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市場規範に沿って生きる中で、「いのちのリズム」規範(造語)に出会った時のこと

あれは約17年前、会社員だった時のことです。

週末の活動の中ですごく惹かれる講演家の方に会いました。

そんな彼が起業家育成スクールをスタートするということで、もともと起業に興味があった私は彼からもっと影響を受けてみたいと思い、そのスクールに入学したのです。

その講座を受ける当日、会場に着きました。


その日、とても驚いたのが、開始時間になっても講師が来ないのです。

ちょっと遅れるレベルではなく、記憶が正しければ30分以上遅れていた記憶が。あるいはもっとかも。

スタッフも連絡がつかず慌てていた印象があります。

しばらく待っていると(このあたりの記憶はあやふや。時間になっても準備もそこそこ始まらない雰囲気の会場と後方にいたスタッフの人たちの姿を覚えています)やっと来て、そこからスクールがスタートする、という状況でした。

しかし、講座の内容が面白いのなんのって。

今まで聞いたことがなかったけれど、こういうことを学びたかったと感じるドンピシャな内容でした。

あとか、その時か覚えていませんが、なぜそんなことが起こったのか知る機会がありました。

それは、講師の彼はコーチとしても活動しており、時にはカウンセリング的なアプローチが必要な機会もある。

当時、彼が決めていたことは「次の予定」ではなく、「今目の前にいる人が本当の本当に必要としていること」を最優先にするということ。

それは言い換えると、「今目の前の人との予定が完全に終わったと言えるまで、次の予定があるからと切り上げない」ということでした。

こういう表現ではなかったと思いますが、ニュアンスはそんな感じ。

※今思うこと

こちらについては遅れた時は実際にセッションがあったから遅れたのか、違う理由で遅れたのかは分からなかった記憶もあるので、以下の気づきは私の主観、みたいようにみているという可能性もあります。

こういった背景に基づいた遅刻を、市場規範的に捉えるならば、

「そんな都合しらんがな!」
「お金を払ってるのはこっちですし、時間を守ってもらわな困ります」

となって然るべきことですよね。

※市場規範とは?

・ほのぼのしたものは何もない。賃金、価格、賃貸料、利息、費用便益など、やりとりはシビアだ
・独立独歩、独創性、個人主義も含まれるが、対等な利益や迅速な支払いといという意味合いもある
・支払った分に見合うものが手にはいる
・市場的交流の特徴をもつ
・昇進ごとにだんだん増えていく給料など
・考えのなかにいったん市場規範がはいりこむと、社会規範が消えてしまう

『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』からの引用

確か、最初にそんなことが起こるという説明があったわけではないと思いますので、当時の自分が市場規範のメガネをかけて、そう思わなかったのかよく分かりません。笑。憧れ補正が働いていたのでしょうか。(笑)


ここ最近、当時そのスクールを含んだコミュニティに関わったことがきっかけで出会った仲間と再会する機会があり、今の自分からその当時を振り返ってみて思ったのは、当時の私(会社員時代)が感じている時間・価値観は、市場規範に基づくものだったということ。

そして、講師の彼が生きていたのはあえて名付けるならば、「いのちのリズム」規範というか、「自然(しぜん)」規範というか市場規範とは全くの時間軸だったということでした。

この規範を市場規範と同じく、行動経済学の用語である社会規範としなかったのは、今回引用元としている書籍『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』の中で紹介されている社会規範の説明を読んでもしっくりこなかったことが理由です

突然出てきたワード、「いのちのリズム」とは何でしょうか。

私にとってのそれは、人間が本来はコントロールできるものではなく、成長する時に成長するという、人間目線からすると他力なもの。

例えるなら、赤ちゃんが成長するリズム
例えるなら、自然の中で植物が成長するリズム

です。ㅤ

昔、一緒に講演会を主催したことがある子育て中のママさんが子どもに対して「早く大きくなって欲しい、と思ってしまっていた」と言っていたことを思い出すのですが、これは、いのちのリズムを市場規範に当てはめてしまった例と言えます。(ちなみに、そう思わざるを得ないことがあるのが事実ですし、そう思ってしまった、ことが悪いとしたいわけでもないのが私のスタンスです)

また、農を市場規範で捉え直した「農業」では決まった規格の野菜が取れなければいけません。これもいのちのリズムを市場規範に当てはめたと言えます。

当時の自分は、就活時代に自身のいのちのリズムに目覚める機会がありました。しかし、就職後は努力の上、市場規範に基づいて行動しようと努力していたものの、ほとんど結果につなげることができない状況の中、冷静な分析ではなく、自分を責めるサイクルを続けてしまったが故の苦しさを感じていた頃でした。

そんな私にとって、今回紹介した2つの2つのレンズが浮かび上がるきっかけをくれたのが、その時の講師の(時間は守るものという1つの正しさに凝り固まっていた私にとって、という意味で)劇的な遅刻事件だったのかなぁと思います。

最近、再会が続いていて、当時のことを思い出す機会が一気に増えています。これを機に当時の気づきなどもこうして記事として残していけたらなぁ。


参考記事

再会に関する記事

行動経済学用語の市場規範について調べて書いた記事


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