心筋梗塞-御代替わり-入院(10/了)
術後経過
手術の後、尿道の痛みは続くものの、全般的には快方に向かっていった。ただ、体力が相当落ちていたようだ。その分、体重も減っていた。後日、自宅の体重計で測ったところ、入院前に比べて6Kg減っていた。
入院中に行なったことと言えば、寝ること、食べること、起きているときは本を読むこと、ノートPCで調べものをすること、訪ねて来た見舞客と話をすること、くらいで、ほぼ運動らしい運動はしなかった。
部屋は個室だったので、だれにも気遣う必要がないのは良かった。特に、朝早く起きても誰にも気遣うことなく部屋の中を動けることは良かった。私は、窓の前に椅子を置いて、そこから窓の外の景色を見るのがお気に入りだった。朝の景色は厳かな気持ちにさせてくれる。今までのこと、これからのことなど考える。夜は夜で、部屋の明かりを消し、窓の外の景色を見る。暮れなずんでいく街の景色は私の心を落ち着かせてくれた。
退院が近づく頃になると、退院させても問題がないか担当医による術後検査がいくつかあった。2段の階段を数回昇降させたり、誘導線に沿って直っすぐ歩かせたり、運動後に心電図をとったりなどが行われた。「いつ退院が出来ますか」と聞くと、「このテストをクリアできればですね。」という。順調に回復しテストもクリアできているし、退院は間近だなと思った。
退院
2019年5月17日の退院が決まった。退院の日は、午前中、栄養管理士からの講義がある。それをクリアしないと卒業(退院)出来ないような雰囲気だ。真剣に聞く。要は、心筋梗塞の原因の1つに塩分摂取過多があるので、調理をする際又は食事を摂る際はくれぐれも注意しなさい、と言うことだ。「えっ、そんなに塩分とっちゃダメなの?」と言うくらいの数字だったと記憶している。
そして、無事講義を終え退院手続きへ。退院手続を淡々と行い、帰途に就く。入院費用等の支払いは前日に行なったか、退院日に行なったかよく覚えていない。ただ、入院時に渡された書類を見ながら支払ったことを覚えている。高額療養費とか、自己負担限度額とか、限度額適用認定証とか、心筋梗塞になって初めて知った制度や用語である。これらの制度のおかげで、私の負担は少額で済んだ。
帰途の道すがら
帰途の道すがら、からだを妻に支えられつつ何度も立ち止まって休憩した。体力が落ちていたことが如実に分かった。とにかく連続して運動(歩行)するのがきつかった。同時に、背中全体が痛いことに気付いた。面としての痛みである。今まで感じなかったことのない痛みである。そのうちにこの痛みも消えるだろうと高を括っていたが、それから4年半消え去ることはなかった。
健康時は、病院から自宅までは徒歩で約20分ほどの距離なのだが、この時は1時間以上はかかっていたと記憶している。お昼の時間帯だったので、食べて帰ろうと思い、麺料理の店(塩分強し!)に入って食べたが、まだまだ旨いという感じはなかった。食事後、自宅に着いて静養。
雲が重く垂れ込め今にも雨が降り始めそうなそんな天気だった。
予定では、翌週から仕事に出ることになっていたが、大事をとって5月一杯は会社を休むことにした。
終わりに
そういう訳で、もしかして死んでしまうかもしれないという体験をしたのであるが、後で色んな人に心筋梗塞になった話をすると、あぁ、俺なんか3回ほどやってるよ、とかいう強者もいて、自分の症状はさして大変なものではなかったことを気づかされることになる。
だが、心筋梗塞の手術後に変わったことが1つだけある。医学的な見地からはどうみなされるのか分からないが、何か参考になり得るかもしれないので記しておこうと思う。
とにかく、眼鏡なしで、裸眼で、目がよく見えるようになった。近くのものも遠くのものも、両方とも。
以上で心筋梗塞-御代替わり-入院と続いた体験記を締めくくることとする。
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