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福岡県田川市お試しテレワーク体験レポート〜”田川の炎は青く燃える”瞑想家テラさん〜

2021年10月に2泊3日の日程で開催された「~新しい働き方と地域のくらしを体験~ 福岡県田川市お試しテレワークツアー」の体験レポートが届きました!

レポートしてくれたのは兵庫県内の地方自治体で未来大使としてシティプロモーション施策の企画をしている瞑想家のテラさん。

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自己紹介
瞑想家 テラ
通信会社で経営企画・広報に従事しつつ、地元・兵庫県内の地方自治体で未来大使としてシティプロモーション施策を企画。瞑想のオンラインクラスを提供するベンチャー企業でも勤務中。

商店街のシャッター・アートから感じた決意表明

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シャッター街が400メートルほど続く

滞在した3日間で2箇所の商店街を巡った。
初日に巡った後藤寺商店街はシャッター街で、平日の夕方の開店率は体感で2-3割といったところ。侘しさを感じさせる風景は、一部の廃墟マニアが好みそうだ。

かつては夜市で大変賑わったらしく当時のアルバムを見せてもらうと、そこには大勢の子どもと大人が熱を持って集まっている姿があった。現在との対比でより一層、写真が眩しく映る。

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炭鉱で栄えた頃の商店街は人で溢れ、毎回インパクトのある催しが開かれていたようだ

翌日は別の商店街を回るらしい。また侘しい気持ちになるのかと一抹の不安を覚えた。

翌日。
この日はもう一つの商店街、伊田商店街を巡る。
向かう途中、ガイドの方から「昨日の商店街よりは賑わってますから安心してくださいね」というフォローがより不安を引き立てた。
だが、この不安は伊田のアートが、町の人たちの熱い想いが、拭い去ってくれた。

伊田商店街は450メートルほどの商店街。開店率は4割程度。昨日の後藤寺よりは店が開いているが、それでも一般的な商店街に比べると低い開店率だろう。しかし、閉ざされたシャッターそれぞれに、市民やデザイナーたちによって多様な色彩でアートが施されていた。そのおかげで、シャッターが閉じていることに意識が向かなかった。

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閉ざされたシャッターがカラフルにペイントされている

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地域の方やプロのデザイナーが手掛けたアートは多種多様

本来、閉ざされた灰色のシャッターはネガティブな連想を起こす。しかしアートの色彩を与えることによってポジティブな連想に転換される。商店街の中を歩く足取りが軽やかになった。これがアートのチカラか。

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何十箇所もあるシャッター・アートに写真撮影が止まらない

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視線が自然と上を向く

明るい色彩で視界がただ賑やかになっているだけじゃない。これから商店街を盛り上げていこうとする市民たちの情熱、パワーがここにはある。私にはこのシャッター・アートが、アートを超えた決意表明のように感じられた。
そこらの美術展を鑑賞するのとは異なるアート体験。わざわざ足を運んででも行ってみて欲しい、未知の体験だった。

「ここは炭鉱で集まった人たちが作った町だから。」

ツアー参加前にネットで見た「田川は炭坑節発祥の地としても知られ〜」という紹介文は、当時の私には引っかかりもしなかった。
田川の”今”を調べている時に、昔の情報なんて気にも留めなかった。

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かつて鉱業所で使われた二本の煙突が今も残されている

だが、ツアーで出会った田川で生まれ育ったおじさんが「田川の”今”を語る上で、炭鉱があったことは外せない」と言う。
「田川は1900年ごろから70年間、炭鉱の町として栄えた。」
「当時は全国から仕事を求めてたくさんの人が来た。」
「外から寄り集まった人たちが作った町だから、今でもヨソモノは歓迎なんだ。」
50年前には全ての炭鉱は閉山したと言うのに、それが田川の今の文化に色濃く残っていると言うのだ。

面白い。
これはアレだ。NHKのブラタモリを見ている時と同じ脳内物質が出ているんだ。
歴史や民俗学の類は、知的好奇心をカリカリくすぐってくる。

肉体労働者が多く集まったから、飲む文化も継承されているのだろう。夜の田川は、昼の閑散とした商店街に比べると賑やかで、そこかしこでスナックの看板が光る。田川初のガールズバーも最近できたそうだ。(私も中を少し覗いてみたが、ガールズが本当にいるかどうかは自身の目で確認してみて欲しい。)

ちなみに、チロルチョコの生みの親・松尾製菓株式会社も田川市に本社を構えている。炭鉱の人たちが肉体労働の後に甘いものを欲したから、全国流通するほど売れるようになったのだろうか。妄想が膨らんで楽しい。

快適な拠点

今回はただのツアーじゃない。テレワークツアーなのだ。
社会の歯車として、きちんと回らなければ。平日からブラブラし続けていられない。

テレワークと宿泊の拠点としていいかねパレットを利用させてもらった。
廃校を活用した施設なのでとても広い。都会のテレワーク施設ではあり得ない開放感。

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当時の多目的ホールが丸々コワーキングスペースになっている

さらに随所に小学校時代の跡が残されていて郷愁を感じさせる。

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給食室はカフェレストランに改装されていた

寝るスペースはドミトリー形式で少々窮屈だが、慣れていれば問題ない。
水回りは完全リフォームされていて快適。Wi-Fiも至るところで受信できた。
私に限っては、テレワークツアーに参加したのに自宅にPCを忘れる大ボケをかましてしまったが、施設のiMacを無料で利用できたので本当に助かった。

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おかげで歯車として回りました。ありがとうございます

この施設があったから、午前中は勤務しつつ、それ以外の時間は田川市を巡るプランを組めた。私みたいなヨソモノからするとこうした拠点があることは本当にありがたい。

ヨソモノたちで再興

今回のツアーは、全国から集まった8名のテレワーカーで過ごした。
午前中はテレワークして午後は町を歩く。こんな働き方ができる人たちだから、みな特殊な経歴やスキルを持つ人たちだった。
いいかねパレットに数ヶ月レベルで長期滞在する人たちも、それぞれにオリジナルなキャラクターを持っている。

この全国から集まったテレワーカーたちの姿が、私には、かつての炭鉱時代に寄り集まった労働者たちと重なって見えた。
一人のカリスマが現れて町を大きく変えるパターンもあるのだろうが、田川のこれからの再興はその筋書きではないのかも知れない。

中学校の頃に理科で習ったが、炎の色は赤と青の2パターンがあって、酸素不足だと赤色に燃えるらしい。

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赤と青の炎のイメージ

炭鉱時代から田川を支えてきた人たちの情熱の炎は今も燃え続けているが、かつての時代に比べると、今は少し弱まった赤色なんだろう。
だが、これから集まる全国のヨソモノたちが田川に息吹を吹き込む。きっと田川の情熱の炎は青色に変わり、美しく燃えていくのだろう。そう感じたツアーだった。

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テラさん、ありがとうございました!

福岡県田川市でのテレワーク・移住に興味がある方へ

◎ 体験ツアーで滞在したいいかねPalette

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LivingAnywhere Commons 田川 (いいかねPalette)

◎田川市の移住・定住相談窓口

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住めばいいとこ!田川市の移住・定住相談窓口

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【福岡県田川市】子育て支援施設の入居者を募集します!

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