ブラックソード・ストーリー

第四之章 漆黒の王

その日、王宮では盛大な宴が開かれていた。

エギロンドの王妃エレメが第一子を産んだのだ。

王妃の元を父王のガイナスが寄り添い赤子を抱き上げていた。

「おお、サラムや。我が世継ぎよ。其方が成長した暁には、このエギロンドをさらに豊かな国へとするのだぞ」

「あなた、そんなにその子を揺らさないで。まだ生まれたばかりなのですよ」

「エレメ様、僕も赤子の顔を見ても良いですか?」

ブロンドの髪をした少年が部屋の隅から声をかけた。

「もちろんよ。さあ、あなたの弟であり、未来の主君であるサラムの顔を見ておくれ。あなたはこの子を守り支えておくれキュエル」

10歳になったばかりのキュエルがこの王宮に入ったのは三年前だった。キュエルは隣国ザンゴムとの国境の村で生まれた。母が病に倒れ、息を引き取る時に自分がエギロンドのガイナス王の子供であると聞かされた。

エギロンドから使いがよこされたのは母が亡くなってからしばらくしてからだった。田舎の村で育った彼にはエギロンドの王都であるジェリアスでは見るもの全てが驚きの連続だった。

だがキュエルはこの王都では王の息子として扱われなかった。侍女のケルアの家に寝泊まりしながら王宮で雑役夫見習いとして働いていた。二年前に亡くなった前の王妃アーゲリは子供である彼に無理な雑用を押し付け酷い仕打ちをしていた。

後妻で入ったエレメは優しく、彼の素性を知りながら自らの近くに置き自分の世話をさせ無謀な雑務から解放してくれた。それでもキュエルは甲斐甲斐しくこの新しい王妃の世話を焼いた。

この日王宮の食堂には隣国の王族や交易商、芸を見せる大道芸人で溢れかえり、取り寄せられた海山の珍味・豪華な料理が次々と運ばれては人々の胃袋へと消えていった。

この日ばかりはキュエルも食卓へと食事を運び、皿を下げては洗い場に立った。

「おい、キュエルよ。地下の倉庫にエギスのチーズがあったはずだから取ってきてくれないか?」

厨房長の指示を受けて、キュエルは地下に続く階段を降りていった。

暗い石の地下道を燭台を手に進むと廊下は迷路のように交差していて、ようやく食料庫の入り口に辿り着いた。エギスのチーズは思った以上に厚くて大きく重かった。背中の背負子に乗せて出口に向かって歩き始めた。

燭台で照らされる壁の所々に様々な紋章が描かれている。王家にまつわる臣下の家紋やこれまでの戦争で名を上げた将軍家の紋章。壁際を伝いながら歩いている時目の前を大きなネズミが横切った。

「うわっ!」

思わず大きな声を出して壁に寄りかかった時、壁がギィッという鈍い音を立てて動いたような気がした。壁を見ると小さな王家の紋章があった。

触るとギギィッという音とともにその石の壁が動いて下に続く穴が見えた。隠し扉だった。

燭台で下の方を照らすと地下道からさらに下に向かって階段が現れた。

「何だろう?」

キュエルは階段を降り始めた。地下道より下に部屋があるという話は聞いたことがない。

階段を降りるとその奥にさらに長い廊下が続いていた。進んでいくとあることに気がついた。廊下がほんのりと明るくなっている。燭台の灯りではない。

廊下の奥に進むにつれてその灯りは強くなってゆく。

その光は廊下の突き当たりから届いていた。廊下の奥は天井が高くなって壁一面に聖堂のように彫刻が施されていた。

一番奥の壁際から二つの光が見えた。一つは赤い光。そして、もう一つは黄色い光。近づくと光っているのは二つの石だった。それぞれの石に紋様が彫られている。赤い石の表面には炎の紋様、そして黄色い石には樹木のような紋様。

真ん中にもう一つ石が置かれていたような窪みがあったが、誰かが動かしたのか?あるいは盗まれたのか?そこには石はなく窪みがあるだけだった。

キュエルは恐る恐る赤い石に触った。すると石から光は消え去り、ただの赤黒い石になった。ゴクリと唾を飲み込みながら、キュエルはその石を持ち上げると手のひらに載せた。よく見ると石の奥の方にかすかに光があるように思えた。

