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花は咲く Flowers bloom in your garden.Ⅹ

額から流れる汗を手拭いで拭いながら餡を練るのは全身で力を込めて均一にしなくてはならない。
朝4時に起きて厨房に出るともう父が小豆を炊き始めていた。
まだ「じょうよ」が湯気を上げる熱いうちに素早く練り上げる。
終わった頃には手は腫れたように熱を持っている。
厨房には一日中蒸気がこもっている。
物心ついた頃には父親と一緒にこの店を切り盛りしてきた。
正月三賀日明け、近くの神社に初詣を済ませると
ほんのわずかに家族の時間を持てる。
自分に子供ができた時、この店は自分の代で閉じよう。
そう心に決めた。


●暖簾の重み

時代が変わって若い世代は和菓子に見向きもしなくなった。
練り切りに美しい細工を施された和菓子よりもアニメのキャラクターの入ったパッケージのコンビニのお菓子に興味があるらしい。
近所に住む常連の客がたまに来て冠婚葬祭用の引菓子や供え菓子を買ってゆく。
父の時代から手伝ってくれている職人さんが一人。
繁盛していた時に隣駅に開店した二つ目のお店も今は閉じてしまった
もう和菓子の時代は終わってしまったのかも知れない。
年末に息子が東京から帰ってきて、
いつものように年明け4日の早朝に家族で神社に向かった。
小さな社だけれど、そういえば子供の頃には神主に習字を習ったりしていた。
本殿に向かって近所の人たちが列をつくっていた。
知り合いに挨拶をしながらお参りをした。

私たちの正月は1月4日。
それでも、その日は仕事始めの日でもある。
私たちには仕事納めというものがない。
4日の開店に合わせて元日から準備にかかる。
年末にも常連が菓子を求めて来てくださる。
「じょうよ」とあずきは毎朝仕込まなくてはならないから休みなどない。
1月4日の朝に初詣を終えて、
朝に皆で食事をとるそのわずかな時間が私たちの正月らしい時間だと言える。
家内が年末から昔ながらのお節を仕込んで、この時に初めて3段の重を広げる。
市販の伊勢海老が入ったような豪華なものではない。
煮染めはそれぞれ味が混じらないように別々に出汁を取り、海老は腰が曲がったままに、なますは少し甘めでウドの甘酢は柚子釜に入れ、松風は鶏を叩いてじっくり焼き上げ松葉を刺す。庭の南天と葉蘭で飾った昔ながらの地味なお節と神社近くの味噌屋で仕入れた白味噌の雑煮。餅は丸餅を年末に販売用に仕込んだもの。
神棚と仏前にお供えをして、全員が揃ったら新年の挨拶をしてからいただく。
「よろしゅうおあがり」

フランスのパリにある大学に留学していた長男も今年で卒業。
なんでも卒業したらフランスと日本をつなぐ仕事に就きたいといっていた。
春からは社会人一年生だ。
就職先は帰国した時に話したいと言っていた。
娘も昨年から近くの調理専門学校に通って来年には卒業。
私もようやくもう少しで肩の荷が降りる。

「お兄ちゃん。お父さんに言わないの?」
娘が息子の脇腹を肘で突いた。
「なんだ、お前たち?」
就職先のことかな?
「そう言えばお前、帰ってきたら就職先のことを教えてくれるって言ってたよな?」
「それが・・」
なんか言いにくそうだな。
「この店のことなら気にしなくていい。もう私の代で閉じるつもりなんだ。お前が就職したらちょうど良い機会だと思っていたんだよ」
「いや、それが違うんだ」
「なんだ、もしかしたら内定決まらなかったのか?」
「いや、そうじゃなくて・・・ここで働きたいんだ!」
何を言ってるんだ?
そんなはずはないだろう。
だってフランスで日本との掛橋になる仕事がしたいって・・・。
「何馬鹿なこと言ってるんだ?こんな店、誰も来やしない。もう時代遅れなんだよ!未来のないここにお前を巻き込むわけにはいかない。考え直せ!」
「いや、もう決めたんだ!」
「だから言ったろう。こんな店に未来はないって」
息子が後に置いていた鞄から何か封筒を取り出した。
その中の紙を引っ張り出して私に見せた。
Confirmation de contrat
「契約内容確認書だよ」
「何のことかさっぱりわからん?」
「フランスのパリにある菓子販売会社がこの店の和菓子を取り扱いたいって。
僕はこの会社の内定を蹴って、その代わりに日本に戻って製造と品質管理をするからうちと契約をしてくれって頼んだんだ」
この子は何を言ってるんだ?
「フランスでは和菓子が一大ブームなんだ。父さん、店を畳まなくて良いんだよ。僕がこの店を守るから、一から覚えるから修行させてください!お願いします!」
息子が額を畳に擦り付けながら叫ぶように言った。
「私も卒業したら手伝うから。父さん、私からもお願い!」
いつも友達と遊び呆けていると思っていた娘まで並んで土下座していた。

フランスで和菓子??
私には全然イメージ出来なかった。
ブーッとお店の方で始業のブザーが鳴っている。
その音を聞きながら私は、動揺しながら自分の中で血が逆流するようなざわめきが生まれているのを感じた。
これまでの人生では感じたことのない感覚だった。
落ち着け、落ち着け。気持ちを整理しろ。自分に言い聞かせた。
二人はまだ目の前で頭を下げている。

「旦那さん。小豆炊きあがりました」
店の方から職人が声をかけてきた。
ふっと息を吸い込んで覚悟を決めた。

「お前ら!何ぼうっとしてる!早く着替えて厨房に行け!」

「ありがとうございます!」

ここからはお前たちの道だ。
お前たちの花を咲かせばいい。
そう思いながら私は自分の中にもう一つの蕾が生まれるのを感じていた。

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