥の心配は一切ありませんから、どんどん挑戦していろんなものを食べてみてください。」と言われると、なぜだか涙があふれてきて先生の顔がみえなくなる。
今回の入院は今までの中で一番つらいものになった。
声が出なくて初めて死を身近に感じた事件もあった。ナースコールが寝ている間に体とベッドの隙間に入ってしまったようで、痰が絡んで目が覚めた私は吸引してもらおうとコールボタンを押そうとします。あれ?持ってるはずのボタンがない?焦る私。動くはずもない手を一生懸命動かそうと試みる。何か指先に触れるのだがそれ以上伸ばせないので、何度か無駄な努力はしてみるものの、余計に焦ってきて、変な汗は出てくるし、心臓がバクバクしてくる。もし今痰が詰まったらどうなるんだろう?誰にも気づいてもらえないで苦しんで・・・。考えただけで泣きそうになってきた。でも泣いても声は届かない。それどころかよけいに痰が出てくる可能性が高まるだけ。本当に声にならない助けを求めて、必死に足でベッドのマットを思いきりけってギシギシいわせてみたり、部屋の前をナースが通るのを耳を研ぎ澄ませて聞き洩らさないようにして、一気に集中して、音を鳴らしてみる。無駄とは知りながら。涙が止まらない、泣くな、窒息するぞと言い聞かせながら。そんなに時間はかかってないと思う。ナースが時間になって回ってきてくれた。部屋に入るなりびっくりされ、申し訳なかったと何度も謝られる。私は今度は安堵の涙が止まらない。よかった。助かったと。
声が出ないってこういうことなんだと初めて思い知らされる。
入院期間中、私は課題を出され、それをクリアしないと退院できないといわれる。一番難しい、私が大嫌いな器具を使っての、痰をひきあげるカフアシストと呼吸をしやすいように手助けするバイパップ。
カフアシストは、何がいやかって、ものすごい音で、掃除機(バキューム)に口を吸われる、という表現がドンピシャです。機械に合わせて、「息を吸ってー、ハイ思いっきり吐いてー。」とその時にブォーって痰を吸い出す仕組みです。何度やっても怖いのです。最初にブォーって台風並みの風量のものを口にかぶせられるときが一番怖いです。しかもアシストする人と息が合わないと悲惨な目に合います。😭
練習しないといけないのに、登校拒否の子どものように、おなかが痛い、頭が痛いと何かのせいにして逃げ回る美穂子であった。
カフアシストよりも苦手だったバイパップ。
BIPAPとは、biphasic positive airway pressureの略で、人工呼吸器の換気モードの1つ。 二相性陽圧換気のこと。
何と説明してよいやら。とにかく苦手。このような器具をつけられただけでもういや。その後にホースを接続されるのだが、急にぶわーッと酸素が入ってくるのですが、これがすごく心臓に悪いのです。急に自分の呼吸のリズムが乱される。私にとっては呼吸をしやすくというより邪魔しているとしか思えない代物です。この練習の時は気持ちを器具に集中させないために、大好きな髭ダンのYouTubeを流してそちらに集中するようにして、5分、10分、15分と装着する時間を伸ばしていきました。
担当のフィリップスの方はすごく親身になって指導してくださいました。「原田さん随分上手になられましたね。」とほめてもらえるので頑張れました。
とにかくできるようにならないと退院できないといわれてるからもう死に物狂いで頑張るしかないのです。そんな崖っぷちに立たされてる私にも、救いの神様はいるもので、院内の看護師さんでアロマセラピーの資格を持っておられる方が病室まで来てくれて好きなアロマの香りをミックスしたアロマオイルで足から頭までマッサージしてくれるんです。なんかリラクゼーションの音楽を鳴らして。即寝落ちする私。至福の時でした。
(以下 鳥取大学医学部附属病院広報誌のカニジル13杯目 2023年5月発行)
教えてくれるのは、とりだい病院看護師の村田千恵さん!
