「タダの箱庭」本をきっかけに『100日後に死ぬワニ』の炎上について考察してみて感じたこと
はじめに
タイトルに対して、なんで4年近くたった今のタイミング?と思われた方も多いかもしれません。
このことについて考えるきっかけとなったのは、私が今読書会などを主催する形で読み進めている、通称「タダの箱庭本」と呼ばれる本で紹介されていたからでした。
どんな本なのか、概要はこちらの記事に任せるとして、
この本の中では、さまざまな人へのお金にまつわるインタビュー記事だけではなく、問いも出てきます。
その中の1つに、X(元Twitter)上で公開され爆発的にヒットした4コマ漫画『100日後に死ぬワニ』の話にまつわる問いが出てきて、その問いについて考えてみようと思ったのがこの記事を書く背景となります。
ちなみに私は漫画は読んでおらず、細かい経緯もほとんど知らない状態でした。(記事を書いている途中で、漫画を読み一連の流れを辿ってみました)
『100日後に死ぬワニ』の炎上について考察してみた
「タダの箱庭」本で提示されていた問い
この漫画は、毎日、あと◯日というカウントダウンが記載されており、そのことも相まって日が経つごとに、読者の共感を呼び、200万人以上のフォロワーができ、最後に大きな感動を呼んだそうです。
ところが、その感動冷めやらぬ中、イベントやグッズ販売情報が並べられた特設サイトが公開され、非難が殺到し、大炎上したとのこと。
「応援してくれていた人たちが一瞬で敵に変わってしまったのはなぜか?」
これが、以上の紹介と共に書かれていた問いでした。
思い出した自分の話
この炎上について読んだ時に思い出したのは、しばらく連絡を取っていなかったけれど、話せたら嬉しいなと感じる友人から久しぶりに連絡がきて、話をしていたら、最後にネットワークビジネスの勧誘をされた時の悲しみ・怒りを感じた自分の体験でした。この数年で2回体験し、いずれももうその人と連絡をとりたくない、という気持ちになりましたねww
なぜこのような気持ちになったのかを分析してみて、思ったのは「最初からそういう話をするよと言われていたらこういう気持ちにはならなかっただろう」。言い換えれば、本当の目的を隠したままであり、それゆえ騙された感を感じたのではないか、ということでした。
友人だと思っているがゆえに、騙されるような行為に対して、感情が大きく動いたのかな、と思いますね。
あ、書きながら思いましたけど、話が終わった後に、明確に嫌だったという意思を表明した私に対して何かしらの「ごめんね」の連絡もなかったのも関係あるかもしれませんね。嫌な気持ちにさせてしまったことを分かってくれたと感じたなら、相手への感じ方は変わっていたように思います。
とはいえ、私もハッキリ伝えたので相手にとって私が関係を続けたい相手じゃないと、そこまでやってこないかもですが(それはそれで少し悲しいw)
もう1つ、我ながら不思議に思ったのは、ネットワークビジネス以外の誘いだったらこんな気持ちになったのだろうか、ということです。
何かのイベントのお誘いだったら(ネットワークビジネスのイベントだったら同じ気持ちになったでしょうがw)、ネットワークではない事業の誘いだったら・・・それだったら誘われる時点で話してくれている気がする。うーむ。
かといって、私が過去にネットワークビジネスで嫌な思いをしたということはありません。20代前半の若かりし頃、それ以外の選択肢がないと思い込み、本気で検討した時や覚えている範囲ではそれ以外に3度ほど勧誘を受け、興味本位もあり、イベントにも行ってみたこともあったくらいです。ただ、いずれも合う合わないの話で、いい気持ちではなかったので、その感覚が残っているのかもしれません。(本当はすごく嫌な気持ちになったのかも!?)また、友人で被害にあったという人も覚えている限りいなかったはず。
何を誘われたか、以外の要因で考えると、そもそも私は売り込まれるのが好きではないタイプ。自分で判断し、選ぶのが好き。そのため、売り込まれたと感じて、嫌な気持ちになったのかなぁ。ちょっと誘われたではなく、その話が続いたり、粘られた感じがしたから、こちらの同意を経ず、進めることが続いたから、「売り込まれた」認定になっているのかな。
ちょっとこのあたりの掘り下げはまだまだ余地がありそうなのですが、これらを参照しつつ、『100日後に死ぬワニ』を「応援してくれていた人たちが一瞬で敵に変わってしまったのはなぜか?」の要因を考えてみたいと思います。
漫画とサイトを全部見てみた
その前に、一度も読んだことがないその漫画を最初からばーっと読んでみました。
