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能登半島地震 被災地報告 その4  各地での状況②波被害現場、仮設住宅で

 被災した人の話を少しでも伺おうと、炊き出しの合間を縫って、被災現場や開設されたばかりの仮設住宅を訪問した。当然ながら、苦難の訴えに返す言葉がなかった。助け合いもだが、強力な公助が求められている!
 
 能登半島先端を北から東へ回り込んだ津波は、最大5メートル近くだったとされる。当然、家屋は全壊、人も車も流される勢いだ。
 
 珠洲市中心部から国道249号を南へ4キロ余り、飯田湾に面する春日野地区に着く。左折して沿岸部に向かって走ると手前の家屋も大部分が倒壊しているが、海岸近くまで入ると津波の被害が歴然だ。地震で崩れた後に津波にかき混ぜられたと思われ、原形を留めない家屋が続く。破壊された家の残骸に車が乗り上げ、傾いた電柱や折れた樹木に漁具が絡まるっているのが津波の威力を物語る。めくれたアスファルト舗装もが流されている。
 
 すぐ向こうに波打ち際が見えるが、近寄れないその手前は土台だけ残して建物が消滅している場所も。東日本大震災の被災地各地で見たのとまったく同じだ。復興どころか復旧さえ見通しがたたないことが分かる。個人の「自助」ではどうしようもなく、よほど公的支援をしなければ、集落消滅の危機だろう。ここで長年暮らした人々の無念を思う。
 
 手前の区画に戻ると、家の前の瓦礫を片付けている中年男性がいた。建設業で自ら建てたという立派な自宅はあまり損傷していないようにも見えるが、話を聞いてよく見ると、土台ごと20センチほど陥没し全体に傾いて居住も修復も無理だ。「大揺れで慌てて外へ飛び出したら、周囲の家は全部ぺしゃんこだった。すぐに『津波が来る』という叫び声で高台に向けて走り、助かったが、川が逆流するのが見え、津波は何度も来た」と恐怖を語る。
 
 向かいの家は屋根も完全に崩れ、瓦礫の塊になっている。その住人の60代夫婦は奇跡的に自力で何とか脱出したが、近所では何人もが亡くなったという。「悲しいことです。うちもこれからどうしていいか、見通しは立たない」と言い、話をする中で「仕方ない」を何度も何度も繰り返した。
 
 前日夕には、輪島市で開設されたばかりの仮設住宅を訪問した。海岸近くの空き地で、かさ上げコンクリート土台に載せたトレーラーハウスのようだが、作りはしっかりしている。家の中は木造りで台所もフローリングにシステムキッチンという構造。阪神・淡路大震災や東日本大震災などでの経験から、少しでもましな住環境を提供するということだ。当然の措置である。
 
 最初に尋ねた家は、この日に入居したばかりで、朝市通りで全焼した寺院の副住職夫人だった。夫は市役所勤務だという。富山の実家に帰省する途中に氷見で地震に遭遇。戻ったら寺は全焼していた。「いのちが助かっただけで良かったが、今後どうしていいのか」と暗澹たる表情だ。炊き出しで作ったお握りを勧めると喜んで受け取ってくれた。別の世帯でも口に出るのは不安ばかりだ。
 
 仮設住宅を退出すると、薄暗くなりかけた近くの港で岸壁、海底が2メートル近くも隆起しているのが確認できた。
 
 これらはごくごく一部の報告だが、大事な家族や生活の全てを突然に失った底知れない悲嘆、今後の見通しが付かない不安が被災地の人々にのしかかっていることを実感した。
 そして、長年取材を続けている東日本大震災の被災地で、被災によるPTSDや抑鬱状態の悪化、自死念慮などのケースを多々伺ったことを想起する。暮らしの立て直しに向けて気丈に頑張っているように見えた人が突然に自ら命を絶った例をいくつも耳にした。能登半島地震でも、精神的支えも生活への支援も、まだまだこれからだと言える。
 

海岸近くの家々は津波で跡形もない
道路の舗装までが壊れて流された


ひっそりした仮設住宅
海底が隆起した輪島港


 
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