島根県安来市出身。1993年松江赤十字看護専門学校卒業。2013年鳥取大学大学院修士課程卒業。2009年以降は新生児集中ケア認定看護師として、産婦人科や小児科の患者さんと向き合ってきた。2019年ホリスティックケアプロフェッショナルスクール卒業。JACC(日本臨床心理カウンセリング協会)認定臨床アロマセラピストの資格を取得
アロママッサージの後は、部屋中アロマの香りがして、ナースさんたちが入ってくるたびに、あー癒されるわーと鼻をひくひくされました。
このように病院のナースさんたちがつらい気持ちでいる私によりそって
下さって、特に森師長はどんなに遅くなろうとも必ず部屋によって下さり、一緒に泣いたり笑ったりして下さり、どれだけ救われたことか。感謝してもしきれません。
もちろん主治医の田尻先生も耳鼻科の平先生、藤原教授にも心身ともにケアしていただいて、お世話になったことは言うまでもありません。
毎日必ず様子はどうかと顔を見に来て下さり、私の視線入力の上達ぶりをほめてくださり、私が沈んでいるときは、髭ダンのことを一緒に話してくださったりクリスマスには、ワインとローストビーフですかねー?とローストビーフ談議に花が咲きました。本当に優しい患者想いの若い先生方には鳥大病院の未来が前途有望なことが感じられます。
ナースさんたちもしかり。20代の若いナースさんたちの夜勤明けには、
ベッドの横に座ってもらい、パソコンを一緒に見ながら話します。「あなたの看護のここがこういう理由で良かった。おかげで安心して眠れました。あなたにとって看護師は天職だね。」と、いろいろなやり取りで、長い時で30分間くらい、私の病気に対する不安について~主人との馴れ初めまで、夜勤の疲れも見せず付き合ってもらいました。また副師長のお二人ともエネルギッシュでよく気が付く方たちで私が少しでもつらさが和らいで安心して過ごせるように、美穂子のトリセツ(取扱説明書)みたいなものを作ってくれて、それはどんどん増えていきました。初めて私の担当になったナースさんは、それを見てから看護に入られました。退院する時にお土産に頂いて、今は私のベッドの横に貼ってあり、訪問看護師さんやヘルパーさんが見ておられます。
ナースさんだけではなく理学療法士(PT)作業療法士(OT)言語療法士(ST)さんたちの懸命なリハビリもあり、こうしてたくさんのスタッフの方に見守っていただきました。ナースなのに歌手という大変変わった経歴の持ち主の中井ナースには何度か病室で歌ってもらいました。あまりに感情込めて歌われるので歌詞を聞いていたら涙があふれて止まらなくなりました。ちなみに歌は中島美嘉の「雪の華」でした。彼女のデビューシングルです。
こうやって少しずつ身体も精神も慣れていきました。私は何かお礼がしたいと思いこんなことを企画します。
名付けて、原田美穂子プロデュース「キャリブレーション王座決定戦」!
私の視線入力パソコンは、先ずはキャリブレーションをして視線をぴたりと合わせておかないと思った通りに打てずイライラすることも。それをナースさんたちに手伝ってもらっていた。私の目とパソコンに取り付けてある視線入力装置「Tobii Eye Tracker」(通称トビー)がいい位置にないと打てないという仕組み。
豪華賞品も、参加賞も準備して、看護師さんたちも居残り練習をしたりしてエントリーも決まり大会期間を待つのみとなっていました。
まさかまさかのあんな日が来るとは、夢にも思いませんでした。
その日は、何と山本恭司先輩の院内ライブの日でした。
私は外出許可をもらい、聞きに行く予定にしていて、会場で松江から来た友達とも会うことにしていました。その日は、手術をがんばったご褒美をもらえる日でもありました。(のちほどライブ終了後、本当なら恭司さんから手渡ししてくださる予定だったらしい、恭司さんの新曲のCD頂きました(*^^)v)
朝病室に物々しい恰好をした田尻先生と師長が入ってこられ、「スタッフの中からコロナ陽性が出ました。つきましては、原田さんは濃厚接触者になりますので検査させていただきます。」と言われ鼻の奥をぐりぐりされあまりの痛さにつーっと涙がこぼれる。そして運命の瞬間、結果発表「残念ながら、陽性でしたので、病棟を変わっていただきます。せっかく許可して原田さんがどれだけ楽しみにしておられたかを考えると気の毒でなりませんが、今日のコンサートは許可できません。」と本当に気の毒そうにおっしゃられた田尻先生のお優しさに思わず泣いてしまいました。そして失意の中、約束していた人達にラインで事の次第を伝えました。皆びっくりして、よりによってなんで今日なの?と、とても残念がってくれました。
そしてコロナ病棟からお迎えがあり、なんかベッドで移動する時、頭の中でこの曲がぐるぐる回ってました。
♬ドナドナドナドーナ 子牛を乗せて
ドナドナドナドーナ 荷馬車がゆれる♬。
そして隔離生活が始まります。私は軽症でなんの症状もなく元気そのものでした。
最短で一般病棟に戻れましたが、お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、キャリブレーション大会は、見事に流れてしまいました。(´;ω;`)ウゥゥそして調整して年末に間に合うように退院させてもらうことが出来ました。めでたしめでたし。👏
おわりに ⋆今回は最長文になってしまいました。が大変貴重な体験でしたので思い出せる限り書いてみました。ビューも7725になり、驚いています。その中のお一人でずーっと私のことを気にかけていただき、励ましてくださった恩師石倉國男先生に今日お別れしてきました。天国でも読んでくださいね。心から感謝をこめて。ありがとうございました。先生からの教えは永遠に心の中に。2023.8.2
次号もお楽しみに(*^^*)
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