どこからか人の声が聞こえた。

「お〜い、キュエル〜いるのか〜?」

厨房長の声だった。自分を探しに来たのだ。

キュエルは赤黒い石を懐に入れると、慌ててもと来た道を戻って階段を駆け上った。その秘密の隠しドアから出ると静かに閉めた。

厨房長が地下から階段を上がるとキュエルが待ち構えていた。

「なんだ、帰っていたのか?えらく時間がかかったじゃないか?」

「ごめんなさい。なるべく良いものをと、チーズを見定めていたら遅くなってしまって」

「ほう、見てやろう、お前が取ってきたのはどのチーズだ?」

厨房長がチーズをナイフで切り取って口に運んだ。

「ふむ、上出来だ。熟成度も香りも良い。よし、このチーズをスライスしてお客様方に運びな」

「わかりました」

キュエルはチーズを料理ナイフで薄く削ぎ始めた」

「じゃあ、後は頼んだぞ」

料理長が隣のオーブン室に戻るとキュエルは胸元に隠した石を取り出た。それともう一つ、薄汚れた本を一冊。それらを眺めると自分の布ザックの中に仕舞い込んだ。

その騒ぎが起こったのは翌年、秋が深まり初雪の舞う頃だった。

どこか遠くで角笛の音が聞こえていた。

オヴナの蹄の響き、そして人の泣き叫ぶ声が聞こえ始めた。キュエルの寝室の扉が突然開くと侍女のゲルダが息を切らしながら叫んだ。

「キュエル、逃げるのよ。ブリュラスが攻めてきたのよ」

窓から身を乗り出して城壁の外を見た。

城の大門にまで敵が入り込んで来ていた。破城槌を城門に打ちつけて門を破ろうとしていた。

ドォーン、ドォーンという音の後、バキバキと扉が壊れる音が響いてきた。

どうしてだ?キュエルは納得がいかなかった。エギロンドとブリュラスは親交国で平和条約が締結されているはず。

ましてやエギロンドのガイナス王と隣国ブリュラスのガルモス王は兄弟。

なぜ弟が兄の国に攻め入ったのか?

キュエルが考える間も無くゲルダが彼の手を引いて廊下に飛び出した。廊下には城に仕える人々が逃げ惑う姿があった。その後ろに黒い鎧をつけたブリュラスの兵士が剣を振り回しながら迫っていた。

「こっちよキュエル」

ゲルダは城の北西にある大聖堂にキュエルを導いた。先王アグレルス王の彫像の後ろにまわると床の石板を横にずらした。そこに人が入れるほどの穴が空いていた。

「ここに入って!」

キュエルはその穴に体を押し込んだ。潜ると、そこには人が一人這って進ことのできる側道があった。二人は無我夢中でその穴を進んだ。その先に小さな光を見つけて泥にまみれながら前進すると、城の西側にあるラスコの泉へと辿り着いた。

泉に降り立って街の方を見ると、あちこちから火の手が上がり人々が逃げ惑っていた。ゲルダに手を引かれ、物陰に隠れながら西門を目指した。

西門の直前までたどり着いて城壁の角を曲がろうとした時、目の前に巨大な影が立ちはだかった。

「おい、小僧に女。どこへ行く?」

髭を蓄えた黒髪の男は子供の胴回りはある太い腕に剣を握ってゲルダとキュエルの前に差し出した。

「そこな女は城の侍女のようだな。城はもう燃え上がり逃げる場所などないぞ!」

男が剣を振り上げようとした時、その背後から声がした。

「まあ待て、侍女ならばもしやあのことを知っているやもしれん」

男の背後から頬に傷のある細いが筋肉質の壮年の男が進み出た。

「ガ、ガルモス王!?」

「ほう、ワシのことを知っているか?王室に仕えておったようだな。それならば知っておろう。三珠の石のありかはどこだ?」

「し、知りませぬ。あれはただの伝説と伝え聞いております。私はエギロンドの民、知っていてもあなた様には教えられませぬ。我が王ガイナス様がご存命のうちは貴方には誰も付き従いませぬ」

