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【『存在の詩』〜02beat〜 『 新しい文化を存在させる為の文脈とビジョン 』 】




【『存在の詩』〜02beat〜 『 新しい文化を存在させる為の文脈とビジョン 』 】

4年前頃かなぁ、、
僕は、
こんなコミュニティを
頭の中に創造していた、、

あれから4年の時が経ち
今、改めて読み返し、
このビジョンを、
今という時にアップデートしてみた。

今の僕には、
なんの力も無いけれど、、、。
このゼロから、
改めて、
はじめの一歩を踏み出してみようと思う。 

僕は、誰もが皆
アーティストだと思っています。
なせなら、
ひとり、ひとり、の
その存在とは、
唯一無二で、
とてもユニークな存在です。 

せっかく、この美しい地球に
産まれ堕ちたのだから 

その存在そのものを表現し
生きる事こそが、
最も自然な事であり、
その自然を
表現して生きるからこそ、
この地球との繋がり
自然との調和を
取り戻せるのだと
僕は信じています。

そのように生きる存在
(アーティスト達)と繋がり
本来の人間の存在という仕事を
取り戻せたなら、、、。
そんな世界に
僕は立ち合いたいから、
まずは、僕という存在を
その未来に舵をとり直して
この歩みを一歩、
踏み出してみようと思う。



《ART by HIROTO》





〜THE FACTORY〜
  【 DIO MONKS 】




〜〜〜〜〜〜《時代背景》〜〜〜〜〜

【1】産業革命




18世紀後半からイギリスで
はじまった産業革命は、
私達の日々の暮らしを
おおきく変えていきました。

人の手によって行われていた産業は
工場という場所に君臨する
機械達によって代わり
綿製品、家具、食器など、
安い製品が大量につくられるようになり
資本主義社会が発達していきます、

より多くの人達に
より多くの製品を
効率よく作り、届ける為に
工場は、都市部にどんどん作られていき
沢山の人手が必要となり
農村に住み自給自足しながら
そこで働いていた人々は
それまでの共同体を離れ、
都市部に集まっていきました。

農村にかつてあった地域社会、
そこにあったコミュニティは
すこしずつ解体されていき
姿を消していき、
大家族が核家族へと姿を変えて
世界は都市化していったのです。


 

【2] 大量生産大量消費社会

 



大量に生産する為には
合理化が必要です、
その為に人間はあるシステムを
作りだしました.それが、
【分業】というシステム。

製品を生産していく工程を
すべて一人だけでこなしていては、
完成までに時間がかかり、
しかも少量しか生産ができないうえに、
生産者への負担が大きくなるというデメリットがありました。
これを解消し、
より迅速に大量の製品を
生産するためには、
複数の生産者が生産工場において
役割を決め、
スケジュールに基づいて作業していく
これが分業のメリットであり、
製品を安定的に市場に供給でき
大量に製品を生産するには
【分業】というシステムが
最も合理的で優れたやり方だったのです。


そして今度は
その大量生産された製品を
なるべく簡単に、早く
多くの人達に売りさばく方法として、
新聞、雑誌、ラジオ、テレビを利用した
マスマーケティングの手法が
考え出されていき、
大量に製品したものを
より多くの人達に届けられるようになっていきました。

【3】アンディー・ウォーホル




そんな時代を象徴するかのように、
アンディー・ウォーホルという
アーティストは
1962年のニューヨークに
【THE FACTORY】を作りました。
 
そこは、
ウォーホルが作品を大量生産する
ラインが設けられたスタジオでもあり、
美術家、ミュージシャン、トランスジェンダー、俳優など自由な思想を持つHIPSTERが集るサロンでもあった。

そんな
【THE FACTORY】で生み出され、
大量生産、大量消費された
ポップアートとは
いったいなんだったのか、、

大量生産、大量消費時代に
突入した世界に
ウォーホルは
かつてのアートのように
一点物ではなく、
大量生産で、
そこに現代のアイコンを乗せて行きました、
ポップだから、
かわいい作品だからと
表層だけがどんどん生産され
人々に伝わっていく状態を創造しました

マリリンモンロー、
ミックジャガーなどのスターという虚像を、ポップな商品にして、
人々に本人とは友達ではないのに、
その存在を知っているだけで、
本人を知ったつもりになっているような錯覚を起こし、ただ消費していくだけの世界という、その時代の情報の表層だけが大量生産される現代社会の有様を
ウォーホルは表現していました、
そこに現された価値観は、
その後、世界にも広がっていき、、




