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やっと年始の挨拶が浮かびました。


遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
昨年、noteを一度でもご覧いただいた方々に御礼申し上げます。

noteは毎日投稿していますが、年始の挨拶としての投稿は初めて

年始の能登の地震に始まり、連日大変なことが起こっています。被害に遭われた方々、関係される方々の心が少しでも軽くなること・必要な支援が行き届くことを祈っております。(私は情報のシェアや寄付という今ここからできることさせていただきます)


年始の挨拶について、「書けるまで、書けない」という禅問答のような時間が過ぎ、今日になりました。

先ほど、友人との定例の対話の中で、浮かんだ今年の一字が「跳」だったのですが、1人(自力)で机と向き合う中でデザインできる1年ではなく、誰かとの「あいだ」(他力)が合わさることで浮かび上がってくる1年なのかなと感じています。


余談ですが、今頃は父がベトナムに着いているはず。3月末で定年退職する父ですが、学生のスタディツアーの引率とのこと。

「定年後はどうするんだい?」と聴くと「NPOの活動とかなぁ(立ち上げたNPOの副理事をしている模様)」と。半年後にはおそらく最後のベトナムがあるので、活動的なのは変わらないのでしょう。

目に見える情熱的なタイプではない父ですが「内なる衝動というか、熱に正直に生きている」という意味で彼からはその性質を受け継いだのかなぁと初めて気づきました。

年々ますます、育ててくれた・支えてくれたという事実そのままに父への感謝・有難さ・愛を感じられるようになっていること、直接的な結びつきを感じる機会が増えていることが嬉しかった年末年始の帰省なのでした。

なぜか、このことは書いておきたかったようです(笑)


父、そして母、先祖の方々、生まれてからご縁があったすべての方々、直接のご縁はなくとも同じ時代を生きている方々があっての今の私だという有難さ・感謝から始めていきます。

2024年、どうぞよろしくお願い致します!


#添付画像は今じゃないよ
#2015年フィリピンにて
#イメージに一番近かったので採用

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