24.05.18 薬膳スープ

『自然のレッスン』という本を通勤中に再読している。著者はかつて宝島やPOPEYEなどの雑誌の編集者を務めた人らしい。そんな彼が海外に渡って学んだ、日々を自然に生きるための言葉がポエムの形式で書かれている。直感的に読める本だ。

食べもののレッスンという章があり、そこでは化学調味料が執拗に批判されている。僕は普段の生活で味の素を沢山使うし、外食でふと入った店が「無化調」を掲げているとガッカリする。それは、間違った健康法に囚われた人たちを取り込むことで、私たちは美味しさを追求することを諦めました、という宣言にさえ思えてしまう。

ただ、著者が化学調味料をいくら批判していても、僕はこの本を嫌いになれないでいる。理解し得ない主張が一つあるだけで、他の素敵な言葉や考え方が無くなってしまうわけではないからだ。そうやって折り合いを付けて読んでいるうちに、大好きな本になりつつある。そんなちょっと曰く付きの、食べもののレッスンの章に登場する色々な野菜や果物やスパイスの話を読んでいたら、ふと近所にある薬膳料理屋のことを思い出し、足を運んでみることにした。

思えばこのお店が開店した直後、外の看板に書いてあった「身体に優しい」という謳い文句になんとなく嫌悪感を抱いて以来、数年間ずっと素通りしてきた。席に案内され、出された熱々のお茶を一口飲むと、今までに飲んだどのお茶とも違うけど、どこか慣れ親しんだような不思議な味がした。

嗅覚の持つ記憶というのは凄まじい。でも、味に関しては、絶対にどこかで経験したことは分かっても、正体を思い出すのに時間がかかる。初めてさわやかのげんこつハンバーグを食べた時もそうだった。頬がとろけるほど美味しい一方で、大好きな何かの味に似ている気がして、必死に脳をフル回転させた。最終的に出た結論は「ねぎとろの味」だった。一風堂のルイボスティーはチキンマックナゲットのバーベキューソースの味がするし、風邪で処方された葛根湯加川芎辛夷という薬はセロリの味。あまりにも予想とかけ離れているからこそ、思い出した時の爽快感がなんともいえない。

そんなことを考えていると、注文した薬膳スープのランチが運ばれてきた。黒米というお赤飯のようにモチモチしたご飯。高菜漬け。ひまわりの種のかかったサラダ。具沢山の薬膳スープには、人参、長芋、とうもろこし、生姜、岩海苔、あさり、骨付き肉、クコの実などが入っている。なんてことはないのだけど、何故かため息が出てしまうほど美味しい。そして、食べ物のレッスンに出てきた健康的な食材が沢山使われているのも嬉しくて、心が満たされる。身体に優しいってこういうことだったのか。食事を終えて席を立つ前に、例のお茶を啜ってようやく正体を思い出した。それは、居酒屋でよく食べる枝豆の味そのものだった。

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