、、そして日本

【4]日本の高度経済成長期



日本は
 1 9 7 0 年 代 を 迎 え る 以 前 、 
つ ま り 戦 後 復 興 か ら 高度経済成長にかけての時期、
日本人は、めちゃくちゃ働き、 
何とかして“人並み”の生活と豊かさを手に入れることを夢 みてきました。

“人並み”の生活とは、
象徴的に言えば、 
かつて「三種の神器」と呼ばれた
白黒テレビ、洗濯機、冷蔵 庫といった
家電品を手に入れることであり、
高度成長期に なってそれが実現してしまうと、
次に3C(カラーテレビ、クーラー、カー)と呼ばれた「新・三種の神器」が憧れの対象の ラインナップに加わった。
 この時代、生活上の利便性を実現してくれる各種の耐久消費財を購入することが、多くの人にとって「人並みの生活 と豊かさ」を手に入れることと同義であった。
その為にこそ
人 々 は 、し ん ど い 残 業 も 厭 わ ず に 汗 水 た ら し て 働 い て き た 、
そこには日本国民全てに共通した、
「この日本を豊かにする」
という夢があった。
だから
めちゃくちゃ頑張って働けた。


高度経済成長を
くぐり抜けたこの時期は
私たちの 社会は曲がりなりにも
「豊かな社会」を
現実のものとしました。

しかし、それでも
経済発展し続けていく為には、


各家庭に、
ひと通りのモノ が揃ってしまった、
、、にもかかわらず、

モノを生 産 し 販 売 す る 側 が 、 
人 々 の 消 費 へ の 「 欲 望 」を 喚 起 し 、 焚きつけ続けなくてはなりません、

資本主義経済とは、
たえず人 々の消費を「創出」し続けなくてはいけないという
宿命を持っています。

人々は、
セレブな人達の消費が生活の必要を満たすものではなく、
自らの権勢を誇るための
ただの「見せびらかし」をやっているのを、見て、
真似しだし、
セレブに憧れ、
そこに自らが失った夢を見て
それが自己実現かのような
錯覚を起こしながら
消費する事に夢中になりだしました。

誰かに勝手にマーケティングされ、
細分化された商品を
選ばされているだけなのに
多くの人は、それが自分の個性だと錯覚しながら、消費し続けるようになります。

そして現在、
バブル破壊に幼少期を迎えたか、
バブル破壊後に、この世に生を受けた世代は、
消費 に関する感覚が、
かつての世代とは大きく異なってきています。
クルマ買うなんてバカじゃないの?
って若者が言い出すくらい、

現代の若者は、
もの離れ、消費離れしてきています。
お金がないか ら車を買えないのではないのです。
仮にお金があったとしても、
車 を買うなどという消費行動じたいが、愚かなことであると言われるようになってきています。

それは、なぜか?

【5】失われた20年




日本経済が急失速した
「失わ れた 20 年」

この 20 年あまりの景気の停滞、
非正規雇用の増 加などが
若者(および、その親世代)から
経済的余裕を奪ってしまい、
消費を手控えさせる原因となっているという側 面はあるだろう、

しかし、それだけではなく、
収入のうちより大きな割合が 
「消費」ではなく「貯蓄」に回されるようになっているという傾向を見ると
それは将来に対する不安からくる
「将来に備えるため」

そこから視えてくる

 「 失 わ れ た 2 0 年 」が 
若者たちから奪ったものは、

「将来への展望」であり
「将来に夢を描くこと」
なのです。

非正規雇用でぎりぎりの生活をしている者だけではなく、 
現時点では比較的恵まれた職や収入を得ている者であっ ても、
その状態が将来にわたって安定的に続くという確信を持つことができない。
リストラにあうかもしれない、
会社の 経営が傾いて収入が減るかもしれない。
会社じたい が潰れてしまうかもしれない。
誰もが、そんな漠然とした不安を抱えながら、毎日を過ごしています。

「将来」を信じることができた、
少なくとも疑わなくて済んだ
バブル期の若者は、
安心して消費にうち興じることができた。
 それに対して、「将来」を失ってしまった現在の若者が消 費に能動的になれないのは、
ある意味ではごく自然な行動の変化であると言えます。

