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『透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。』読了感想

・挨拶

みなさんこんにちは、SoLs(そるす)です。
noteの更新頻度が少し高くなっていることに、自分も驚いています。
でも実際は、自分の時間と気分によって書いているので、1年以上更新がない時や、3日連続更新!などムラがありすぎなnoteですが、温かく見守ってください(笑)
またYouTube動画も実際どのタイミングでできるかの検討がついていないのが実態なので、準備でき次第動画を上げていく方針にしていこうと考えています。(主に機材と時間の問題ですが)

・本題

さて、読了感想ブログは第5回目です。
このブログでは、「#そるラノ」(X(旧Twitter)の投稿用ハッシュタグ)に投稿した作品の感想を「より深く」書いていきます。

今回の作品は、『透明な夜に駆ける君と、目に見えない恋をした。』です。

GA文庫より2023年8月に発売されました。
第15回GA文庫大賞にて4年ぶりの大賞作になった作品であり、恋愛小説では初の大賞受賞作になりました。志馬先生、恐るべし、、、

このブログはネタバレは多少含むので、まだ読んでいない方はぜひ読んでからこの感想を読んでもらえると嬉しいです。

《SoLsのポスト(ツイート)》

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・あらすじ

まずは「あらすじ」です。

「打上花火、してみたいんですよね」

花火にはまだ早い四月、東京の夜。
内気な大学生・空野かけるはひとりの女性に出会う。名前は冬月小春。周りから浮くほど美人で、よく笑い、自分と真逆で明るい人。話すと、そんな印象を持った。最初は。

ただ、彼女は目が見えなかった。
それでも毎日、大学へ通い、サークルにも興味を持ち、友達も作った。自分とは違い何も諦めていなかった。
ー打上花火をする夢も。

目が見えないのに? そんな思い込みはもういらない。気付けば、いつも隣にいた君のため、走り出すー

ーこれは、GA文庫大賞史上、最も不自由で、最も自由な恋の物語。
(裏表紙より抜粋)

最初(読了前)は「ありきたり」な恋愛作品だと思っていました。実際に、私はさまざまな恋愛小説を読んできて、多くの「病気系」の恋愛小説を見てきたこともあり、今回は「目が見えない」というテーマなんだなあという軽い思いを正直もっていました。(他作のタイトルは伏せますが)
しかし、読了後は「さすがは『大賞作』だ」と思わせてくれましたね。
ヒロインに対して「尊敬の念」を持ちました。
これはあまりないことなので、逆に凄いかも、、、?と思っています(笑)
このあたりのことも、解説していこうと思います。

「打上花火」というワードがキーワードになってくる作品です。
実際に僕は東京・隅田川の花火のような規模の打上花火を見たことがないので、
いつか見に行きたいなあと、この作品を読んで思いました。

・読書後感想(【重要】ネタバレあり)

今回の注目点は主に2つです。

『小春は「勇気」の体現者』

まずは、『小春は「勇気」の体現者』であるということです。本作のヒロインである「冬月小春(こはる)」は、がんの影響で「目が見えなくなってしまった」大学生です。ぱっと見だと「美人」に見えるほどの容姿を持っていますが、目に障がいを持っています。彼女は普通の大学生と同じように授業に出席し、飲み物を自動販売機で買い、飲み会に参加するなどの物事をこなします。それだけでも凄い(と私は思う)のですが、目が見えないことを悲観することなく、常に前向きでチャレンジ精神旺盛な性格を持った人なんですよね。
「目が見えない」=「辛く苦しい」のような思考になりそうな境遇に対して、自分から病気に立ち向かったり、みんなと同じ「当たり前」な生活、「当たり前」の恋・恋愛をしようとする小春の姿は、まるで「勇気」という言葉の体現者のように思えてきませんか?
少なくとも私は小春のような思考にはなれないでしょうし、前向きに生きるよりも隠れて生きていたい、という選択を私だったら取ると思います。

実際に小春が「勇気」の体現者だと私が確信したワンシーンがあります。

物語冒頭に主人公、空野かけるが小春が持っていた栞を風で飛ばしてしまい、失くしたシーンがあります。その後、物語中盤に栞が見つかった後、かけるがその栞に書かれた点字を3時間かけて解読するシーンがあります。
栞にはこんなことが書かれていました。