「ほう、これでもそんなことが言えるのか?」

ガルモスは従者の持つ箱の中から黒い塊を取り出した。それは自分の兄であるガイナス王の首だった。

「すなわち、お前は役立たずということだ」

ガルモスはゲルダが声を上げる間も無く剣でその首を横に切り払った。

ガルモスを見上げていたゲルダの首は目を見開いたまま地面へと転げ落ちた。その剣の先をキュエルへと向けた。

「お前も役に立ちそうにはないな」

「お待ちください!ガルモス様。その三珠の石なら心当たりがあります」

「ほう、心当たりがあるとな?ありかを知っているというのか?」

「はい、私がご案内差し上げます」

キュエルはガルモスと数名の従者とともに、あの地下の神殿へと向かった。

地下神殿にたどり着くとそこには黄色く光る石が光を放っていた。

「ううむ、アーグのみが残っていたか」

「おそらくの誰かが混乱に乗じて持ち出したものかと」

従者の一人がガルモスに進言した。

「しかし、珠石は人を選ぶと言います。王家に近い人間しか持ち出せぬはず」

「馬鹿馬鹿しい。こんな小さな石がどうやって人を選ぶというのだ」

従者の一人が言うと残った石を台座から抜こうとした。

「ギャアア!」

従者が叫ぶと黄色い炎に包まれた。みるみるうちに炎は従者の体を焼き尽くし、炎が消えると灰だけが残った。

「ううむっ!」

ガルモス王が低く唸った。

「ワシも王家の血筋。怯むわけには行かぬ」

ガルモスは左手で石を掴んだ。

「ぐわっ」

叫ぶガルモスの左手が黄色い炎に包まれていた。焦げ臭い肉の焼ける匂いが神殿に充満した。

「くそっ!負けぬ!」

ガルモスは燃える手で石を掴み上げた。

例のものを!

従者の一人が黄金に輝く箱を差し出した。ガルモスはその石を箱に押し込むと従者が素早く蓋を閉めた。

ガルモス王の左手は赤く焼け爛れていた。

従者の一人がその右手に布を巻きつけた。

「大丈夫でございますか?」

「かまわぬ!欲しいものは手に入れた。撤退するぞ」

従者の一人がガルモスの前に出て先頭を切った、その刹那、男の頭の上から光の壁が降り注いだ。その光は鋭利な刃物のように男の体を切り裂き両断してしまった。

「ううむ、そう易々と持ち出せぬと言うわけか…」

ガルモスが唸った。

キュエルは部屋の片隅でうずくまってその光景の一部始終を見ていた。

「この小僧はいかがいたします?全て見られてございます。始末するのが得策かと」

「待てい!小僧、お前はなぜこの部屋のことを知っておった?そしてなぜ生きておる?」

「以前、迷い込んでここに来たことがあります。この部屋から出るためには特殊な呪文が必要となります。ガルモス様、私はお役に立てる事が出来ます。あなたに忠誠を誓います。どうかお側に置いてください」

「ふむ、では我々をこの部屋から出すことが出来れば命を救ってやろう」

「わかりましてございます。我が名において命じる。ゲルス・アーグ・メーヤ、天地を繋ぎ道を開け」

すると先程と同じように天井から光の壁が降り注いだ。しかしキュエルが足を踏み出すと光の中心に大人が一人通れるほどの穴が空いた。光は彼を引き裂くことはなく、キュエルは光の壁の向こう側に出ていた。

「さあ、ガルモス様。お早く。この光の壁はすぐに閉じまする」

おうっ、と声を上げてガルモスが穴を通った。すると地下道そのものが地震のように揺れ始めた。最後尾の従者の頭の上から土砂が降り注ぎ、彼は叫び声と共に見えなくなった。

エギロンド城の西のフェイラムの森に数名の人影があった。

「さあ、エレメ様。もう少しの辛抱です」

そう言うアビラの目の前に食人ツタが伸びて絡め取ろうとする。剣で薙ぎ払いながら進むとようやくソジュール河のほとりへとたどり着いた。

エレメ妃とアビラは岸に着けた小さな漁師船に乗った。その二人をザリアが見送っている。

「ザリア、お前はジャドルに身をひそめよ。いずれ時が来れば使いを渡す」

「アビラ姉さん。エレメ様とサラム様をお願いいたします」

そう言うとザリアは右手で宙に三つの星を描いて後退りした。すると彼女の姿は森の闇に溶け込むように消えていった。

船はボルゴ海に出て南へと向かった。幸いプリュラスの兵は多くがエギロンドに出兵していてバビドゥの沿岸には漁師船を怪しむ監視はとどいていなかった。

外海のジャドル沿岸にたどり着いた時その危機は訪れた。海面を割って出たのは鉤爪を持ったバーギャの前足だった。バーギャは外洋に生息する水生爬虫類で凶暴な肉食獣だ。そのバーギャはこれまで見たことがないほど巨大で人の身長の三倍近い巨体だった。その怪物が船を揺らしながらその上に乗り込もうとしていた。

「エレメ様、私の後ろに!」

ザリアが剣を振るってバーギャの来襲を拒んだ。しかし水に濡れた鱗が剣の刃を弾き、思うように闘えない。渾身の一撃がバーギャの左目に突き刺さった。しかし、その刹那バーギャの尻尾がザリアの脇をすり抜けてエレメの体に巻き付いた。

「キャア!」

悲鳴を上げたエレメの両手から赤子のサラムが抜け落ちて甲板に転がった。

ザリアはサラムを抱き取って剣を構えたが、宙高く持ち上げられたエレメはバーギャと共に海中へと消えていってしまった。

「エレメ様ー!」

海面には静寂が戻り、そこにエレメが浮き上がることはなかった。


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