【6】未来の日本を予見する


《参考文献:21世紀を生き抜く3+1の力/(著)佐々木裕子》


【2050年の日本はどんな風になっているか】



1.
2050年には、日本の総人口9700万人
その内、労働人口(15歳〜64歳)は5000万人まで減少します。


世界の多くの国が若い労働人口を抱えて成長する中、
日本は2050年にはベトナムよりも小さな
「人口中位国」になり、
そのまま行けば、21世紀が終わる頃には、
人口4900万人にまで減少し、
それは、ちょうど明治初期時代の日本に戻ることになるそうです。

経済大国と呼ばれていた、
私達の国、日本のGDPは、
2050年には、
中国やインドの12分の1未満になり、
インドネシアやブラジルの半分以下と
同じレベルの「経済中国」になるそうです。



2.
2050年の日本の総人口の平均年齢は53,4歳
人口の4割が65歳以上の国になり
日本の現居住地域の20%が
『人の住まない土地』となり
60%の地域で人口が半減
日本の全人口の4割は
『おひとりさま』になるそうで、

 日本の経済の観点から見ると
人口の4割が65歳以上ってことは、
そこには、
あまり生産性を期待することは出来ない。

ということは、

今だに、日本政府は、
経済成長、経済成長!と
いい続けていますが、

僕は、こう思うのです、

そんなアホな、
ありもしない経済成長を
この先の未来、
この国に求め続けたとしたら

 残りの6割の人たちが、
死にもの狂いで働いたとしたって、
この国が成り立つのかどうかすら怪しい、

しかも、平均寿命は90歳になってきているのです。

ということは、


 かりに100歳くらいまで生きる可能性がある前提で老後の生涯生活費を計算すると
 

 65歳でリタイアしたとして
死ぬまで残35年あります。

都市部で月額22万くらいの生活費が必要と仮定すると
35年で9600万円
医療費や介護費などを加えると
約1億円が必要になります。
 

これを、
人口の4割が65歳以上の
超高齢化社会で
『年金』や『退職金』でなんとか、、、


出来るわけない、、
無理、不可能なんです。

 
ということは、、
 

2050年の平均年齢53,4歳の日本で、
健全に生き抜いていく為には
80歳くらいまで、
元気に働きつづけられる
『精神力』と『身体』を、
今の内から準備しておかなければならない、

これから、日本の未来は
そんな世界になるのです。



それにプラス、
国土交通省の推計で
2050年の日本では

『夫婦と子供』で構成される世帯は
わずか全体の17,7%

その代わりに日本全国の4割以上の世帯が
『おひとりさま』という時代がやってくるそうです。

老後をひとりで生き抜いていかなければならない
爺さん婆さんが、コミュティ力が薄い大都市に増えていくのです。

【7】現在の日本の危機



《参考文献:日本が売られる 
/(著)堤未果》




そして現在、
日本が誇る貴重な資産が、
海外の金融資本家へ、
売られているという
恐ろしい現実があります、

1、2018年12月30日にTPP発行された事により、
今の日本はアメリカの属国から、
そのアメリカを支配していた金融資本家達から、今度はグローバル企業を介して直接支配される植民地へと変わりました。


さらに今後、加速的に
日本人の資産が売られていく流れが、あろうことか、
日本政府によって作られています。

小泉&竹中による郵政民営化による
郵貯100兆円の金融資産が売られた事に始まり

現在は、更に、

1 水が売られる(水道民営化)

2 土が売られる(汚染土の再利用)

3 タネが売られる(種子法廃止)

4 ミツバチの命が売られる(農薬規制緩和)

5 食の選択肢が売られる
(遺伝子組み換え食品表示消滅)

6 牛乳が売られる(生乳流通自由化)

7 農地が売られる(農地法改正)

8 森が売られる(森林経営管理法)

9 海が売られる(漁協法改正)

10 築地が売られる(卸売市場解体)



そして更に更に、
日本人の未来までもが、
売られはじめています。

1労働者が売られる
(高度プロフェッショナル制度)

2日本人の仕事が売られる
(改正国家戦略特区法)

3ブラック企業対策が売られる
(労働監督部門民営化)

4ギャンブルが売られる(IR法)

5学校が売られる(公設民営学校解禁)

6医療が売られる(医療タダ乗り)

7老後が売られる(介護の投資商品化)

8個人情報が売られる
(マイナンバー包囲網拡大)

更に、更に、、
それに加えて、
今、私たちがおかれている
コロナ禍という現実の中で、


人々の交流、
経済の流れが、止まりだし、
底辺で生きる私たち誰もが、
闇の中を彷徨うしか無い状態に
追い込まれている、、
、そのような絶望的な状態が、
今の日本の現実の姿です。


そんな状態の中で、
ひとすじの希望かなぁ、
と感じる事象は、
今、日本以外の世界では、
反グローバリズムの潮流が
湧き上がり広がり出している事くらいです。

【8】日本の未来への灯火


このような今、
この時に
日本に生きる私達は、

これから先の21世紀を
いったい、どのようにして
生きていったら良いのだろうか?


