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那覇軍港―もう一つの移設問題


 那覇空港から那覇市内に向かって車を走らせると、左手にフェンスで隔てられた港が見えてくる。「那覇軍港」と呼ばれる米陸軍のFAC6064那覇港湾施設だ。

 ここは1974年に日米安保協議委員会(2プラス2)で日本側に全面返還することで合意したが、約半世紀たった今も返還は実現していない。進まないのは、何もしなくても無条件に土地が返ってくるということではなく、代わりの土地を沖縄県内で見つけて、軍港機能を移しなさいよという「県内移設」の条件をクリアーしなければならないからだ。県内移設といえば、宜野湾市の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設があるが、那覇軍港も辺野古移設と問題の構図は同じ。だが、那覇軍港の移設の問題は全国的に知られてはいない。

 11月4日午後、那覇軍港に星条旗をはためかせた巨大な米高速輸送艦グアムが寄港していた。岸壁には米軍のタンクローリーが並ぶ。米兵の姿は見えないが、エンジン音がずっとしている。軍港に停泊しているのはこの1隻だけだ。県のホームページによると、施設の面積は東京ドーム11個分の広さの55万9千平方㍍で、米軍側の従業員数は86人。

 港としての始まりは、約500年前にさかのぼる。沖縄本島を統一した尚巴志が中国との交易船の出発地点として開港した。琉球王朝の表玄関として中国、東南アジア、朝鮮、日本との貿易が進められ、東アジアの一大貿易港として栄えたという。明治40(1907)年に本格的な港湾としての施設整備を開始し、戦時中は4500トン級1隻、2000トン級3隻が同時に接岸できるようになったという。

 沖縄戦での米軍占領に伴い、港が接収される。北岸は昭和29(1954)年に当時の琉球政府に返還され、南岸は米陸軍がずっと管理下に置いている。ベトナム戦争の際は、原子力潜水艦や原子力潜水艦などの出入りが激しかったというが、復帰後、陸軍の兵力は削減され、現在は軍関係の船が停泊していることは少ない。
 

2023年11月4日、那覇軍港に米国の高速輸送艦「グアム」が停泊していた

 

 

三重城から見た那覇軍港の一部。奥には自衛隊の基地が広がる

 那覇軍港が日米で返還が合意されたのは沖縄の復帰2年後の1974年。これには条件が付いていた。沖縄タイムスの1974年2月22日付朝刊よると、当時の山中防衛庁長官が衆議院予算委員会で、那覇軍港の代替港は県や那覇市、浦添市と協議し、浦添市に建設されることを明らかにした。
 
 それから22年後の1996年12月2日。日米両政府は沖縄に関する特別行動委員会SACO最終報告で、全面返還について「浦添埠頭地区(約35ヘクタール)への移設と関連して、那覇港湾施設の返還を加速化するため最大限の努力を共同で継続する」とした。ちなみに、このSACOで返還に合意した11施設の中には普天間飛行場も含まれる。



浦添移設案を伝える沖縄タイムスの当時の紙面

 ところが、移設先を巡る地元との調整は難航し、具体的な作業の進展はなかった。棚上げ状態にあった流れが変わったのは2001年。当時の儀間光男市長は移設容認を表明した。国、県、那覇・浦添両市は「移設協議会」を発足させ、経済振興につなげる議論も始めた。

 だが、2013年2月の市長選では受け入れ反対を公約に掲げた松本哲治氏が初当選し、計画は再び止まる。そんな松本市長は2015年に公約を撤回し、受け入れ容認に転じた。ただ、松本氏は移設協議会がそれまで議論してきた移設地の浦添埠頭地区「北側」ではなく、「南側」を提唱。県と那覇市と合わない状況が続いた。2020年8月、防衛省は「南側案」では、軍港として技術的な問題が起こるとして、採用しない考えを松本氏に伝達。松本氏が受け入れ、国、県、那覇・浦添両市の方針が一致し、再び計画が進む流れとなった。

 ここまでの二転三転の展開で、年数は相当たってしまった。那覇軍港の返還は2013年4月に日米が合意した計画に基づいて進められている。早ければ28年度に那覇軍港の移設と返還が実現するはずだったが、既に7年近くの遅れが生じているという。環境影響評価に5年、埋め立て承認1年、工事に9年かかる。軍港返還は、早くても2030年代後半になる見通し。

 県が計画を推進する立場を取っているため、辺野古移設のように、国と対立するような状態にはなっていない。ただ、玉城デニー知事の支持層には県内移設を条件とした那覇軍港返還に対して反対の声が一定数あるのも事実だ。辺野古移設では知事を先頭にまとまってきた「オール沖縄」は、那覇軍港問題では一枚岩になりきれていない状態だ。

 

那覇軍港の移設先となっている浦添地先。海上にT字型の岸壁を設置する案が検討されている

 辺野古移設はだめだけど、浦添移設はいいという県の理由はこうだ。浦添埠頭は那覇港港湾区域内だから「整理整頓」の範囲内だから容認できる。だが、政府が推進する辺野古移設は弾薬搭載エリア、係船機能、滑走路の新設など普天間飛行場と異なる機能を備えるとされ、単純な代替施設ではない―からと。

 とすれば、那覇軍港の返還と言えるのだろうか。私には基地のたらい回しの映り、県民の負担軽減につながるとはとても思えない。県民にも見透かされているから、半世紀近くたっても進んでいないのではないだろうか。

 移設先の海を見に行った。大型複合商業施設の「パルコシティ」の目と鼻の先で浦添唯一の天然ビーチ。埋め立てられる海を望む海岸には買い物客が海を眺めに来ていた。まだ手が付けられていない今こそ、計画を見直すべきではないだろうか。(了)

 


 


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