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革のおはなし-4

その店は繁華街から少し離れた通り沿いにあった。

そこに辿り着くまでにこの界隈の革関係の卸屋さんはほとんど見て回った。親切に話を聞いてくれる人たちはいたけれど、革教室は見つからなかったし、教えてくれる人も見つからなかった。

そのころはまだ「レザーブーム」でもなかったし、きちんとした革教室もほとんどなかった。専門学校のファッション小物コースで少しだけ革の縫製の入口を教えているだけだった。

革業界は主に「靴」の業界と「鞄」の業界、そして「財布」の業界に分かれている。それぞれの職人が交わることは少なくて、それぞれが独自の技術や道具を使っている閉鎖的な業界だった。使っているミシンの種類も独特で特徴があった。

靴業界の人たちは鞄業界の道具や技術を知らず、財布業界の人たちは鞄業界の道具や技術を知らない。もちろんその頃の僕はそんなことさえ知らない素人だった。

そのお店に足を踏み込むと、店の奥から店主と思しき人物が顔を出した。

「何かお探しですか?」

「実は革鞄を教えてくれるところを探しています」

「そうですか…」少し困ったような笑顔で店主が僕の方に向き直った。

「無くはないんですけど…」

しばらく店主と話をしていると、店の奥の方にいた客が僕たちの方に近づいてきた。

「僕、知ってますよ」

その人はそう言うと横の棚に置いてあった名刺を僕に渡した。

なぜ、その棚にその名刺が置いてあったのか?名刺の持ち主なのか?客なのに他人の店の名刺を勝手に渡すのか?だいたい、この人は誰なのか?

「そこ、革鞄の作り方を教えている教室です。でも、いつも入学希望者がいっぱいで今も空きはないかもしれないけど。この時間だともう閉まっているかも知れないけど一度行ってみたら?」

「ありがとうございます」

その人が名乗るよりも先に、僕は住所を確認すると歩きはじめた。

ダメ元なのには慣れている。動かなければ何も始まらないことも知っている。その日うつ病の症状が軽かったのも幸いした。

でも、その場所に近づくにつれて自分の中で「今日はやめておけ」ともう一人の自分が囁き始める。

「空きがないかも知れないって言ってたじゃないか」と足元を押さえつける。

でもその古びた集合ビルの部屋のドアの前に来た時、

「どなたですか?」と声がした。

息を呑んでドアノブに手をかけて引き開けた。

「あのう、此処って革縫いを教えてもらえますか?」呼吸困難になりながら言うと、「とりあえず、入ってください」と言われた。

その人は初老で眉間に皺を寄せて不機嫌そうに見えた。デニムにコーデュロイのジャケット。年齢にはそぐわないお洒落な服装でいわゆる「ダンディ」な雰囲気を漂わせていた。

さっきの店で紹介されたことや「革教室」を探していることなどを相談した。

「わかりました。今、ちょうど一人病欠している生徒がいて、1ヶ月だけ教室に空きがあります。とりあえず、鞄を一つ作ってみてはどうですか?」

思わぬ言葉に躊躇せずに「わかりました」と答えた。

その日から僕は1ヶ月間だけその小さな教室に通うことになった。

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