 「 失 わ れ た 2 0 年 」が 
若者たちから奪った
「将来への展望」
「将来に夢を描く希望」を
私達大人達は、どのように
取り返し、若者達に伝えていくべきなのか?

僕は、底辺に生きる私たちが
これらの問いに向き合い
皆で考え議論しながら
既成概念に縛られない、
新しい力強い文化を
自分達で創っていく、
そんな場所を、
この日本に創りたいと考えています。


アンディウォーホルは
1962年のニューヨークに
【THE FACTORY】を作り、
その時代が先行く、
大量生産大量消費社会の価値観
そのものを世界に現した、

【THE FACTORY】に集まる
HIPSTER達は、
当時、世界に多きな影響力を持ちだし、
多種多様なメッセージを発信しました


でもね、、
今を生きている僕は、
アンディウォーホルの
【THE FACTORY】も
当時、そこに集まる
HIPSTER達も
実のところ、
クソだと思っているんです
お前らがやった事なんかに
何の価値もねーよっ!
って思っているんです、

その、彼らが表現し現した
そのクソさが、
まさに、産業革命以降の
大量生産大量消費するだけの世界を
現していた。というアートだったということに対しては
認めているだけであって
その中身はクソだっ!
としか思ってないんです。


だから、僕は、
そんな中身空っぽで、
表層的で、
カッコイイだけの文化を
真っ向から否定する、


新しい時代を先に行く
先鋭的で土着的でもある
持続可能な世界を創る文化を
産み出し続けていく、 

私たち人間が
本来の在り方を取り戻し、
本来の人間存在という仕事を
それぞれの、
唯一無二な
ユニークな存在そのものが!
その表現そのものが!
その腹の底から突き上げてくる
叫びそのものが!
本来の人間の仕事になるような、
そのような文化活動を創作していく、
私達の【THE FACTORY】を
この日本に創りたい。
そう考えているのです。

  

【9】ビジョン


 
〜THE FACTORY〜
  【 DIO MONKS 】

☆ビジョン☆


言葉が世界を創る。
 

だから、
まずは、名前をつけました。
 
 

〜THE FACTORY〜
【 DIO MONKS 】
 
 

〜THE FACTORY〜
この工場は、
産業革命によって
都市部に奪われた人々を
今度は、
地方、農村部に戻す工場となる。

 

DIOとは
DO IT OURSELVES
(私達の世界を私達自身で豊かにしていこう)
の略で、


MONKSとは
僧侶達
 
 

資本主義が急速に発展して
現代文明とは
欧米を中心とした西洋文明の事、

これから新しい時代を切り開く為に
必要なものは、
生命論的な思想や知恵が宿る
東洋文明の価値観だと思います。
禅、仏教、密教、タオイズム、インド哲学
それらの世界観が、
今、世界には足りません
だから、日本から、
その世界観、価値観を
改めて再構築し、世界に発信するんです、

だから、
僧侶達、
MONKS





例えば、
こんなイメージ、、

日本列島の山々に
挟まれた場所に
立つ【THE FACTORY】


そこは、大いなるもの(自然)に
謙虚に、感謝の意を込めて
ひざまづきながら
これからの21世紀の世界に
持続可能でパワフルな
新しい文化を産み出す場所。


だから、


〜THE FACTORY〜
  【 DIO MONKS 】
と名付けました。


そこは、
世界中の現代のHIPSTER達が
集まってくるサロンでもあり

自然という大いなるものに、
ひざまづきながら
過去と未来を今に結び直し
私達の世界を私達自身で豊かにする文化を
産み出していく工場でもある。


それが、
〜THE FACTORY〜
  【 DIO MONKS 】



そこで産み出されるものは、


西洋文明的な合理的専門的分業システムから
東洋文明的な本来は表裏一体であるという価値を取り戻し
個々人の心の中の
多種多様なパーソナリティの総合性が他者のそれと繋がり、生態系のように広がていき
DIOで新しい価値を産み出す文化

