ブラックソード・ストーリー

第六之章 再会

ミザリとエグナスの姉弟はジャドルに戻りボルゴ海の沿岸にあるジェリテで母と静かに暮らしていた。

キュエルに貰ったべランシュラの花は花瓶の中でもう数年も経つのに一向に枯れる気配がない。

「私、大きくなったらキュエル様の妃にしてもらうの」

「平民が妃になんかなれないよ。でも僕はいつかブリュラスの軍に入って出世してエル・ゾデスになってキュエル様に仕えるんだ」

「二人ともキュエル様のファンなのね」

「母さま。もちろんよ。あの方、私たちを助けてくれたの。ブロンドのかみの毛が美しくて、強くて、優しいの」

ミザリは夢見る乙女のようにはにかみながら言った。

「その時キュエル様は元気そうだった?」

「もちろんよ。とても元気だったわ?なぜそんなこと聞くの?」

「ええ…。でも噂ではあのエル・ゾデスの出兵から未だに帰って来られぬと聞いているし、どうされているのでしょうね?」

子供たちと話している時、玄関が開く音が聞こえた。

「おい、今帰ったぞ」

「あ、父さんだ!」子供達は玄関へと駆け出していった。

無骨で色の黒い鍛え上げられた肉体の壮年の男が手に大きな魚をぶら下げて玄関に立っていた。

「あなた、お帰りなさい」

「ああ、今日は豊漁だったのでな、型の良いゴーグを持って帰ったよ。サルアと一緒に煮物にでもしてくれないか?エメル」

「これは見事なゴーグね。それじゃあ、残りの半分は干して明日はミーレ貝と一緒に焼きましょう」

エメルと呼ばれた母親は台所に行くと手慣れた手つきで魚を捌き始めた。

「随分、魚を捌くのも上手になったな」

夫のゼリオスはエメルの後に寄り添うと、優しく語りかけた。

「お前が最初に浜に流れ着いて倒れていたのを見つけた時は何もかも忘れてしまっていて、随分難儀したものだったが…。今じゃすっかり漁師の奥さんだ。あの時身につけていた衣服はどこか名のある貴族の令嬢かと思ったが、俺の方がすっかりお前に惚れてしまって今では二人の子供にも恵まれて俺は幸せ者だよ」

ゼリオスはエメルをそっと抱きしめ口づけた。

「さあさあ、もうすぐご飯が出来るわよ。子供たちを呼んできて。食事にしましょう」

その夜、エメルは夢にうなされて目が覚めた。

黒い甲冑をつけた兵士が部屋のドアを蹴破って雪崩れ込んできた。夢中で逃げながら手の中の赤子を庇って逃げた。その時に部屋の片隅に立ち尽くしていた少年。

夢の中でその少年に向かって「キュエル!」と叫んでいた。

あの少年と同じ名前の「キュエル」という名前の軍師。考えても思い出せない。あの抱いていた赤子は私の子供なのだろうか?

いや、私には今の幸せとゼリオスとの間にもうけた二人の子供がいる。

きっとあれはただの夢なのだ。

エメルは再び深い眠りに落ちていった。

漁師の朝は早い。

子供たちが寝ている夜も明けぬ早朝にゼリオスは船着場へと向かっていた。

港の桟橋に着くと、自分の船を杭に繋いだロープをほどき飛び乗った。水面は穏やかでもやがかかっている。水温がいつもの年よりも少し高い証拠だ。

船を操って岬の先を西に回り込んだ。西からの暖かい潮流に乗って魚が移動してくると踏んだ。漁師の経験と感で西側の沖の根に群れが付いていると考えて、沖の根の西側に網を張ることにした。

