5つの小さな物語-17ー「ラッシュアワー」
「顛末」
その月末、クライアントの大手デベロッパーの担当者からタケルあてに電話が鳴った。メールでなくて電話というのに胸騒ぎがした。
「ほんとうですか!?」
タケルの声がうわずっていた。
「申し訳ありません!すぐに確認します!え!?これからですか?いえ、わかりました」
タケルが慌てて構造設計室に駆け込んでいって、いつも声をかけていた若手社員に怒号を浴びせた。
「一体どうなっているんだ!?なぜ、機密情報が漏れた?資料を見せろ!」
「だから言ったんですよ。あんなの無理ですって」
タケルはその社員が手に持った資料を奪い取ると隣のミーティングルームに消えた。
タケルが構造設計室から出ていった後、パーティション越しに「計算くん」が若手社員に歩み寄るのが見えた。しばらくモニターを見ていたが、コンピュータからメモリースティックを抜き取るとベソを描いて涙目になっている若手の肩をポンと叩いて自分の席に戻っていった。
40分後、会社にデベロッパーの担当者が関連ゼネコンの社員を引き連れてやってきた。タケルは深々と頭を下げて、第二会議室に彼らを連れてはいった。
ものの10分も経たないうちに、会議室の外にも聞こえるほどの怒号が鳴り響き始めた。時折みる影もない弱々しい声でタケルが謝っているようだった。
30分後、会議室のドアがバタンと開かれ、明らかに不機嫌なクライアントが飛び出してきた。
「とにかく、お宅との契約は全て白紙に戻す!あんたじゃ話にならない。後日正式に本社の方に申し出るから首を洗って待ってろ!」
怒りおさまらぬ様子でクライアントは部屋を出ていった。
「もう、終わりだ…」
声にならない声で、タケルは通路にへたり込んでしまった。
それを見ていて大人気なく若手社員も泣き出していた。
「刮目」
「納期が短いな。とりあえず、こっちの案件は諦めるしかなさそうだな。でもこっちは調整して何とか出来るかもしれない。まだちょっと早いかもしれないけど、あの手で行くしかないな」
まるで独り言のように「計算くん」は呟いていた。
その日から「計算くん」は夜も明け暮れず構造設計室から出て来なくなった。
最初は電話をかけ続けては何かを調整しているようだった。さらにしばらくすると、彼の元に次から次へと人が訪れるようになった。
資材メーカーの担当者、本社からの中堅社員、サラリーマンには見えないTシャツを羽織った若者、ヨーロッパ系の女性、さらには啖呵を切って出ていったはずのゼネコンの担当者まで。一体この人はどんな人脈を持っているんだろう?というより、この人は何者?
そして、数日経ったある日、立派に育った無精髭を剃って、ロッカールームから新しいシャツとジャケットを取り出した彼は、両手いっぱいの資料を持って泣いていた若手社員を引き連れて第一会議室へと一旦姿を消した。
それから程なくして、本社から黒塗りの社用車が数台玄関先に到着した。
中から現れたのは杖をついた老人、その人こそ創業者であり一代で巨大な建築会社を築き上げた会長、そして社長、さらにどこか海外のビジネス誌の表紙で見たことのある壮年の外国人女性。彼らは十数名の従者を引き連れて、この薄汚れた子会社に入ってきた。その後ろに怒鳴りながら出ていったデベロッパーとゼネコンの社長の姿も見えた。
そして彼らを玄関前で待ち受けていたのは子会社の社長と「計算くん」だった。