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【読書記録#1】喜多川泰「運転者」

主人公の修一はある日特殊なタクシーに乗ることになる。そのタクシーの運転手との出会いが修一の人生を大きく変える。次第に運転手との会話、乗車先での出会いを通して親、家族、会社の上司との関係、自分の人生が絡み合っていく様に惹かれる作品だった。

私は中学校・高校生の頃よく運がいい、悪いという言葉を使っていた。陸上の大会でいい成績を残すと「今回は強い人がいなかったから」テストでいい点を取ると「昨日たまたま山を張った部分が出た」悪い点を取ると「今回のテストは難しい部分まで出されて取れなかった」などと、これまでとさほど変わらないテスト内容と変わらない勉強量でラッキー、アンラッキーを感じていた。
よく徳を積むといいことがあると聞く。特に印象に残っているのは大谷翔平がよくごみを拾っていた話。正直私はごみ拾いをしたところで野球が上達するわけじゃないでしょうと思っていた。
だが、「運転者」の中で

運は<いい>か<悪い>で表現するものじゃないんですよ。
<使う><貯める>で表現するものなんです。
先に<貯める>があって、ある程度貯まったら<使う>ができる。
運は後払いです。何もしてないのに
いいことが起こったりしないんです。
周囲から<運がいい>と思われている人は、
貯まったから使っただけです。

喜多川泰 2019 『運転手』 ディスカバー・トゥエンティワン

という部分を読み<運>というものを改めて考えてみた。
無理やりかもしれないが、中学校時代本当はやりたかった野球ができない環境にあったため選んだ陸上競技が最終的には高校生でインターハイ・国体に出場するほどになったり、テストでは割と人に教えることが好きだったため教えているとその範囲が出たり、と。そこで結局教えても点数が出ていない時もあるじゃないか。と思うが、その部分に関しても作中で述べられている。
その時は運を使っていないだけでいつかの時のために残っているという。運はポイントカードのようなもの。
運はいつ使うのか分からない。だが、運を日々貯める生活をしている人としていない人では運の貯まり方が大きく差に出る。運を貯めるためには他人のために自分の時間を使うことなどで貯まる。
大谷翔平のごみ拾いはまさに貯める行動。その貯まった運を使っただけ。こう考えると本人の努力をさげすんでいるように見えるかもしれないが、徳を積むという事はただ、自分の人生に関連することだけではなくて身近な生活の中で日々誰かのために行動することが大事なのではと感じる。

私は今現在離職中で将来やりたいことなど決まっているわけではないが今の自分にもできる他社貢献は意外と身近にあるなと感じた一作だった。また、関連して『手紙屋』も読んだのでその感想も書いてみる。

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