ふと岬の岩場に目をやると小さな帆船が岩陰に停泊しているのが見えた。

見たことのない国の船だった。

ゼリオスは胸騒ぎがして港に引き返した。

その頃ゼリオスの家に訪問者があった。コンコンとドアをノックする音がした。

朝食の準備をしていたエメルが手を離せなくてミザリに声をかけた。

「ごめん、ちょっと見てきてくれる?」

「はあい」ミザリは元気よく玄関に行くと「どなたですか?」と来訪者に声をかけてドアを開いた。

ミザリは来訪者の顔を見て声をなくして立ち尽くしていた。

「ミザリ、誰だったの?」

エメルが台所からエプロンで手を拭きながら玄関に向かうと、そこには思わぬ人物が立っていた。

「あ、あなたは?」

その男は笑顔でエメルにお辞儀をした。

「お久しゅうございます。エレメ様」

「私はエメル。人間違いじゃありませんか?」

キュエルはゆっくりと左手を差し出しエメルの額に押し当てた。

エメルの頭の中にあったぼんやりとしたイメージが突然鮮明に蘇った。

長いブロンドの髪に端正な顔立ち。幼かったことのか細さは失われていたが、それは見覚えのある顔だった。

「あなた、キュエルなの!?」

「キュエルさまぁ〜」

ミザリはキュエルに抱きついていた。気づいた弟のエグナスも玄関に走ってきてミザリと同じようにキュエルに抱きついた」

「ああ、あなたは本当にキュエルなのね。生きていたのね」

「母さま、キュエルさまのこと知ってるの?」

不思議そうにミザリは母の顔を見上げた。

「あなたたちは部屋に戻っていて。さあ、お母様はキュエルさんとお話があるの」

ミザリとエグナスが不服そうに部屋に帰った後、キュエルとエレメは話し始めた。

「キュエル。無事で何よりです。私はここ十年近く記憶を失っておりました。あなたはコンフォーラを使えるのですね。その力で私の記憶を戻してくれたのですね」

「エレメ様。私が生き残るためにこの力はどうしても必要だったのです。子供二人はあなたのお子様なのですか?」

「そう、この地で伴侶を得て子供をもうけました。私はもうこの地の人間として人生を送っているのです」

キュエルはエレメの顔を見て、少し間を置いてから言った。

「あなたは私を黒騎士たちがうろつく王宮に見捨てて逃げた」

「あの時、私はあなたの弟を抱いて逃げるのが精一杯だったのよ。心の底から後悔しているわ。ごめんなさい」

キュエルは一瞬顔を顰めたように見えたが、すぐにあの優しい笑みを浮かべた。

「仕方ありますまい。ご覧ください、私の命を脅かした黒騎士は今や我が手中にございます。しかし、私にはもう一つどうしても必要な物があるのです。あなたはその在処をご存知のはず」

「何が必要なのですか?私に出来ることならなんでもするわ?何が必要なのか教えて」

「メーヤを司る碧石カルファ。あなたはその在処をご存知のはず」

エレメは遠くを見つめるようにあの時のことを思い出していた。

「キュエルよ、その石をあなたに渡すことは叶いませぬ。あの石は我が子サラムとともに行方が知れぬのです」

「そんなはずはない…」

キュエルが言いかけた時、後のドアが開いて夫のゼリオスが帰ってきた。

「おい、お前は誰だ?ここで何をしている?」

ゼリオスは場違いな訪問者を訝しげに眺めながら言った。

「邪魔をしないでください。私はエレメ様と大事な話をしているのだ」

突然現れた邪魔者に苛立つようにキュエルが言った。

「なんだと?お前は俺の妻と何を話していると言うんだ!」

ゼリオスはその太い腕でキュエルの胸ぐらに掴みかかった。

「邪魔をするなと言っている!」

キュエルが両手のひらを合わせ、小さく呪を唱えると突風が吹いたようにゼリオスの体を後の木の幹まで吹き飛ばした。

「私の夫を傷つけないでください!」

エレメが叫んでいる時、彼女の後ろから小さな声が聞こえた。

「母さま、どうしたの?」

そこに小さなミザリが立っていた。

「ミザリ、来ちゃだめよ!部屋に戻って!」

ミザリは庭の木の根元に血を流して倒れている父の姿を見つけた。

「キュエル様?父さまに何をしたの?」

「何でもない。子供には関係ない。お前たちに構っている暇はないのだ」

それまで優しかったはずのキュエルの変貌にミザリは驚き、睨みつけながら言った。

「キュエル様。母さまを傷つけちゃダメ!」

「私は君のお母さまに用事があるんだ」

キュエルは前に進み出るとエレメの腕を掴もうとした。

「お母さまに何をするの!」

ミザリが幼い体を震わせながら叫んだ。

その時だった。その小さな体から黄色い光が生まれると溢れ出るようにキュエルに向かって放たれた。

光の嵐がキュエルに向かって突風のように襲いかかった。キュエルは両手で呪を結びその嵐を防いだ。

「何と言うことだ!こんなに幼いのにアーグを操るとは!」

「キュエルよ去れ!アーグは我が元にあり!」

幼いミザリの口から大人の女の声で語られた。

キュエルは胸元から赤い石を取り出してミザリの前に突き出して再び呪を唱えた。

「ゲルスの名において命じるアーグはゲルスと共にあり。力を沈め我と共に来い!」

赤い光がミザリを包み込んだ。

ミザリは小さく叫び気を失ってしまった。赤い光はそのままミザリを包みながらキュエルの元に運んだ。

「娘をどうするの!?」

エレメが踏み出そうとするが体を動かすことができない。

「エレメ様、ご子女はこのキュエルがもらい受ける。石は手に入らなかったが力は手に入れた。さらば」

キュエルは言うとミザリを抱いて呪を唱えた。

二人の姿はまるで空気に溶け込むように姿を消してしまった。

怪我をしていたゼリオスの傷はいつの間にか消え、小さくうめくと何が起こったのか理解できず呆然と立ち尽くしていた。



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