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事業再生のこと−33

マクロな話がメインになってしまっているので、
もう少し地面に足がついた話に戻して書いてゆきたいと思います。

年商160万円程度の零細事業をどのようにして立て直したのかについて、
順を追って説明したいと思います。
2019年、私たちは二つの事業を行っていました。
一つは2007年より始めた「レザークラフトスクール」の事業。そしてもう一つは2011年より始めた「カフェ」の軽飲食の事業。
レザークラフトに関しては最初の2年間は生徒数が伸びず、ずいぶん苦労しました。2009年に入りようやく生徒数が12名になり採算が取れるようになりました。
ただしこの頃は家内はパートタイマーとして非正規雇用で働いていました。
二人の収入でようやく家計が成立する程度の収入だったと思います。

●変遷

それ以前の話をすると、私は自営業でデザインの仕事を請け負っていて、デザイン関連だけで年商が800万円ほどありました。
バブル期には年商が2800万円を超え、従業員も2名いて3名だけでそれだけの売り上げを上げていましたが、バブルの崩壊から売上は激減し、ランニングコストはなかなか減らずにしばらく苦労をしました。
ローンやリースの残金が600万円あり返済するのに大変だったのを覚えています。

2007年には返済が終わり、デザインの仕事も少しずつ増えてゆきましたが、私自身はデザインよりも川上のプランニング関係の仕事に転換してゆきました。
しかし、その後うつ病を患い3年間はデザインの仕事で食い繋いでいる状態でした。この時に持っていた貯金を崩しながら「革関係」の勉強を始めました。

●革教室の開設

2007年に自宅で小さな革教室を始め、最初は生徒数は3名ほどでしたが、路地中の6畳ほどの小さなプレハブ小屋を改装してそちらに教室を移してから少しずつ人数が増えてゆきました。
集客は周囲の雑貨店や飲食店にミニチラシを設置させていただくことから始めました。10日ほどは何の問い合わせもなかったと思います。
2010年に生徒数が12名を超えた頃に、自宅の一角を改装して教室の面積を増やして、小さなカウンターカフェを開設する話が持ち上がりました。
生徒が休める場所があれば、という考えからでしたが、家内が「そのカフェを自分がしてみたい」と言い出した時点で方向性が変わり始めました。
家内が仕事を辞めてしまった時点で、彼女の収入を確保するためにカフェの規模を大きくしなくてはならないと考えました。
彼女の退職金は大した額ではありませんでしたが、なんとか開業資金をかき集め、自宅の物件とは違った場所に新たな物件を見つけ、そこを改装してカフェを開業することにしました。

●革教室とカフェの併設

結局2011年、カフェの開業には漕ぎ着けましたが「覚悟を決めて取り組む」という言葉とは裏腹にそれが「営業すれば何とかなる」といった素人がカフェの開業を始めるときの常套句でしかなかったことがすぐにわかります。
私は基本的に革教室に集中し、カフェの経営には口出しをしない、という姿勢でいましたが開業して3年目を過ぎた頃からカフェの経営は怪しくなってゆきました。
革教室の方は生徒が増え30名を超える生徒数になり忙しくなってゆきました。
経営主体が逆転して革教室で稼いだ利益をカフェに注ぎ込むという状況になったのもこの頃です。
カフェの周囲の商圏には保育所などがあり、送り迎えするママ友層は大切な顧客層だったにもかかわらず、家内は「おしゃべりがうるさいから」という理由だけで店内を「子連れ入店禁止」にしてしまい、この主婦層を除けば周囲には高齢者しかおらず、客数はどんどん減ってゆきました。
ここから赤字経営が始まり、実に2018年まで赤字経営は続きました。
この失敗は私たちに「マーケット」と自分たちの「ターゲット層」とのズレは事業を失敗させるいう教訓を与えました。

●よろず支援拠点への相談

2019年に一度目の小規模事業者持続化補助金の申請を行いました。
私もそれまでは素人経営の域を出ず、相談相手もいませんでしたが、この年に初めて「よろず支援拠点」の存在を知りました。
元々財務関係が強くなければ事業は上手くいかない、と頭では分かっていましたが何をどこから勉強しなくてはならないか?という方法論を持っていませんでした。
実際によろず支援拠点に相談に行って気づいたことは、コーディネーターと呼ばれる相談員は経歴がさまざまで、実際に企業の専門分野で働いておられた方、県や市で公務員として働いておられた方、財務、流通、生産管理、広報宣伝、人事。労務などそれぞれ得意分野が違っていること。
そしてほとんどのコーディネーターの方々は「中小企業診断士」の資格を持っておられます。
相談する時に各地域の「よろず支援拠点」のホームページよりメンバー紹介のページを見て、自分たちが相談したい内容とどのコーディネータの方がその内容に精通しているかを知っておいて、出来れば相談する時にそのコーディネーターを指名するのが良いと思います。

