夢のつり橋【小説】

 12月の土曜日、私は東海道新幹線の車内にいた。今日は静岡で降りるため、「こだま」に乗っている。自由席は空いていた。各駅に停まっていくのが休みらしくて心地よい。スマホで今日の行程を再確認する。
「長いな。」そう思いながら車窓を眺めたり、うとうとしたりしている間に列車は歩みを進め、下車駅に着いた。
 東海道線に乗り換えて、さらに西へ進む。在来線でも結構速度を出している。人も多く乗っている。聞いたことのある地名を次々通り過ぎ、次の乗換駅に着いた。金谷駅。ここではあまり人が降りなかった。JRの改札を抜け、小さな大井川鐡道の駅舎を通り、2両編成の古い電車の待つホームに立った。発車まで少し時間があるのでホームの先端まで歩いてみる。線路の向かう先を目で追うと、坂を下りながら大きな弧を描いている。どうやらここは高台に位置しているようだ。その先には街がある。金谷の中心街だろうか。電車に乗り込む。程なくして発車する。
 列車は大井川を遡上していく。新幹線から見下ろす大井川とは様子が異なる。長閑な時間が流れていくが、地形はところどころ険しい。さっきまでとは打って変わって速度も遅い。
「このまま千頭まで行ってくれれば良いのだが。」とどうにもならないことを願いつつ、家山駅で代行バスに乗り換える。この先の区間は災害で電車は不通となっているからだ。仕方なしに降りたが、なかなか渋い良い駅だ。などと前向きに捉えつつ、バスに乗り込む。これまた年代物の路線バスである。バスからもぼんやりと外を眺める。
 大井川も随分と細くなってきた。茶畑が多い。父方の祖父母の家が同じ静岡県にあるのだが、ここより随分と東の方にある。気候や風土も違うがどことなく似た雰囲気を感じずにはいられない。そんなことを考えている内に千頭駅前に着いた。
 様々な乗り物に乗ってきた。座っているだけなのだが、くたびれてしまった。駅前で昼食を食べるため、お店を探す。いくつかある中から新しく見えるカフェのような店に入る。どこの観光地にでもあるような古い食堂も良いが、洒落た店があると気分が上がる。ゆっくりと味わい、店を出る。
凝り固まった身体をほぐすため、腹ごなしのために駅周辺を散策してみる。金谷の方と比べるとやや寒いかもしれない。駅に戻る。小さい頃SLに乗りに来た時はもう少し活気があったように感じる。寸断された今となってはこれも仕方ないのかと自分を納得させ、井川行のトロッコ列車に乗り込む。遊園地のアトラクションのような車両だ。ゆっくりと列車は進みだす。これもまた川沿いを上流に向かっていく。
 この路線のハイライトはアプト式の電気機関車を連結して急坂を登るところとSNSなどで話題となった湖上駅なのだろうが、これは明日の楽しみに取っておく。奥泉駅で降りて、バスに乗り換える。これが最後の乗り換えである。立派なバスだがあまり人が乗っていない。山道をずんずん進む。自分で運転するのは嫌だなと思う。うねった道を進んでいくと周りの山々に遮られ、太陽は見えなくなっていた。
 バスを降り、温泉街を歩いて宿に向かう。今日は小さな温泉宿に泊まる。良い部屋である。あとは食事をして温泉に浸かり眠るだけである。
「陽の短い冬の旅行は美味しいものを食べ、温泉に入る。動き回らずこれだけでいい。」などと通ぶったことを心に浮かべ、外を眺める。
 食事、温泉を済ませたが、まだ9時過ぎである。窓を開けてみたが非常に寒い。曇ってきているようで、星は見えない。することも無いので寝ることにした。

 目が覚めると祖母がいた。私が大好きな人だ。子供の頃からやりたいことは何でも挑戦するよう言われ、背中を押してくれた。何故ここにいるのかわからなかったが、嬉しさでそこまで頭が回らなかった。一緒に歩く。もう日の出の時間は過ぎているのだろうが、山に遮られて太陽は見えない。あてもなく2人で話しながら並んで歩く。こうして過ごすのはいつ振りだろうか。とても幸せな時間である。そう思った瞬間、強い突風が吹いた。しかし、寒さを感じなかった。
私は気付いた。
「これは夢だ。」祖母は既に亡くなっている。
「目覚めなくては。」と思うと同時に、
「もう少しこの幸せを味わいたい。」と欲が生まれた。私は夢の世界に留まり続けることを選んだ。さらに数分祖母と語りながら歩いたところで、
「どうせ夢ならもっと我儘を言ってもいいでしょ。」と心の中で叫んだ。
 私は夢の世界に、亡くなって会えなくなった人、遠くに住んでいて久しく会っていない人、とにかく会いたい人たちを構わず全員呼び出した。
幸せな時間だった。時間はあっという間に過ぎ去っていった。遂に山深い谷にも朝日が昇る時間が訪れた。
「最早これまでか。」私はこの世界を離れなければならない時が来たのを悟った。このまま残ることも出来そうだが、私の本能が戻らなくてはならないと訴えていた。逆らうと取り返しのつかないことになる気がした。恐怖だった。

 本当に目覚めると午前3時。真っ暗な部屋でスマホを探り、時間を確認した。夢の世界にいたせいか、疲れていたので二度寝することにした。目元の涙を拭ってから眠りに落ちた。
再び目が覚める。5時少し前だったが、頭も体もすっきりしていたので起きることにした。朝食の時間までまだしばらくあるので外を歩くことにする。まだ暗いが辺りが全く見えないわけではない。寒さをしかと感じつつ、夢の中で見た気がする道を1人で進んでいく。初めて歩く道なのにそんな気がしないのが少し可笑しかった。祭りの後のような静けさを自分一人勝手に感じつつ、山奥へと歩みを進める。
しばらく歩いたところでこの辺の一大観光地である吊り橋に着いた。
 夢のつり橋。紅葉の季節には観光客でごった返すこの場所も、この時期この時間では人がいない。風が強く、葉の落ちた木々の枝の触れ合う音がする。それ以外は何も聞こえない。渡ってみる。しっかりした造りだが、歩いてみると結構揺れる。橋の下のエメラルドグリーンの水面が美しい。あっさりと渡り終えてしまった。吊り橋のせいか、先程見た夢のせいか、胸の高鳴りを感じたのだがあまりに呆気なかった。
 「この橋は一方通行です。」との看板が目に入る。人のいないこの時間であれば無視しても良い気がしたのだが、急ぐ理由もないので案内に従うことにした。振り向いて、渡り終えた橋を見つめた。
「別世界にいざなう橋にしてはやや俗っぽいかな。」案内看板のせいか、人でごった返す写真を思い出したせいか、そんな気持ちを催したところで前を向き、一歩踏み出した。少年少女のように何かが起きるのを期待していたようだったが、何も起こらなかった。風が強いからか涙が出てきたので指で拭った。
奥大井湖上駅にアプト式電気機関車、この旅の楽しみは今日にある。
「時間が合えば、蒸気機関車にも乗ろうかしら。」などと思いつつ、目の前の階段を登り始めた。
 宿に戻り、朝風呂のお湯に身体を沈めた。冷え切ったこの身が体温を取り戻していく。頭から思考力が失われていく。眠りはしなかったが、夢か現かわからなくなってきた。朝食を食べて、部屋に戻り、もう一度眠ることにした。
 午前9時、目を覚ました時には一人で渡ったことさえも夢ではなかったかと疑いを抱いたが、すぐに打ち消して宿を出る支度を始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?