その文化は

人間は機械の一部ではない、
代替の効く部品ではないということを思い出し、人間性、
本来の人間という存在を
この地球に復活させ、

身体の健康に関しても、
病気発生の根源的なメカニズムを知り
自己治癒能力を復活させる。


社会全体の効率を考えると、
分業化は全体のパフォーマンスが上がるので必要だとは思う、
だけど、それだけでは
本来人間が持っていた総合性や多義性など、何かが抜け落ちる気がするから、
自分の専門ではないものであっても、やったことがないとその技能に対するありがたさや難しさがわからない

だから、
自分の精神世界の中に抑圧したまま放置された多種多様な個性を認め、表現しその心の生態系を整えることが大切だという教育。



「つくる人」と「使う人」の距離が、
遠くなり「分断」されてしまっているものを結び直す。
だから、DIYだし、DIOである。
作るプロセスを体感
作るプロセスを見せていき
ただの消費者にするのではなく
一緒に作る仲間にしていく文化


その時々、必要なものを、
必要な人にだけに、柔軟に届けられる
変量生産的文化



自然界の生態系には、
ミミズやキノコのような
分解者という役目を負った生き物がいます。

分解をする存在がいるから、
生産や消費もまわっていく
だから、
分解者となる存在がもっと沢山できれば、
持続可能な循環が生まれる。
そんな分解の役割を担う文化
役目を終えたものを組み合わせて、
もう一度いのちを吹き込み、
再生産につないでいく
リサイクルではなくて
アップサイクル

リノベーションを大切にする文化 


自然エネルギーのひとつである
オフグリッドの実践や
自然農法の実践による
自給自足文化


今までは
ただ消費することで欠落した自分を
満たそうとするだけだった
現代の娯楽に
うって代わり


〜THE FACTORY〜
  【 DIO MONKS 】
という場所は

持続可能な世界を
DIOで創造する為に、

地球と
野性と
仲直りした、
本来の人間存在の実現を、
その言葉を、
DIOで取り戻す為に、

自然の中で、キャンプしながら
星を見ながら、
キャンプフェスで音楽を楽しみながら
皆で哲学し、議論し、
新しい文化を産み出し
自分という存在を活かした
自分仕事までも、
DIYで創りだしてしまう。
そのようなことが、
次の時代の新しい娯楽になるという価値観を
世界に発信していく場所。


もちろん、
従来のNPOや財団、ボランティア団体が抱えていた活動資金の問題、
社会貢献という高い理念を持ち活動していても、政府からの補助金や、寄付金などが途絶えると活動できなくなるという問題に対しても、
インターネットを駆使し、
ブロックチェーン技術を
活用して、
NFTで、自分という存在表現を
作品にし、そこから
お金を産みだしたりし
その活動を支えていく仕組みを
創作したり、、

テクノロジーの進化を否定するのではなく、

映画もののけ姫の主人公
アシタカのように、
人間の文明と
サンが生きる野性との
間の、ど真ん中に、
人類が野性と共に生きる場所を
みつける旅をするような観点を持った企業家的なマネジメント手法も組み込みながら、自らの社会貢献事業から収益を生み出し
活動の自立性と継続性を確保する探求もしていきます。




そんな、
クリエイティブな
アトモスフィアに包まれた場所


それが、

〜THE FACTORY〜
  【 DIO MONKS 】


そんな場所を
皆で創っていけたら、

僕は、
そのような、
存在の詩が
その場所の
眼には視えない領域に
流れている世界を
この眼で見たい
この足で、その場所に
立ち合いたいのです。

そのようなビジョンに
辿り着く為の、
僕の、ひとつの創作活動が、
このnoteでも、あります。



最後に、
エレファントカシマシの
【EASY GO】という曲から
一節、抜粋して、
ひとまずは
終わりにしたいと思います。
ここまで、読んでいただき、
ありがとうございます。 

 【word by HIROTO】
 
 
 


剛者(つわもの)どもの夢のあと 
21世紀のこの荒野に
愛と喜びの花を咲かせましょう 
神様
俺は今人生のどのあたり?

そうLet's go

《詩:宮本浩次》
photo by HIROTO



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記事を頑張って書いていきますので!
これからも、
よろしくお願い致します。







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