●菓子製造販売への転換

カフェなどの店舗経営はどうしても周辺地域の商圏に頼った経営になりがちです。
その商圏に「自分たちの顧客になって欲しい人たち」=コアターゲットがほとんどいない時点で「カフェ」という事業がその場所には合っていないということだと考えなくてはなりません。
「そんなはずはない」と思い入れのある創業者は考えがちですが、自分たちの間違いを認めなければ次には進んでゆきません。
「自分たちが持っている事業価値」をもう一度整理して考え直さなくてはなりませんでした。
●私たちは二人とも「料理が出来る」という技能を持っていました。
●私は「デザイン」と「ブランディング」という技能を持っていました。
●家内は「菓子を作ることが出来る」という技能を持っていました。
●私は「鞄」を作ることが出来るという技能を持っていました。
●私たちは厨房機器という設備を持っていました。
●私は鞄を縫製する機材を持っていました。

これらの中で「将来性=伸び代」を持っているのはどの事業だろう?
最終的に「お菓子を作る」と「鞄を作る」に絞り込んで、それらの販売ルートについて考えました。
その前に「鞄の縫製の教室」を残さなかった理由は何でしょう?
鞄縫製の教室は可能性がなかったわけではなく、事業として拡大するためにはそれなりの投資をしてシステムを作る必要がありました。
アナログな管理ではなく、例えば「スマホから簡単に予約が出来る」であるとか、会費の徴収を「ネットバンキングやキャッシュレスに対応させる」とか「生徒の作品もネットで販売が可能になる」などのデジタル化と、それらを管理するために「革縫製」を教えることができる人材、システムを管理する人材、広報宣伝のための人材を確保する必要がありました。
段階を踏んで教えることのできる「テキスト」「教育動画」など様々な教材も必要となります。
もちろんそれにかける費用も必要です。
でも何よりもそれが「自分たちのしたかったことなのか?」と考えたときに、そうではないと感じていたことが大きのです。

「お菓子を作る」と決めた時にまず考えたのは「自分たちのお客様がいる商圏に商品を届ける」ことでした。
量販店に卸したり、近隣のカフェやレストランに卸す方法を最初は考えました。
商工会議所に入会しビジネスマッチングなどへの参加をはじめました。
最初の頃は「あなた達みたいな小さな業者が出られるようなものではない」と失礼なことを言われたこともありました。
逆にそういった悔しさがこの頃の原動力だったのかも知れません。
しかし、実際にビジネスマッチングに出てみると「生産力」や「原価率計算の甘さ」「商品の品質への努力」「設備の矮小さ」などを思い知らされます。
卸先企業のマージン率から逆算するとほとんど利益は生まれません。
それどころか、それだけの納品が出来る生産量を作ることさえ出来ないことがわかりました。

●補助金の獲得。そして設備投資へ

このままではお菓子に関する事業も頓挫してしまいます。
では一体原価率をどこまで落として、どれほどの生産量を確保できれば良いのか?
私たちは自分たちにとって雲の上のマーケットだと思っていた「駅ナカ」販売の道を探り出しました。
最大手の沿線での駅ナカ催事での販売量がどの程度なのかを調べるため、いきなり企業に連絡を入れ商談できる機会を得ることができました。
その時に言われた1日あたりの金額と生産量はとてもそのときの私たちには手が届くようなものではありませんでした。
私たちはもう一度スタートラインに立つことになりました。
それまでの考え方が甘かったのだと自覚し、一からやり直すことになりました。
しかし何度も考えた末に「やはり駅ナカに催事出店する」ことが最良の方法であると結論しました。
どうすればそれが可能になるのか?
現在ある厨房機器ではどうにもならない。だから、今よりも生産性の高い設備を新たに増設するしかない。
そこで、初めて着目したのが「補助金制度」でした。
小規模事業者持続化補助金は50万円までの補助金が2/3の補助率で獲得出来ます。つまり自己資金75万円を持っているという前提でそのうちの50万円を国から補助を受けることが出来る制度です。(現在は特別枠があり、主旨により100万円〜200万円の補助もあります)
最低限必要な業務用オーブンは30万円以上しますが、もし、小規模事業者持続化補助金(一般型)の採択を受けることができればそれを1台購入出来る。そして、催事の予行演習で東京の催事イベントに出店しよう、と考えました。
思えば、あの決断が最初のターニングポイントだったと思います。
(事業再生のこと−34に続く)



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