第一文「のみかいにいく さーくるにはいる」
第二文「ともだちをつくる かいものにいく」
第三文「はなびをする こいをする」

(単行本199ページより)

この時点で私は泣きそうになりました。やりたいことを毎日携帯している栞に書いておくのも凄いなと思いましたが、注目するべきは、その内容です。
全て、「普通の人」と何ら変わらない「当たり前の」生活をするということが書かれているんです。
「普通の人」というワードで括ってしまうと、余計に「目が見えない」ことを助長してしまうかもしれませんが、小春は自分の目の前にある逆境を、逆に「生きる力」に変えているように捉えることができます。凄すぎますね。
まさに、「『勇気』の体現者」だと思います。

また、小春はほかの人にも「勇気」を与える存在としても描かれています。実際に終章では、主人公のかけるをはじめとした、早瀬優子、鳴海潮の3人のその後が描かれていますが、3人とも小春のことを思い出しながら、前向きに生きていることがわかります。つまり、小春の「勇気」ある生き方は誰かの「勇気」になっていると私は思います。

このことから、小春は「勇気ある」自分の生き方を貫き通し、また周りの人に「勇気」を与える存在であることから「『勇気』の体現者」である、と私は読んでいて思いました。
だからこそ、読んでいるみなさんに訴えるなにかがあり、涙を誘ってくる、そんな作品になっているのではないでしょうか。(実際私はボロ泣きしました(笑))
私は、この作品を読んで初めて、登場人物に尊敬の念を抱きました。小春のように「勇気」を持って人生を生き、誰かを「勇気づける」、そんなヒーローのような生き方はなかなか人生でも真似できないものがあるからです。私もそんな人になれたらなあ、、、(笑)


『打上花火』

もう一つの注目点として挙げられるのは、やはり「打上花火」でしょう。打上花火というものは、夏の風物詩であり(実際は夏以外でも見ることはできますが)、小説などでは打ちあがったときは美しく、すぐ消えてしまうので、「美しく儚いもの」の象徴である、というイメージがあると思います。(100%個人の感想です)
確かに、美しく儚いことから、小春の命が短いかもしれないということを示唆していることに変わりはないと思います。(実際にかけると小春が打上花火を見た場所は病院の中だったことからも言えると思います)
しかし、この作品における「打上花火」の役割は「美しく儚い」という象徴以外の役割を果たしているように見えました。

そのすべてが次の小春のセリフに込められていると思っています。

「花火って、心に焼き付くものだと思うんです。
こどものころ、体をわるくして、塞いだときがありました。
そのとき、家族で花火を見に行ったんです。
大きな花火が上がりました。
後ろを振り向くと、みんな、上を見ていたんです。
なんだろう。なんだかがんばる気になれたんですよね。
うつむいたときでも、顔を上げた想い出があれば、がんばれる気がするんです」

(単行本264ページより)

目が見えなくなってでも、小春が打上花火を見たいという理由、それは「頑張れる勇気になるから」であると書かれているように感じました。
小春は「『勇気』の体現者」だと私は先述しました。そんな小春も、目が見えていたころに見た、打上花火から「勇気」を貰っていたんです。

つまり、この作品における「打上花火」は、儚いものの象徴であると同時に、誰かに「光」「勇気」を与えるものであると私は考えます。実際にみなさんも打上花火を見て、綺麗だとか美しいだとか、思ったことはあるのではないでしょうか。またあの花火のように、明るい光のようになりたいな、と思ったり勇気づけられたりしたことはないでしょうか。(私はあります)
「打上花火」が単なる儚いものの象徴でないことが、この作品の良さをぐんと上げているように感じました。

青春してるの羨ましい・・・

・まとめ

この話は、作品全体を通して、「勇気」というものを伝えてくれる大学生の青春物語であるといえます。同時に、辛い時、苦しい時に少し読み返してみると、ちょっとした勇気を与えてくれる。そんな作品でもあると思います。(このnote書いてる時にも思い出し泣きしました)
目が見えない中で人生を楽しみ、笑顔でいる小春、そこから動き出す恋の物語は、きっとあなたの涙腺を崩壊させることは間違いないと思います。
とても心に響き、読んだ人に刺さる物語を、みなさんもぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
志馬先生、素晴らしい作品をありがとうございました。

以上、SoLsでした。

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