ワニというキャラクターは取っているものに、描かれている内容はリアリティを感じるものであり、小さな共感やがんばれ!という気持ちがなんども積み重なっていく、愛着が湧く、前評判で書かれているように、まさにそんな感覚を覚えました。
そして、最後のシーンは直接的に描かれていないからこそ、喪失感という心の空白が生まれる演出だと感じました。
一気読みした私でさえそんな感覚を覚えたのですから、毎日楽しみに読んでいた人はこの比にならない気持ちだったのでしょう。
そんなところに矢継ぎ早にECサイトや、映画などアナウンスがされたとのことですが、どのサイトが紹介されたのかまで見つけることはできませんでしたので、全く同じプロセスをトレースできませんでしたが、残っているサイトを見ていきました。
その上で、思ったこと
最初は、私がネットワークビジネスから感じたことに近いのかな?なんて勝手に考察してみたのですが、上記のプロセスを経て感じたことは
「何気ない日常の中に起こる突然の死によって動かされた繊細で大切な心の部分が、お金に換金されてしまった、大事にしたい気持ちを踏み躙られたという感覚」
「人間らしい、生々しい感覚が急に相手の目的に沿った道具にされてしまった、貶められてしまった感覚。」
それらにショック、悲しみを感じたのではないか。と思いました。(ある種の怒りは自分の深い落ち込み・悲しみを見なくてすむように湧き上がるという話もあります)
自分の中に自然に育まれてきた愛着、人間らしい気持ちに対して急に持ち込まれる、コンバージョンを最大化したいという工場パラダイムの発想・作法への怒り。抵抗感。
これは、この漫画によって0から生まれたものではないのでしょう。
日常の中で、「道具として扱われる」、そこに対する嫌感・ストレスを少なからず持っている、かつ表現できる機会がないと、抵抗感・反発心は蓄積され、出どころを探す・待っていることになります。
それが噴出した、言い換えれば、噴出させるきっかけをくれたのがこの出来事だったと言えるかもしれません。
それだけ多くの方が上記の状態にいたのかもしれません。これは昨今のオンラインサロンや、地方移住など「人間らしさ」の解放につながる色んな活動が注目されていることにも繋がっているように思えます。
総じて言い換えると、漫画はじめ一連の関係者への怒りは、道具化されてしまっている自身のいのちから湧き上がる情熱と言い換えることができるかもしれません。
もう一度自分の話に戻ってみる
そして、ここまで考察してみて、最初に紹介した私が嫌だった友人に最後にネットワークビジネスを紹介された話で何で嫌だったのかを再度考えてみると、「私は久しぶりに話せて嬉しいという気持ちを感じていた」。そして、相手ともそれを共有できていると感じていた。
しかし、最後に予期せぬ売り込みがあることで、一気にそれまでのプロセスが目的そのものではなく、手段にされてしまったように思えて、嫌感が湧いた。
ワニの炎上について色んな分析記事が出ていて、いくつか出ていた共通項は、「売り込みのタイミングが悪かった」というものでした。
それでいうと、ネットワークビジネスの話もタイミングが悪かった、とは言えるでしょう。
後日、正直に意図を明記して誘ってもらえたら、断るにしても、関係が壊れることはなかったでしょう。
じゃぁ、どうすればよかったのか?
以上を踏まえて、どうすればよかったのか?を勝手に考えてみると、100日目の漫画が終わってから49日目あたりに、「またワニたちに会える!?」的な予告を出したり、立て付けを、作者の方に香典というクラファンを払う形にすると共に、どういう形でまたワニたちに会いたいか?のグッズやサービス自体を読者のみなさんから募集する。それを実際に形にしていくプロセスを公開していく。
という流れだったら、同じく金銭のやりとりが発生するにしても感じ方が全然変わったような気がしますね。
本当は自然農法、ないしはありのままの自然がどんどん育っていて豊かだったのに、途中から区画整理されて農薬など撒いて急に収穫する畑のように扱われてしまった、と言えるかも。(区画整理、農薬が一方的に悪いと言いたいわけではないです。あくまで例えです。)
さいごに
今回、書きながら考察を深めていき、相応に時間がかかりましたが、読書会の時には辿り着けなかったところにいけたので、よかったですし、自分も構造として同じようなことをしてしまっていないか?と省みるいい機会となりました。
ちなみに、今回の冒頭で紹介した「タダの箱庭」とはプロジェクトであり、私はクラファンを支援させてもらいました。
気になる方はぜひみてみてくださいね。
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