ブラックソード・ストーリー
第八之章 魔軍
目覚めた時、そこは四角い箱の中のように思えた。
ガタガタと揺れる箱の底に柔らかな綿のようなものが敷かれ、その上が綿の布で覆われていた。自分がそこに寝かされていたのだということに思い出すのに少し時間がかかった。
尊敬し敬愛していた人が母さまと父さんにひどいことをしていた。
あの瞬間、頭の中で何かが弾けた。
私の中の何かが吹き出すような感覚があった。
でも、心と体が自分の思い通りに動かない。そうだ、今は彼に支配されている。あの時みたいな力は生み出せない。
絶望感に苛まれながら箱の隅にある小窓を開けて外を眺めた。左手に高い山々が見え、右手遙か遠くに海が見えた。
時折小さな街並みが見えるがこれまで見たことのない風景だった。
もう、あれからどれほど時間が経ったのかわからない。
自分を世話してくれる侍女がいたが、彼女は無表情でほとんど何も話さなかった。いや、多分話せないのだ。私と同じように心を支配されている。
「お目覚めですか?ミザリ姫」
キュエルがいつものように声をかけてきた。
「姫?私のことをなぜ姫と呼ぶの」
「お気に召しませぬか?あなたの母君は王妃であられたお方。その娘であるあなたが姫と呼ばれるのは何の不思議もありません」
まだ納得がいかなかった。母のエメルをエレメと呼び、かつて王妃出会ったと言われても信じがたい。
「そういうあなたは誰なの?」
「私のことを説明するのは難しい。いずれはわかること。ただ私はこの力を手に入れるのに血の滲むような努力が必要だったが、あなたはそうではないらしい。どうやら、この力の秘密はあなたのお母上の血筋に色濃く現れているようだ。あなたにはドミナスの呪をかけている。逃げることは叶いませぬ。我々はあと数ヶ月で目的の地に到着いたします。その力は成人となった時からより強く現れると古文書に書かれております。かの地に入ればあなたのその力の真価がわかるはず。そしてその時、私にはあなたの力が必要となる。それゆえそれまでは何があってもお守り致しましょう。どうぞご安心を」
◆
キュエルの変わり身となったガルモス王の黒騎士隊の軍勢は大国ジャドルで戦果を挙げ、さらに軍勢を膨らませケラフ山脈を超えて東の強国ベーリアスに入ろうとしていた。
周辺国は黒騎士隊エル・ゾデスの黒き軍団の行手にある小国の王は戦いもせず降伏を名乗り出た。
エル・ゾデスの兵たちは死をも恐れぬ悪魔の兵と恐れられていた。
彼らは軍隊アリの群れのように行軍する先にある森を破壊し、生きるものは全て皆殺しにした。
かつてエギロンドがブリュラスに攻め入った頃のガルモス王も恐れられたが、今のガルモス王はあの頃以上に冷淡で非情に感じられた。かつてのように激昂することはなくなり無表情に残忍な殺戮を行うのだ。まるで血の通わぬ悪魔が乗り移っているかのようにさえ思われた。
キュエルは一旦ブリュラスの首都バビドゥに入り、エル・ソデスの隊と合流した。大国ジャドルを屠るように横断しエルバニアを経てベーリアスの岸壁を舐めるように北へと進軍していた。
その隊の中心にはキュエルとミザリがいた。
◆
キルアは北の果ての島。この島に辿り着くのにアビラは二年を要していた。
さらにアビラたちはキルアからゼーベルへと渡った。
ゼーベルはどの国とも国交を結んでいない東の果ての辺境の国。豊富な資源と独自に育んだ文化と技術を持ち、島国キルアとのみ交易を通じて友好を結んでいた。
敵対していたキルアとゼーベルであったが、ゼーベルの王が子供に恵まれず甥のファリアが新王に即位したことから国交が再開した。
豊富な資源と高度な技術力が結びつくことで、この二つの国はこれまでにない国力を持ち始めていた。
住んでいる民も王宮の人々も意外に質素で機能的な衣服を纏い、そして何より驚いたのは他の国と国交を結んでいないにも関わらず、この国の王室は開かれており、アビラたちは思わぬ歓迎を受けた。
「さあさ、こちらへお進みください。我らが王ヒュンテがお待ちでございます」
王宮の従者は男性であったが端正な顔立ちに化粧を施し、女性とも思えた。この国の民は男女の見分けがつかぬほど衣服や化粧を性別に関係なく着飾っている。
「お待ち申しておりました」
ヒュンテ王と妃のユンヒが双子のように玉座に座してアビラたちを出迎えた。
王と王妃は端正な顔立ちでどちらも化粧を施し、人形のように瓜二つ。その二人が同時に声を上げた。
「よくぞ遥々このような辺境の地へ来られました。さぞかしお疲れのことでしょう。後ほど我らのオンスという温浴施設にご案内しますゆえ、疲れを癒されるが良い」
「ありがとうございます。それよりもヒュンテ王よお願いしたき義がございます。我らはエギロンドの遺児サラム王子とともにあります」
するとアビラの後にいたフードを被った従者の一人がそっとフードを下ろした。
「お二方、私めがサラムにございます」
そこに逞しく育ったサラムの姿があった。精悍な顔立ちと鋭い目の力、細身だが鍛え上げられたしなやかな肉体を持った青年が前に進み出てヒュンテ王の前にひざまづいた。
「おお!サラム王子。生きておられたのだな!ブリュラスの蛮行によりエギロンドが滅び、行方を見失ったと聞いていたが…すっかり成長されて頼もしくなられた」
「このアビラに救われてございます」
「すると、我らに頼みたきことというのは…」
「王もご存知のはず。ブリュラスの黒騎士隊エル・ゾデスは今やこの国の南ベーリアスに向かって北上を続けております。彼らを止めるためお力をお貸しいただきたい」
王と王妃は少し困った顔をしてアビラとサラムに答えた。
「それは困りましたな。このゼーベルは中立を保って国を栄えさせてきた。エル・ゾデスの蛮行は聞き及んでおります。が、しかし、戦に加勢すれば民を巻き込まぬわけにはいかぬ。我らが国は自然と人が調和することによって栄えておる。その均衡が破れれば我らも滅びの道を歩むことになる。三合の期を早めるわけには行かぬ」
「いいえ、ヒュンテ王。トレス・ユネス、三合の期はすでに始まっております」
アビラが言うと、サラムが上着を脱ぎ捨て立ち上がった。
その胸に吊るされた石が眩いばかりに青く光っていた。
「それはカルファの円珠!?」
「エル・ゾデスが進軍を始めてから日を追うごとに光を増しております。もはやトレス・ユネスは避けられないものと思われます。もしもエル・ゾデスがレプドールの命珠とデストロスの破珠を手に入れているとすれば…」
「ジョリアの神殿に近づけてはならない」
ヒュンテ王が低く唸りながら呟いた。
「あなた達の頼みはわかりました。しかし、我らが民を危険に晒すことは出来ませぬ」
王妃がアビラとサラムに言った。
「それでは…」
サラムが気落ちしたように言うのをヒュンテ王が制した。
「わかりました。ただし、我々には我々の戦い方というものがあります。あなた達に加勢するとお約束します。エル・ゾデスがジョリアに近づかぬように阻止いたしましょう」
「ありがとうございます」
サラム王子一行はゼーベルの軍を従え、エル・ゾデスを迎え撃つために南のベーリアスへと向かった。
かくしてベーリアスは決戦の地となろうとしていた。
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